わたしの奉仕
「別に俺は、痛めつけられるのが好きな変態じゃなッ……いぞ。ただ君に踏まれたとき……んッ、今まで感じたことのない高揚を味わっただけだ。それが何か……ぁ、し、知りたいだけでぇッ……」
「世間ではそれを被虐癖と言うんですよ、ロキ。喘がないでください」
わたしのダンスの練習相手は変態だ。失礼、ロキ殿下だ。
殿下の足の甲に乗せた足に体重を乗せてぐりゅっとひねるたび、殿下は恍惚とした顔を見せた。多分、自分から踏まれにいっている。
一方のわたしはというと、殿下がわたしにしか見せない顔を見せてくれることで興奮が冷めやらない。
この殿下のお姿は、わたししか知らないのだ。嬉しくて嬉しくて、もっと痛めつけることをしてさしあげたくなってしまう。
『記憶』の殿下にそんな素振りはなかった。でも、現実の殿下はこの通り。もっと、もっと殿下のことを知りたい。『記憶』でわかったふりをしていないで、本当の殿下のすべてを理解したい。
「もう。ロキがわざとステップを乱すから全然練習にならないです。貴方のお望み通りのヒールを履いてあげているんですから、もっと役に立ってください。こんな簡単なこともできないなんて、とんだ無能ですね」
「……」
わざと殿下を突き飛ばしてみる。殿下は顔を手で覆い、ぷるぷる震えていた。でも、口元が笑っているのは見逃さない。言葉責めもアリらしい。
この人は大国の王太子だ。正面きって苦痛を与えられたり、罵倒されたりした経験はほとんどないだろう。
だからその新鮮さが、一周回って快楽に繋がった? ……それとも、相手が惚れた女だから? うーん、わからない。
まあ、ロキ殿下を悦ばせられるならいいことだ。
ロキ殿下が気持ちよくなってくれるなら、わたしも嬉しい。胸が高鳴り、ぞくぞくしてくる。
「貴方の下手なリードのせいで余計に疲れました。冬の交流会までにはマスターしないといけないんですから、いつまでも間抜け面を晒していないで本気でやってくださいよ」
「……」
ロキ殿下は顔を隠したままこくりと頷き、席を外した。
ほどなくして帰ってきたロキ殿下はすがすがしい笑みを浮かべていた。ついさっきまでわたしに踏まれ、罵られて悦んでいた人にはとても見えない。
「カーレン、君は本当に面白いな! 君に恋することにして正解だった」
「お気に召していただけたならなによりです、ロキ」
わたしもにっこり笑って、ぺしっと殿下の頬を平手打ちしてみる。殿下は嬉しそうだ。
またダンスの練習を始める。軽やかなステップに加虐を混ぜて。いつまでもこうして踊っていたい。
わたし達がお付き合いするにあたって、いくつかのルールを決めてあった。
ひとつは、二人きりの時はなるべく気軽に呼び合うこと。わたしは殿下のことをロキと、そして殿下はわたしをカーレンと呼ぶ。いずれ夫婦になった時、自然に呼び合うための練習だ。
敬うべき相手にもかかわらず敬語をやめてしまうのはわたしにとっては逆に負担なので、これは妥協案だった。
ひとつは、人の目がある時は、どれだけ親密でも寮内兄弟の一線を越えないよう振る舞うこと。
ロキ殿下が好いているのはカーレンだ。男性ではない。そこを勘違いされて、余計な憶測が生まれるのはわたしにとっても好ましくなかった。
ひとつは、正式にロキ・エーデルヴァイス・ヘズガルズとカーレン・ラグナ・フリグヴェリルの婚約が締結し、婚礼の日を迎えるまでは、清い仲でいること。
ロキ殿下のことは信じたいが、気まぐれな彼のことだ。いつわたしに飽きてしまうかわからない。
処女を奪われ捨てられる、それだけは絶対に避けなければならなかった。そんなことがあれば、王女の価値が格段に下がってしまう。
ひとつは、二人きりの時は、なるべく殿下が悦ぶようなことをすること。でもどうすれば殿下が悦んでくれるかわからないから、色々と手探りだ。
ただ、殿下が本気で苦しがったり、わたしが本気で無理だと思ったことはすぐにやめられるよう、引き際を示す合図は決めた。わたしも殿下も、お互いを傷つけたいわけじゃないからだ。
そして最後のひとつ。これがもっとも大切なルールだ。わたし達のどちらかがこの関係を終わらせたくなったなら、交際期間にあったことをすっぱりとなかったことにして、何もかもを忘れる。そういう魔術を互いにかけた。
忘却の魔術が発動するのは互いの合意を得てからだ。ロキ殿下への恋情を忘れてしまえば、後腐れなく次の婿候補を探しにいけるし。ロキ殿下も、開けてしまった扉のことは気にせず妃を迎えられるだろう。
「来週の秋の交流会なんだが、カーレンはニルス君と会うのか?」
「いいえ。ニルスは欠席するんです。ニルスは、人の多いところは苦手だから。仮病を使うと言っていました」
全寮制の女子校であるディー・ミレア学園とは、季節ごとに交流会がある。秋はお茶会、冬と夏はダンスパーティー、そして春は観劇と晩餐会。
交流会はニルスと会える数少ないチャンスだけど、手紙のやり取りは定期的にしているので情報のすり合わせについては問題ない。途中で検閲を受けてもいいよう、当たり障りのないことばかりを書いているけれど。違和感なく元に戻れるように互いの状況を知りたいだけだから、日常の報告を共有することこそ一番大事だった。
「なるほど。なら、俺と一緒に行かないか? 紹介したいミレアの学生がいるんだ。ユリウスの妹と、俺の妹分なんだが。ユリウスとヴェイセル、それからルークス君も同席する予定だ」
「よろしいのですか? ぜひお願いします」
ヴェイセル先輩はロキ殿下の側近で、ルークス君はユリウス殿下の護衛。妥当な人選だ。
「ユリウス殿下の妹君ということは、ノルンヘイムの第一皇女殿下ですよね。第二皇女殿下はまだ学園に入学する年齢ではないと聞き及んでいます。ロキのお知り合いの方は、ヘズガルズ貴族の方でしょうか?」
「いや、オフェリヤはノルンヘイムの伯爵令嬢だ。ルークス君の婚約者でもある」
「……えっ?」
ルークス君の婚約者? そんな人、『記憶』にはいなかった。というか、もしもいるならルークス君と『わたし』が結ばれる可能性があるわけがないだろう。
「オフェリヤがどうしてもルークス君と婚約したがってな。ルークス君もまんざらでもないようだったし。オフェリヤの父君は嫌がっていたが、俺からも説得して二人の婚約を後押ししたんだ。二人のことは昔からよく知っていたから、幸せになってもらいたかったんだよ。……それから、ユリウスにもな」
「そ……そうなのですね」
全然知らない話だ。うかつにルークス君を狙わなくて正解だった。略奪なんてしていたら、ノルンヘイムの伯爵家はもちろんロキ殿下すら敵に回していたかもしれない。怖すぎる。
「ただ、オフェリヤは少し自由なところがあってな。だから、あの子を見ても驚かないでほしいんだ。誓って言うが、俺とあの子の間には不純な感情は一切ない。俺にとってのオフェリヤはただの可愛い妹だし、オフェリヤにとっても俺は頼れる兄でしかないんだ。それでも不快に思うようなら、その怒りは俺にだけぶつけてくれ」
殿下はとても真剣な顔をしている。……でも、ひとつ確認せずにはいられない。
「ロキ、もしかしておしおきを期待なさっていませんか?」
殿下は照れたように笑った。
どうしよう、乗馬鞭とか用意したほうがいいんだろうか。