わたしの褒美
ロキ殿下とお付き合いできるようになったので、わたしは始終浮かれっぱなしだった。多分あれはそういうことでいいのだろう。
でも、うつつを抜かすばかりではいられない。定期試験がすぐそこまで迫っているからだ。定期試験が終われば、学内市やディー・ミレア学園との交流会がある。ニルスとはたまに手紙のやり取りをしているけれど、たまには会って話したい。
それに、ロキ殿下は約束してくれた。学内市で何か好きなものを買ってくれる、と。恋人からのプレゼントをもらえると思えば俄然やる気が出てくる。ロキ殿下に失望されないために―あと、ユリウス殿下に睨まれないために―勉強にも熱が入るというものだ。
先輩達が開いてくれる勉強会は欠かさず参加した。それ以外にも、わたしは他の一年生を集めて一年生だけの勉強会を開いてみることにした。使うのは、移動教室や朝礼前といった隙間時間だ。
勉強会と言っても本格的なものではなく、クイズ形式の簡単なものだ。互いに問題の出題役を務め、間違った解釈をしていれば即座に突っ込みが入る。ノートを取るわけじゃないから、出題側も回答側もその場で覚えなければいけない。けれどゲーム感覚でできるし、なにより手軽だ。
人に教えたほうが自分の理解も早くなると思って開催した勉強会は、最初はルークス君とボリス君を含めごく数人の参加者しかいないかったけど、徐々に規模を増やしていった。
勉強の甲斐あって、定期試験はどの科目も中々の手ごたえを残せたと思う。さすが大陸でも最高水準の学び舎、求められるレベルは格段に高い。でも、それでこそ学びがいがあるというものだ。問題文を見て答えがひらめくたび、学習したことがきちんと身についているようで嬉しかった。
「すごいな、ニルス君。学年四位とは恐れ入る。一年の監督生考査は、秋と冬の試験の結果が大きく影響するが……君なら、選ばれるのも夢じゃないんじゃないか?」
「それは困りますね。だって、ロキ殿下のお世話をする時間が減ってしまいます」
試験の結果が掲示板に張り出された日の昼休み、すっかり指定席になったカフェテリアのテーブルに向かうとロキ殿下がいた。ロキ殿下は笑顔でわたしの健闘を称えてくれる。
「殿下こそ、学年主席じゃないですか。さすがです」
「実は早く帰りたくて、全部白紙で出そうかと思ったんだ。だが、そうするとあとでユリウスやヴェイセルに叱られてしまうからな。それが嫌で、結局真面目にやることにしたんだよ」
……どこまで本当なんだろうか。
「そうそう、明日からは学内市の日だぞ。約束通り、一緒に見て回ろうじゃないか。何かプレゼントを贈らせてくれ」
「はい!」
まあいいか。そんなことより明日は休日、ロキ殿下とのはじめてのデートだ。楽しみすぎて、眠れるか心配だった。
*
学内市とは、国内外の商会からやってくる外商によって行われる大きな展示会だ。時期としては大体定期試験の結果発表後、その週の地曜日と陽曜日の二日間催されるらしい。出店を許されるのはいずれも大店ばかりで、扱う商品も多岐に渡る。確か、コルト君のご実家からも来ているはずだ。
デア・ミル学園には購買部があるけど、周囲には他に店らしい店はなかった。教職員も敷地内で生活している。娯楽を求めるなら外出届を出したうえで少し大きな街まで遊びに行かなければいけない。そういうところに閉じ込められているから、なんでも揃う学内市は貴重な買い物チャンスだった。
「本当に色々売っているんですね」
食べ物に文具、小物や書籍、果ては女性物の服飾品まで。大講堂を埋める多種多様の出店は壮観の一言に尽きた。二日かけても回りきれるかどうか。
「大抵の物は手に入るんじゃないか? ここで家族や恋人にプレゼントを買って、贈る奴もいるらしい。だから普段使わないような物も取り揃えてあるそうだ。というわけでニルス君、君の姉君へのプレゼントは何がふさわしいと思う?」
「そうですね。カーレンならば……」
可愛いドレス、綺麗な宝石。武器としても好ましい。日ごろから身に着けられないのは残念だけど。
珍しい専門書、高価な文具。実用的で素晴らしい。でも、もうちょっと色気がほしい。
だめだ、ほしいものが多すぎて決められない……!
「迷うようなら、全部買ってしまおうか」
「そういうわけにはまいりません。そこまでご厚意に甘えるわけには。……殿下、よければ一緒に考えていただけますか? カーレンには、何がふさわしいと思います?」
決められないなら決めてもらえばいい。貴方はわたしに何を買ってくれるのか――――惚れた女に何を、与えたいのか。
「……そうだな。なら、あの靴なんてどうだろう。いつかカーレン嬢とダンスできたら、ぜひ履いてもらいたいな。きっと似合うぞ」
ロキ殿下が連れてきたのは靴を扱う出店だ。示されたのは、つややかな赤いピンヒールだった。足首に巻くのであろうリボンこそ可愛らしいが、狂気的な鋭さを誇るヒールはもはや凶器に等しい。
「僕達は双子ですから、僕が履けるサイズならきっとカーレンも履けますよ。試してみますね」
椅子に腰かけた。わたしがピンヒールを持つより早く、跪くロキ殿下がわたしにそれを履かせようと差し出してくる。
おそるおそる履いてみた。履き心地は悪くない。まるでわたしの足に履かせるためにあつらえたかのようにぴったりだ。
「お手をどうぞ、お姫様?」
いたずらっぽく笑うロキ殿下の手を借りて立ち上がる。ぷるぷるした。それでも頑張って歩いてみる。まずは一歩、そーっと。……よし。大丈夫。二歩目を――――
「ッ!?」
「ニルス君! ……うッ」
ぐらり、よろける。フリグヴェリルにいた時は、かかとが平らで歩きやすい靴ばかりを履いていた。淑女教育の一環で少しだけかかとの高い靴を履いて歩かされたこともあるけれど……履き慣れない高さだと歩きづらい。ピンヒールで颯爽と歩けるようになるには――――あれ?
わたし、いま、何か踏んでない?
「も、申し訳ございません、ロキ殿下!」
慌てて飛びのく。今、間違いなくロキ殿下の足の甲をぐりっとやってしまっていた。わたしを支えてくれたロキ殿下の足を、だ。
「だ、大丈夫だ。気にしないでくれ。それより、履き心地はどうだ? カーレン嬢は気に入ってくれると思うか?」
「はい、歩くのに慣れさえすれば問題ないと思います」
「よかった。では、それを買おう。カーレン嬢が喜んでくれるといいんだが」
ロキ殿下はにっこり笑って支払いを済ませる。ロキ殿下、なんて心の広い方なんだろう。素敵。
他にもいくつか店を見て回り、ゆっくりと過ごす。ロキ殿下は珍しい物や新しい物に目がないようで、あれこれ試しては買おうかどうか迷っていた。ロキ殿下にプレゼントする時は、フリグヴェリルにしかないモンスターの仕掛け玩具でも贈ってみようかな。
「なあ、ニルス君。君にこんなことを頼むのはしのびないんだが、どうしても試したいことがあるんだ。少しばかり付き合ってくれ」
「どうかなさいましたか、殿下」
どうしたんだろう、ロキ殿下。顔が少し赤い。
でも、ロキ殿下直々の頼みなら断る理由がない。尋ねると、ロキ殿下はわたしの耳元で囁いた。
「またあの靴を履いて、俺を踏んでくれないか?」
……わたしもしかして、殿下の新しい扉を開けちゃった?