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キースが冒険者ギルドの二階にある食堂で昼食を終えて一階に戻ってくると、待ち構えていた職員に呼び止められた。
「キースさん。支部長が戻ったので、支部長室にお越しいただけますか」
「わかった」
普段は職員しか入れない通路に通され、支部長室へと案内される。職員がノックすると、ほどなくして入室の許可がおりた。
「支部長、キースさんをお連れしました」
「ああ、ご苦労さま。キース君は、どうぞこちらに」
この部屋の主人、支部長であるクーインが執務机から立ち上がって、部屋の中央に置かれた革張りのソファへとキースを勧めた。クーイン自身も向かいに座ると、いまだドア付近にいた職員にお茶を持ってくるように指示をしたが、見計らったかのように廊下からお茶と茶菓子を持ったスヴェンが現れた。
「よう、キース。さっきぶりだな」
「スヴェン。あなたは呼んでいませんが」
「まぁまぁ、そう言うなよ。支部長殿」
上司に馴れ馴れしい態度をしながら隣に座ったスヴェンは、三人分のカップを並べて給仕を始める。出て行く様子のない無礼な部下にため息をつくとクーインは改めて客人へと向きなおった。
「さて、キース君。まずはお礼を。報告してくれてありがとう」
「いえ、俺もたまたま遭遇しただけなので」
髪をゆるく結い、穏やかな空気を持つクーインは、荒くれ者が集う冒険者ギルドの長をしていると思えないほど優男だ。しかし、見た目に反して、かなりの実力者なのはその地位が証明している。冒険者現役時代は『氷輪のクーイン』という二つ名で恐れられていたらしい。キースには想像できないが。
「キース君には申し訳ないですが、遭遇したのが君で助かりました。それに、今日がたまごの日で実に運が良かった。これが普通の日だったら、経験の浅いひよっこパーティがいくつ被害にあっていたか……」
「ひよっこと言えば、銅星になりたてのパーティはどうなりました?」
気になっていたことをキースが問えば、スヴェンが茶菓子を口に放り込みながら答えた。
「ぅぐ。ニケがギリギリ間に合ったから、大丈夫だ。あいつらもツイてる人間だったな」
それなら良かった、と心の中でつぶやく。もし間に合っていなかったなら、冒険者は運も実力のうちと言えども、自分がもう少し早く報告出来ていればと寝覚めが悪かったに違いない。
「スヴェン、やはり翼馬をもっていてよかったでしょう? 翼馬がいなかったら間に合ってませんよ」
「はいはい。支部長の見栄で買った翼馬が役に立ったな」
「なんですか、その言い草は」
「実際、グラバ支部の支部長に張り合って買ったやつだろ」
得意げにしていたはずのクーインはスヴェンに言い返されて、ぐうの音も出ない。話が見えず首を傾げるキースに、スヴェンが事の次第を説明した。
「我らがクーイン支部長殿は、グラバ支部のハリウ支部長と反りが合わなくてな。半年前だったか、東地区の支部長たちが集まる定例支部長会で、ハリウ支部長に翼馬を買ったって自慢されたって憤慨してお帰り遊ばされたんだよ。で、今月、うちもなけなしのお金をはたいて、上等な翼馬を買ったってわけ」
スヴェンはお茶をつぎ足しながら、昨日開催した支部長会の成果を上司に伺った。
「それで、今回の会合で自慢し返してきたのか?」
「あの男、もう一頭買ったって言ってきましたよ」
クーインが持つカップの中のお茶がひっそりと凍りだした。それに伴って室内の温度も下がり始める。
「だいたい、グラバ支部とうちのピンアワー支部では、資源規模が違うのですよ。あちらは取引価格の高い素材がとれる上級の洞窟ダンジョンと中級の森林ダンジョンひとつずつ。こちらは、初級寄りの中級洞窟ダンジョンと初級の森林ダンジョンがひとつずつ。おかげでうちの支部は初心者の街と呼ばれるくらいですからね。自然と集まってくるのは冒険者のひよこばかり。殻もとれてないひよこを死なせないようするには、講習と支援が必要になってきて、なおさら時間と財政を逼迫されているんです。グラバ支部のような中堅冒険者と高価格素材が寝てても集まってくる阿呆でも出来るところじゃないんですよ、うちは。それなのに、あの男はこれ見よがしに自慢しにきてくださいましてね」
クーインは努めて笑顔なのに、彼の周りの空気は凍りついてキラキラと輝いている。『氷輪のクーイン』の二つ名のゆえんが垣間見えて、キースは内心慄いた。
「まーまー、支部長殿落ち着いて」
「何を言ってるんです、スヴェン。私は落ち着いていますよ」
「なら、その氷をしまえ」
おや? と片眉をあげるとクーインは失礼しましたと、漂っていた氷晶を散らせた。そして気を取り直すように、こほんとひとつ咳払いをした。
「私の話はどうでもいいのです。それより、スヴェンから聞きましたよキース君。あなたが召喚獣を得たと」
「ええっと、はい」
「けど、何ができるかは分からないし、人型に変化もできないし、召喚獣の世界に帰ることも出来ないらしいぞ。博識な支部長殿にお聞きしたいんだが、召喚獣以外に喋る動物っていないよな?」
果たしてアレをちゃんとした召喚獣と言っていいのかと返事に迷いが出たキースの代わりにしたスヴェンの説明にクーインは訳知り顔で頷いた。
「喋る動物は召喚獣しかいないでしょうねぇ。知能が高い竜も人語は喋りませんし」
「なら、良かった」
「……そういえば、あなた。そんな暫定召喚獣みたいな状態だったのに、愛娘を一緒に家に帰すって、父親としてどういう神経しているんですか」
ジト目でスヴェンをみつめるクーインにキースは焦った。マシロとニーナが一緒に帰るように促したのは自分だったからである。確かに軽率だった。マシロが自分にとって恩人、いや恩獣だったからといってまだ召喚獣として怪しいのは間違いない。捜しに行こうかと慌てるキースをよそに保護者当人であるスヴェンは鷹揚に返した。
「ま、悪いやつには見えなかったしな」
「まったく、あなたは」
親としてもっとしっかりしなさいと言いたいところだが、彼の勘は大抵当たる。自信過剰とは言えないタチの悪さに頭が痛い。しかし頭痛で刺激されたお陰なのか、クーインは召喚獣にまつわる知識のかけらを想起した。
「……あまり知られていないことなのですが、召喚獣を得た人間には標が出るはずです。キース君、召喚獣と初めて会ったとき、体のどこか痛みませんでしたか?」
キースは記憶の糸を辿った。召喚獣、マシロと初めて会ったとき……、ケイヴウルフに体を倒されて、その後、――たしか。
「……うなじが痛かった気が」
「どれ、失礼しますよ」
席を立ったクーインはキースに近づくと、彼の服の襟をおもむろに引っ張った。ギルド支部長の突然の奇行にキースは払いのけることも出来ず、ただただ戸惑ってされるがままに座っている。好奇心を抑えずに寄ってきたスヴェンにも、うなじを覗き込まれた。
「あ、あの?」
「やはり、ありましたね」
「おお、ほんとだ」
「え? 標が? 俺のうなじに?」
「ええ」
クーインは微笑むと、指で空に描いた。すると、宙に浮いた氷が模様を象り始める。それは菱形を基にした不思議な形だった。
「あなたのうなじには、これと同様の標が出ています。これは契約紋といって召喚獣を得た人間に出る紋様なのですよ。標が出る場所は人それぞれですけどね」
「はあ」
どこか他人事のように感じて気の抜けた返事をするキースを置いてクーインは自分の執務机へと足を運ぶ。そして、そこから一枚の書類を取り出した。
「おめでとうございます、キース君。きみは正真正銘召喚獣を得たんですよ。つきましては、こちらの召喚獣登録書にご記入のほどお願いしますね」
今まで生きてきて触ったことがないような上質な紙を手渡されてキースが戦々恐々していると、筆記具もご機嫌のクーインに差し出された。スヴェンはすでに興味を失ったのか、席に戻って茶菓子をひとり食している。
「さあ、どーんと記入してください」
「は、はい」
緊張のあまり文字が震える。少し右肩上がりになってしまったキースの署名がはいった紙を、クーインは早々に回収し、ほくそ笑んだ。
「ふふふ。うちの支部から召喚獣持ちの冒険者が」
「支部長殿。意地の悪い笑いが出てるぞ」
「だって笑わずにいられませんよ。グラバ支部に召喚獣持ちの冒険者はいないのですから。あの男の悔しがる顔が思い浮かびますねぇ。ああ、キース君。もし、支部を移動するとしてもグラバ支部には所属しないでいただけるとありがたいです。もちろん、ここにずっと居てくれるのが一番嬉しいのですが」
「俺もここが好きですし、まだ移動は考えてません」
「それは重畳」
クーインは莞爾として笑った。
「それでは、長い時間お引き止めしてしまって申し訳ありませんでした。もう結構ですよ。キース君もお疲れでしたでしょうに」
「いえ、大丈夫です」
「ああそうだ。もしよろければ、明日、キース君の召喚獣に会わせていただけませんか?」
「わかりました。明日は俺も用事はないので連れてきます」
「ありがとうございます。明日はいつでもおりますので、都合のいい時に寄ってくださいね」
お開きの空気を読んで、キースは承諾すると席から立ち上がった。スヴェンもカップと茶菓子を持って立ち上がる。その口に、再び茶菓子を咥えながら。
「スヴェン、食べすぎですよ。中年太り待ったなしですね」
「ふるへーよ」
スヴェンだけが共に退室するのかと思いきや、クーインともどもみんなで支部長室を後にする。どうやらクーインはまだ昼食を済ませておらず、これから食堂で取るようだ。自分よりクーインのほうが余程疲れていそうであるとキースは思った。
ギルド内は相変わらずの盛況ぶりで、ガヤガヤと騒々しい。三人連れだって廊下を歩いていると、事務室の扉が開き、職員がひょっこり顔を出した。
「スヴェン副長。ちょうど今、奥様がお見えになられましたよ」
「ターニャが?」
あちらに、と職員が手で示した方に、冒険者たちの邪魔にならないよう隅に佇んでいる女性がいた。彼女はスヴェンに気づくと、足早に歩いてくる。スヴェンは愛しい妻を迎え入れようと両手を広げたが、ターニャは寸でで止まると、かの幼女のように仁王立ちになった。
「おお、ハニー、どうした」
「どうしたもこうしたもないわよ。まったくもう。ニーナが可愛いのはわかるけど、あなたはお仕事してるんだから早く帰さないとだめでしょう。それで、ニーナはどこで遊んでるの?」
「ニーナ帰ってないのか?」
スヴェンは自分の血の気が引いていく音を聞いた。愛娘は昼前にギルドから出発している。本来なら、とっくの昔に家について、ターニャお手製のお昼ご飯を食べ終えている時間だった。
「え、ええ。あなたにお昼ご飯を届けに行ったきり。もう、何言ってるの。あなたが引き留めてるんでしょう?」
「……ターニャ、ニーナはもう半時も前に帰ってる」
「うそよ。だって、ニーナはまだ帰ってきてないもの」
ターニャは冗談はよしてと笑い顔をつくろうとしたが、うまくできない。我が家とギルドは歩いてすぐの距離だ。迷子になる余地もないほど、近い。それなのに、いまだに家に帰っていないだなんて、それが意味するのは――。
ターニャの顔色が真っ青になったとき、スヴェンが一拍、手を叩いた。
「おっと、そうだ。今日は、たまごの日だからお祭りみたいなもんだ。ニーナが帰ってきてねえのは、露店で寄り道しているのかもしれねぇな! ターニャは先に家に帰ってニーナの帰りを待っててくれないか。俺がお転婆娘を見つけて連れて帰るから」
「そ、そうね。それにもしかしたら、もうニーナは帰ってきてるかもしれないわ」
「おう! 入れ違いになっちまってるかもな」
「じゃあ私、帰るわね」
軽口をたたけども硬い表情のままのターニャは、踵を返そうとして、足をもつれさせた。慌てて妻を支えたスヴェンに、帰り支度を整えながら様子を伺っていたシシリーが手を差し伸べる。
「あの、私、今日はもう上がりなので、もし良かったらターニャさんと一緒に帰りますよ。ニーナちゃんが既におうちに帰ってたら、またギルドに報告しに戻ってきますね」
「いいのか?」
「はい。お安い御用です」
「悪い。助かる」
「ごめんね。シシリーちゃん、仕事終わりなのに」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですよターニャさん。それに私もニーナちゃんが心配ですし。それじゃあ、帰りましょうか」
妻をシシリーに託し、ギルドから出て行く二人の姿を見つめながらスヴェンは静かに口を開いた。
「ターニャにゃ、ああは言ったが、ニーナは寄り道なんかしない良い子だ」
キースにもそれは分かっていた。ニーナは小さいながらも、とても責任感の強い子である。勝手に寄り道をするような子じゃない。それはきっとニーナの母親であるターニャもわかっているだろう。
「支部長、俺はもう仕事を上がらせてもらう」
「わかっています。ですが、少し話を聞いてください」
今にも飛び出していきそうなスヴェンをクーインが止める。愛娘の捜索に足止めをくらったスヴェンはクーインに苛立ちを隠さず睨みつけた。
「なんだ」
「昨日の会合で、気になることを聞きました。北地区管内で子ども達が行方不明になっていると。もしかしたら、ニーナちゃんは同じ事件に巻き込まれているかも知れません。これは、ギルド全体で動くべき事案です。みんなで捜索しましょう」
思いがけない申し出にスヴェンは目を見開いた。街の子どもひとり半時行方知れずくらいでは、残念ながらギルドが動く案件にはならない。それは副支部長をしている自分には痛いほどよくわかっていた。だからギルドに頼らずに捜しに行こうとしたのだ。だと言うのに、この上司は。
「恩に着る」
「礼はニーナちゃんが見つかってからで結構。さあ、他にも消えた子どもがいるかもしれませんから、手の空いてる職員かき集めて二人一組で捜しましょう」
「俺も捜す」
「俺たちもな!!」
手を挙げたキースにかぶせるように入ってきたのは、夢熊の銀星。初心者の街と呼ばれるこの街に、中堅どころに昇格した今でも根付いている頼もしい存在である。遠巻きに話を聞いて、居ても立ってもおられず乱入してきたのだ。
「水くさいぞ、スヴェン。ピンアワーの未来の看板娘ちゃんの安否がかかってるんだから、俺たちにも頼れよ」
「おまえら……」
「俺たちは、北の門番に検問を厳しくするように伝えた後、門近くから捜索をはじめるわ」
「ああ、頼む」
「ニーナちゃんみつかったら、酒おごれよ」
親指を立てて慌ただしく出て行く五人組に、スヴェンは感謝と承諾の返事をして見送ると、事情を察したギルド内にいた冒険者達も次々に協力を申し出た。彼らは、この街に来て二週間のひよっこや、たまごの日だからと久方ぶりに戻ってきた者、みんな一度はスヴェンに冒険のいろはを教えられお世話になった冒険者たちだ。気がつけばあれだけごったがいしていた室内は閑散としている。思いがけずたくさんの協力が得られて、殺気立っていた気持ちが落ち着いたスヴェンはキースとクーインの方に向き返った。
「俺は、ニーナの通った市場を捜してみる。キース、俺と一緒に捜してくれ。支部長、あとは頼んだ」
「ちょっと待ってください!」
走り出そうとしたキースとスヴェンの腕をクーインがガシッと掴んだ。その彼らしくない荒い行動に驚いてふたりが足を止めると、クーインは「ずっと何かを見落としているような気がしてたんですが、それが分かりました」と、キースに詰め寄った。
「召喚獣は、キース君の召喚獣は、ニーナちゃんと一緒にいるんですよね?」
その言葉にハッとした。言葉の意味に気づいたキースに、クーインは頷く。
ならば、試すべきことがある。
召喚獣の契約者であるキースにしかできないことを。