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名前がもらえた喜びに打ち震えていると、悲鳴のような声がスタッフオンリーの部屋から聞こえてきた。何事かと考える猶予もなく部屋から飛び出した女性は、血相を変えてこちらにやって来た。
「スヴェン副長! あ、あのっ洞窟ダンジョン、封鎖するって本当ですか!?」
その女性の勢いに、なんだどうしたと、スヴェンが女性へと体の向きを変える。
「ダンジョンに異常性がみられるから封鎖の手配をしたが、どうした?」
「四半刻ほど前にパーティが一組、洞窟ダンジョンへ依頼をこなしに行ったんです! もう充分卵は取ったからって!」
「なに!? そいつらのランクは!?」
「銅星に成り立てです……!」
「まずいな……ニケ! まだ居るか!?」
呼ばれて出てきたのは腰に剣を佩いた若い青年だった。
「翼馬を使っていいから、先回りしてパーティを足止めしてくれ。もし間に合わなかったら、洞窟前で待機。中まで追いかけなくていい。シシリーは、封鎖隊に一応治癒術士を加えて編成しなおしてくれ。二人とも頼んだぞ」
頷くと青年は身を翻して出て行く。幾ばくか落ち着いた女性も返事をして去って行った。二人の背中を見送ったスヴェンは、やれやれと息をついて椅子に座り直した。
「これで間に合わなかったら、仕方ない。運も実力のうちだ。その点、窮地に召喚獣が現れて助かったお前は運がいいな」
「まぁ、本当に運が良いやつは三階層でケイヴウルフに出会わないと思うけどな」
「あはは! それは言えてるな! しかもお前、病み上がりだろ? 運が良いとは言えねえかぁ」
『え!? 主、ご病気だったんですか!? どこが悪いんですか!?』
聞き捨てならないことが聞こえて、ボクは即座に反応した。病気なら、安静にしないといけない。ボクが主を看病をしなくては!
「もう治ってるから、心配しなくていい」
視線をそらして、どこか歯切れの悪い主に疑いを持ってしまう。実は不治の病でボクに隠しているんじゃないかって。
『ほんとうに、ほんとうですか? もう治ってるんですか?』
「治ってる」
主の顔色をよく観察しようと仰ぐと、ぎゅむっと顔をつかまれた。
『あるじ~これじゃ何も見えないです~』
「おいおい、かわいそうだろう。自分を心配してくれてるのにぃ」
「だまれスヴェン」
主の手から逃れて、含みを持たせた言い方をするスヴェンを見るとにんまりしていた。スヴェンはボクを持ち上げると、内緒話をするように顔をボクの耳のあたりに近づけた。
「こいつはトルク茸っていうキノコの毒にあたったんだが」
「おい!」
「清らかな人間しかあたらないって噂の毒でな」
『きよらか』
「そう、すなわち、どうて」
「じゃねぇって言ってるだろ」
目が据わりきった主は、ケイヴウルフの骨をスヴェンの顎下に繰り出した。
「おー、こわ」
「くだらないこと言ってる暇があるなら、さっさと査定しろ」
「はいはい承知いたしました」
再びカウンターの置物になったボクは大人しく査定を見守る。さっきのスヴェンの言葉を心の中で反すうしようとすると、なぜか主に睨まれてしまうので心を無にしなければならない。
「依頼のデリク晶石に、ケイヴウルフの骨と皮が四体分。お、うち一体はリーダー級か。それに魔核が12個な……倒した数はこれ以上だろ? おまえ、ほんとよく無事に帰って来れたな」
「聖水一本使ったけどな」
「ははっ、それはご愁傷様。ダンジョン異常の報告賃として買取にちょっと色つけといてやる」
「どーも」
スヴェンが紙に数字っぽいものを書き込んでいく。主が持ってきた素材の買取金額を計算しているのだろう。
「魔核もリーダー級のが他に比べて大きいな。その他の素材の状態もいい。……依頼達成料と素材買取を全部併せて20万ベルでどうだ?」
「それで構わない」
「よしじゃあ、これで取引成立ってことで。金はどうする? 口座振込でいいか?」
主は同意すると、首に掛けていたプレートを取り出して、カウンターの上にあった円形の台座に置いた。その台座の真ん中には魔核っぽいものがはまっている。
『これも魔導具ですか? どんな事が出来るやつです?』
「こっちのプレートが鍵みたいなもので、この台座にかざすと俺の口座に記録がされるようになってる」
『ほへー、なんだかすごい技術ですねぇ』
「そうだな。この装置がなかったころは金の管理が大変だったらしいからな」
プレートを再び首に掛けると主は、魔核の袋を回収してボクを持ち上げた。そしてスヴェンにじゃあと手をあげる。
「腹も減ったしそろそろ行くわ」
「あ、待て。召喚獣登録の手続きが必要になるし、支部長が話を聞きたがると思うから、昼飯食ったら戻ってきてくれねぇか? 支部長、今はいねぇが、もうすぐ帰ってくる予定だから」
「わかった」
お昼ごはん! ごはんということは、あのお肉! お肉のことを思い出したらあの香ばしい匂いまでしてきたような気がして、興奮して主の手の中で弾んでしまう。
『主! はやくごはん行きましょう! お肉食べましょう!』
「わかったから、ちょっと落ち着け」
「おい、そいつ飯食うのか? やっぱり召喚獣じゃねぇだろ」
『主、はやく行きましょう!』
「はいはい」
からかい混じりのスヴェンを無視して主を促す。今は反論するよりもご飯が先決である。一体いつぶりのご飯だろう。前世の記憶にあるお肉の味覚がボクの唾液腺を刺激して、ごくりと唾を飲み込んだ。さぁ、いざ行かんと主が一歩踏み出したところで、小さな影がボクたちに立ち塞がった。
「おとうさん! おかあさんがせっかく作ってくれたお昼ごはん、また忘れて行ったでしょう!」
仁王立ちでボクたちの前に現れたのは、おさげ髪をした五歳くらいの女の子だった。大変お怒りの様子で、ぷんすこしながらスヴェンのカウンターに持っていた包みを背伸びして置いた。
「はい! もう、ほんっと忘れっぽいんだからって、おかあさん怒ってたよ!」
「ごめんごめん。でも、忘れっぽいお父さんのためにニーナはわざわざ持ってきてくれたのかぁ。お父さん、嬉しいなぁ」
でれでれと顔を崩したスヴェンがカウンター脇から出てくると、女の子を抱き上げた。
『びっくりしました。主の娘さんかと思っちゃいました』
「んなわけないだろ」
「おとうさん! わたし、おこってるの! くっつかない……キースおにいちゃん、その子なぁに?」
きょとんとした女の子と視線がぶつかる。その子のお目目がボクの魅惑のふわもこボディに釘付けになり、次第にきらきらと輝き出した。
「すごーい。ふわふわー! キースおにいちゃんのぬいぐるみなの?」
『ぬいぐるみ違います。キース様の召喚獣、マシロなのです』
「しゃべった! すごい! マシロちゃんっていうんだね! わたしはニーナだよ」
ニーナちゃんは、スヴェンの腕から降りると、ボクに向かって手を伸ばした。主がそっと彼女にボクを渡す。
「ふふ。ふわふわもこもこだぁ。マシロちゃんかわいいね」
ボクに頬擦りして満面の笑みを浮かべるニーナちゃんに、主がしゃがんで目線をあわせ、こう提案した。
「ニーナちゃん、マシロのことしばらく預かっててくれないかな。俺はまだギルドで用事があるから」
「え? いいの?」
ニーナちゃんの顔がぱぁっと輝いた。そのやりとりにスヴェンが少し心配そうに保護者の顔をして、主に尋ねた。
「けど、お前、昼飯食いに行くんじゃなかったか?」
「昼飯なら、二階の食堂で食べるから問題ない」
「そうか? 悪いな。じゃあ、ニーナお言葉に甘えさせてもらえ」
「うん! やったぁ! ありがとうキースおにいちゃん!」
『まままま待ってくださいい!』
なにやら勝手に話が進んで行ってしまっている。慌てて待ったをかけたボクにみんなの視線が集中した。
『ボクのお口はもうあのお肉を食べる気まんまんになってるのに』
「マシロ……」
主が残念なものを見る目つきになっているけれど、これは譲れない。久しぶりの食事を楽しみにしていたのだ。
「あの肉は晩飯にでも買ってやるから」
『でも、でも』
「それに、ニーナちゃんのお母さん、ターニャさんの料理は絶品だぞ」
『ぜっぴん?』
「ああ、おれの嫁さんの料理の腕はピカイチだ」
『ぴかいち』
「あのね、ニーナのおうち、これからお昼ごはんなの。マシロちゃんも一緒に食べよう?」
『はい! ニーナちゃん、早くおうちに帰りましょう』
あのお肉、逃げない。まずはニーナちゃんのおうちの美味しいご飯を食べる。脳内で会議をした結果、早速方向転換した。ぴょんぴょん跳ねて催促すると主に押さえられた。
「じゃあ、夕方こいつを迎えに行くから、それまでよろしくなニーナちゃん。あと、マシロが行儀の悪いことしたら遠慮なく叱ってくれ」
『むう。主、ボクはそんな悪いことしないです』
「ありがとう、キースおにいちゃん。マシロちゃん、おうちに帰ろう!」
『ハイです』
また後でね、と大人二人に手を振り、ボクを抱えたニーナちゃんは冒険者ギルドを出た。ここに来たときよりも人通りは多くなっているようだ。ニーナちゃんは人の波にもまれながらも足を進めた。道中、街の人々に「またお父さんにお届け物かい?」「ニーナちゃん偉いわねぇ」などと声をかけられながら。
『ニーナちゃんのおうちは近いんですか?』
「うん。ニーナのおうちはね、この通りをまっすぐ行って、メルメルさんのくだもの屋さんで曲がってすぐのところにあるんだよ」
くだもの屋さん、どれだろう。果物っぽいものを売っている店は点在していたはずだ。もしかしたら、まだまだ先なのかも知れない。こどもの高さだと、見通しが悪くて通りをあまり観察ができなかった。やっぱり、主の頭の上が一番居心地が良い。
「今日は、たまごの日だから人がおおいなぁ」
『たまごの日?』
「そう、今日はね、森林珊瑚の産卵日なの。たまごを取りにいろんなところから冒険者さんたちが来るんだよ」
露店が一時的に途切れた道の端っこに寄ると、ニーナちゃんはふぅっと息をついた。なるほど。普段はもっと落ち着いた街なのか。
『おうちはまだ先なのです?』
「あともうちょっとだよ! ……あれ、あのおじいさん、どうしたんだろう」
建物の影になり表通りよりも薄暗い横道で、腰の曲がったおじいさんが杖をついてうろうろとしていた。ニーナちゃんが横道にはいり、おじいさんへと近づいていく。
「おじいさん、どうしたんですか?」
「おお、お嬢ちゃん。ちょっとお願いあるんじゃがの」
ニーナちゃんに話しかけられたおじいさんは、喜色をあらわにして頼み込んだ。
「コインがそこの隙間に落ちてしまってな。わしは腰が痛くてしゃがめなくての。お嬢ちゃんが取ってくれると助かるんじゃが」
「わかった! ニーナがとってあげるね!」
「優しいお嬢ちゃん、ありがとう」
ニーナちゃんはボクを抱えたまま、おじいさんが指差す道の脇へ素直にしゃがみこんだ。言われた道の隙間を一緒にボクも探してみたけれど、コインは全くもって見当たらない。
「おじいさん、ほんとうにここ――」
本当にここであっているのかニーナちゃんが再確認しようと振り返って見えたのは、大きな袋の口をあけて覆いかぶさってくるおじいさんだった。
そして、ボクたちの視界は真っ暗闇に染まった。