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無事に洞窟を出て、しばらく道なりに歩くと高い壁が見えてきた。壁に近づくにつれて広い道へつながり、行き交う人々も増え賑やかになってくる。あの壁はどうやら街を守る外壁のようだ。落とし格子付きの大きな門の両側には、槍を持ち甲冑を着た門番らしき人が立っていた。右側に立っていた門番が、主に気づいて手を振った。
「お! おかえり! って、ちょ、おまっ! その頭の上の何!?」
「おつとめごくろーさん。じゃあな」
全くもって気持ちのこもってない労いの言葉をかけて、主はそそくさと門を通る。後方では門番さんの「おいー!」という声が響いたが、流石に職務放棄はできないのか追いかけては来なかった。
門番さんの気になっていた頭の上というのは、ボクである。自力で主について行けなかったボクは、あの後いったん主の腰袋に収納されたれど、暗さと閉塞感が怖くてしくしく泣いてしまった。見かねた主は結局、ボクを外に出してくれて、そのまま自分の頭の上に置いてくれたのだった。
『主、門番さんを無視して良かったんですか?』
「問題ない。それより、これから人が多くなるから落ちるなよ」
主の警告に門番さんから目を離して前を向くと、広い道いっぱいに色とりどりの布を屋根にした露店が所狭しと並んでいた。活気よく飛び交う声、みずみずしい果物、人混みを元気に駆け抜けていく子供たち、きらきらと光る装飾品。賑やかになった音と景色に興味を惹かれる。その中でも、このなんとも言えない香ばしく美味しそうな匂いには格別惹かれた。匂いの出所をたどると、直火でこんがりと焼かれて肉汁したたる串焼きが。
『あ、あるじ! あれ! あのお肉食べたいです!』
食べたい気持ちを、ぴょんぴょん跳ねてアピールする。あれは絶対に美味しいやつだ。間違いない。
「こら、跳ねるな。あとで買ってやるから、今は先に行くところがあるんだよ」
『ぜったい! ぜったいですよ、主! あとで買ってくださいね!』
「わかったわかった。にしても、召喚獣ってメシ食わないんじゃなかったか?」
『ほかの召喚獣はそうかもしれないですけど、ボクは食べたいんです!』
確かに、召喚獣として生まれてからずっとご飯を食べてない。召喚獣の世界では、湖や森はあったけれど、木の実や召喚獣以外の生き物は存在しておらず食べ物がなかった。きっとこっちの世界でもご飯を食べなくても平気だと思うけれど、前世のあるボクには美味しい食べものが大層魅力的にうつる。食べられるなら食べたいのだ。
美味しいものを食べられる予感に心躍らせていると、いつの間にか大きな建物の前に着いていた。
入り口の階段を上り、西部劇に出てくる酒場のような扉を体で押し開ければ、そこには剣や弓、杖を携えた人たちで溢れていた。奥には、この建物の職員と思われる人がカウンターごとに座っている。この光景、ここは間違いなくファンタジー世界の醍醐味、冒険者ギルド……!
「森林珊瑚の卵を査定される方はこちらに並んでくださーい! 森林珊瑚の卵以外のものを査定される方は左端のカウンターにお願いしまーす!」
ぞろぞろと並ぶ人たちをかわして、左奥へ向かう。森林珊瑚の卵の査定受付は可愛いお姉さん達だったのに、ずいぶんと奥まったところにある左端のカウンターに鎮座しているのは強面のおっさんだった。そのおっさんは、ボクたちを見て目を丸くすると、耐えきれないといったふうで噴き出した。
「――ぶほっ! あはは! なんだその頭!」
「うるせえ。これの説明はあとだ。それより、スヴェン。こっちを見てくれ」
主が両脇に抱えていたケイヴウルフの骨や皮をカウンターに置いた途端に、あれほど笑っていた男――スヴェンの顔が険しくなり、身を乗り出して詰め寄ってきた。
「っおい! これ、ケイヴウルフだろ!? お前、一人で下層に行ったのか!?」
「俺もそこまで馬鹿じゃない。これは三階層で出くわした」
「三階層だと? ケイヴウルフは八階層以降の魔物だぞ……なにか異常があるかもしれぇな。ダンジョン封鎖の手配をしてくるから、悪いがちょっと待っててくれ」
そう言うが早いか、スヴェンはカウンター奥の部屋へ引っ込んでいった。スタッフオンリーと思われる部屋からスヴェンのくぐもった声が聞こえる。
聞き耳を立てていると、両手が自由になった主に、頭の上からカウンターへと下ろされてしまった。主の頭の上を密かに気に入ってたのに残念である。ボクの隣へ綺麗な石と魔核が入った袋を主が置いているうちに「待たせたな」とスヴェンが帰ってきた。
「はぁー、報告ありがとな。まぁ、今日は森林ダンジョンのほうにみんな行ってるはずだから、大丈夫だろう。森林珊瑚の産卵日に森林ダンジョンに行かないのはお前ぐらいだろ」
「良いだろ別に。人混みは嫌いなんだよ」
「そのおかげで、こっちは助かったわけだしな!」
がははっ、と褒めてるのか貶しているのか分からないほどスヴェンは豪快に笑った。
「しかし、三階層にケイヴウルフとかおっそろしいわ。よく生き残ったな、お前。あいつら群れで行動するだろ? 一応備えて行ってたのか?」
「いや、依頼がデリク晶石だったから、五階層くらいまでの装備しか持ってなかった。俺が生き残ったのは、こいつのお蔭だよ。囮になってくれたから、なんとかな」
と、主がボクを撫でてくれた。急に褒めのターンがきて、ボクは照れた。もう囮なんてものはしたくないけれど、褒められるのはとても嬉しい。
「へぇ、この毛玉が。で、こいつは一体なんなんだ? 初めて見る生き物だな」
顎に手を当てたスヴェンが、ボクをのぞき込んできた。これは、ご挨拶! ご挨拶のターンですね!
『はじめまして! ボクは主の召喚獣です!』
元気にご挨拶をすると、スヴェンは驚いて後ずさった。そして、確認するように主とボクを交互に見返した。
「喋った!? 召喚獣!? あの召喚獣か? まじで? こいつが?」
「こいつ自身はそう言ってる。ただ、自分に何ができるかは分からないし、人型にも変化できないし、召喚獣の世界に帰ることも出来ないけどな」
「……それは、本当に召喚獣なのか?」
主が首を傾げて肩をすくめた。この仕草、もしかして、主に信じてもらえてない。漫画だったらボクの背景にガーンという特大の文字が出ていることだろう。召喚獣としてみそっかすなボクだから、ちょっとばかし呆れられたかなと思ってはいたけれど、まさかまだ召喚獣として信じてもらえていなかっただなんて。信じてもらうには、どうしたらいいのだろう。ボクが召喚獣であると主張しても証人がないから信じてもらえない。いや、証人……、いるかもしれない。
『あの、この世界にボク以外に召喚獣っているんですか?』
「ああ、居るぞ。たしか、コカトリスと白虎とあとは……」
「レヴィアタン。今居るのはこの三体だな」
『コカトリス、白虎、レヴィアタン! みんな知ってます! ボクの仲間です!』
「まじか」
『まじです』
答えに詰まった主の代わりを引き継いだスヴェンをじっと見つめる。嘘は断じてついていません、と。
「そうか。だったら、サルラバ様が会ってくれるかもしれねぇな」
『サルラバ様?』
「コカトリスの召喚主でな、凄腕の冒険者だった方だ。冒険者を引退したあとは、たしか隣国のルズィールに腰を据えたはずだから、そこのギルドに面会の申請を一応だしてみるか?」
顎を擦りながら思案気にスヴェンがちらりと主に伺う。主は、仕方ないとばかりに首を縦に振った。
「頼む。会えるなら会ったほうが良さそうだ。こいつの帰り方も調べる必要があるし」
「わかった。それで、こいつの名前はなんて言うんだ? 申請する際に書いておけば、コカトリスから面会を勧めてくれるかもしれねえから教えてくれ」
「名前……そういえば、聞いてなかったな」
「はぁ? お前ら、ここに来るまでどんな会話をしてたんだよ」
「出会った場面が場面だったし、あとは魔導具についてとか質問攻めにあってたからな……」
そういえば、ボクも主のお名前を知らないと思っていると、不意に持ち上げられて、主と目が合った。
「俺の名前はキース。お前の名前は?」
吾輩はふわもこ召喚獣である。名前はまだない。って答えたいところだけど、また召喚獣らしくないって思われそうだ。主のお名前を知れて嬉しいのに、自分の名前が言えない。ぐぬぬと返答に窮していると、主はなにかを察したらしい。
「なにを葛藤しているのか知らないが、もう多少のことで驚いたりしないぞ」
『……呆れたりもしないですか?』
「しない」
『あの、ですね……ボク、自分の名前がわからないのです……』
腹をくくって伝えれば、主は宣言通り、驚いたり呆れた様子もなかった。
「正直、そんな気はしてた。自分の名前がわからないって言っても、召喚獣の仲間から呼ばれてたあだ名とかはあるだろう?」
『あ、はい。ふわもこちゃんとか、まるいのとか」
「コカトリスからは?」
『もふもふちゃんって呼ばれてました』
「ってことらしいぞ、スヴェン」
「りょーかい。召喚獣のもふもふちゃんが困ってるから力を貸して欲しいって申請しておく」
けどな、とスヴェンは続けた。
「名前がないのはこれから不便だろ」
「それは、まぁ」
「だったら、お前が名前をつけてやりゃいいじゃん」
その提案に主が固まった。困惑している主には申し訳ないけど、グッジョブ・スヴェンである。
『あるじ! ボク、主にお名前つけて欲しいです!』
「自分でつけたほうがいいんじゃないか?」
『主につけてほしいです! だめですか?』
うるうると円らな瞳で懇願すると、主はウッと息を詰めたあと、観念したように息を吐いた。
「わかった」
そう承諾して主は上を向いて考え始めた。どんな名前をつけてくれるんだろう。かっこいいやつかな。渋いやつかな。期待に胸を膨らませて待っていると、しばらくしたのち、至極真面目な顔をした主はこう命名した。
「ぴょんぴょん跳ねるから、ピョンピョンでどうだ」
「――っぶほ! ぴょ、ピョンピョンっ! 安直すぎる! あはは!」
カウンターをばんばん叩きながらスヴェンが大笑いしていると、主は、だから嫌だったんだといじけてしまった。予想のちょっと、いや、だいぶ斜め上を行く名前だったけれど、主から初めてつけもらったお名前。
『主、ありがとうございます』
「待て。違うのにする」
再び考え始めた主に実のところ安堵した。主がつけてくれた名前は嬉しいけれど、前世の日本人的感覚が、ピョンピョンはちょっとやだなと主張していたから。
「丸いから、マル……、いや……」
「聞こえてくるのが、やっぱ安直だな~。嫌だったら嫌って言って良いと思うぞ。もふもふちゃん」
『ボクは主を信じますので。最高のお名前をくれるって』
「けなげ~」
ぶつぶつと呟いていた主が、ぴたりと口をつぐんだかと思ったら矢庭に口を開いた。
「マシロ……マシロでどうだ?」
『――マシロ! 素敵です! ボクのお名前! 主、ありがとうございます!』
マシロ。その響きは、不思議ととてもしっくりときた。まるで、もとからボクの名前だったかのように。マシロ。ボクの名前。嬉しい。……嬉しい!
「さっきより良いんじゃないか。どうせ、真っ白いからとかだろうけど」
「あいつ自身が喜んでるんだから、いいだろ」
「さすがにピョンピョンは固まってたもんな。もしお前に子供が生まれたら、名付けは奥さんにしてもらえよ」
「余計なお世話だ」