step 8. ごめんね、つまらない答えで
王都よりも標高の高いクラーデン領は、秋の半ばであってもかなり冷え込む。
ハーシェル家のカントリーハウスは、山のふもとにがっしりと構えていた。リゼットにとっては慣れ親しんだ屋敷だ。
「寒い地域の建築は、やはり少し似ていますね」
旅装を解いて居間に集まった一行は、温かい紅茶でくつろいでいた。アルバートの言葉に、ブライアンが頷く。
「ノーコットほどではないだろうが、クラーデンも冬は厳しい」
ブライアンとアルバートは、そのまま北国の建築について話し込む。ルクセン帝国はまさに全土が北国だ。アルバートの語る帝国の建築様式を、ブライアンは興味深そうに聞いていた。リゼットも、興味があったので静かに話に耳を傾ける。
「姉さん」
ミルクと砂糖をたっぷり入れた紅茶を黙々と飲んでいたシャノンが、リゼットに小さく呼びかけた。
「なあに? シャノン」
「父上、楽しそうだね。アルバート様のこと、気に入っているみたいだよ。馬車の中でも、いい相手を見つけられてよかったって、母上に話してた」
「まあ」
リゼットは目を丸くして、母親のアニエスに視線を向ける。アニエスはにっこりと頷いた。
声を潜めて話していたが、シャノンの声はブライアンの耳に入ったらしい。ごほんと咳払いをされて、シャノンはそ知らぬふりでカップを傾けた。
そんなシャノンの様子がおかしくて笑っていると、ふとアルバートと目があう。
リゼットとアルバートは、二人同時に頬を赤く染めた。馬車の中での肩に感じた重みやぬくもり、香りまで思い出してしまい、すぐに顔ごとそらす。
リゼットが顔をそらした先では、ルイスがにやにやと笑いながら紅茶を飲んでいた。
クラーデン領についた翌日。リゼットは、アルバートを案内するというブライアンとルイスについて行くことにした。何日かかけて、領地やサミア毛糸について見せて回るのだという。
「リゼット、その恰好……」
簡単な朝食を済ませて玄関ホールに現れたリゼットを見て、アルバートが目を丸くした。
今日のリゼットの装いは、グリーンの乗馬ドレスだった。普段の大人しいリゼットからすると、確かに少し活発な装いである。
アルバートもまた、チャコールグレーの乗馬服を身につけていた。ところどころ、帝国風の装飾がされている。
「その乗馬服は、帝国で仕立てられたの?」
アルバートは頷いた。
「生地が厚くて、とても暖かいんだ。クラーデンやノーコットでは、ちょうどいいかなと思って」
話しながら、連れ立って外へ出る。すでに、ブライアンとルイスが馬を連れて待っていた。
リゼットも、自分の馬へ近づいて首をなでる。アルバートの手をかりて、馬に横乗りになった。
「こちらでは、女性は横乗りが一般的だったね」
アルバートが思い出したように言う。
それを受けて、リゼットも以前聞いた話を思い出した。
「帝国では、女性の乗馬服もズボンなんだとか……」
馬上だと、リゼットからはアルバートのつむじが見下ろせる。アルバートが黙ってうつむいてしまったので、リゼットは首を傾げた。
「アルバート様?」
はっと顔を上げたアルバートの瞳が、一拍遅れてリゼットをとらえる。何かを言いかけるように口を開くが、すぐに閉じられた。
「アル、そろそろ行くぞ」
呼びかけたルイスもブライアンも、すでに馬上だ。アルバートはさっと身を翻して、用意された馬に素早くまたがった。
アルバートの瞳は、たまに遠くを見つめるようにリゼットを映さないことがある。
クラーデンにいるうちに、その理由を知りたいと思うリゼットであった。
「この辺りは、ずいぶんと植生が豊かですね」
「近くに沼があって、湿地なのだ」
感嘆の声をあげたアルバートに、ブライアンが答える。
サミアを育てている農家に訪問し、帰る途中のことだ。林を抜ける道を、一行はゆっくりと進んでいた。
リゼットは先ほどから、周りの景色、とくに下草のあたりを熱心に見つめていた。
「リゼット? 下ばかり見て、どうかしたの?」
横乗りのリゼットを案じてか、幾度か振り返っていたアルバートが気がついて、心配そうに尋ねた。
「アルバート様、ゲンティアナを覚えていて?」
「リゼットの好きな花だね」
アルバートは辺りを見回す。
「この辺に咲いているの?」
「ええ、以前この道の近くでも見かけたのですけれど……」
二人は少し速度を落として、ゆっくりと進む。
「そういえば、アルバート様の好きなお花は何ですの?」
探しながら、リゼットは何気なく問いかけた。
不自然なほど間があいてから、アルバートは答える。
「……特に、ないかな」
平淡な声音だった。少し驚いてアルバートを見るが、斜め前を行くアルバートの顔は見えない。
「ごめんね、つまらない答えで」
付け加えられたその言葉は、いつもの調子だ。振り返った顔も、普段のような控えめな笑みを浮かべている。
けれど、小さな違和感がリゼットの胸に残った。溶けきらない砂糖のように、胸の中に転がる。
(私たちはまだ、お互いのことを全然知らないのだわ)
そして、違和感をなくすために問いかける言葉もまだ持っていないのだ。
「リゼット、もしかして、あれがゲンティアナ?」
深い思考に沈み込みそうになっていたリゼットの意識は、アルバートの明るい声に引き上げられた。
アルバートの指が、道の脇を指している。
「……ええ! そうです、近くに行ってみましょう?」
嬉しくなって、リゼットは自然と笑みがこぼれた。見たこともないだろう花の特徴を、リゼットの話を、きちんと覚えていてくれたのだ。
「へえ、これが……綺麗な色だね」
「そうでしょう? 私、この色がとても好きなのです」
深みのある、紫色のような藍色のような、一言で言い表すのが難しいこの色は、昔からリゼットを落ち着かせる。
(そういえば、アルバート様の瞳のお色と、似ているわ)
ふっと気がついたことをアルバートに伝えたくて話しかけようとしたリゼットだったが、アルバートの言葉に口をつぐんだ。
「……なんだか、寂しげだ」
物思いに沈んでいるような声音だった。リゼットに向けた言葉ではなかったのだろう。注意していなければ聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。
リゼットは寂しく感じたが、思い直して手綱を引いた。
なにしろ、これから時間ならたっぷりあるのだから。
「アルバート様、そろそろ参りましょう」
ことさらに明るい声を上げて、リゼットは前を向いた。