step 6. どんな花がお好きですか?
「リゼット嬢は、どんな花がお好きですか?」
顔合わせの日から二日後、二人で訪れた国立公園は、秋の花々がちょうど咲き始めていた。周りには、リゼットたちと同じようにデートを楽しむ恋人たちの姿がある。社交シーズンの名残はこんなところでもみられるのだ、とリゼットはぼんやり感じていた。なにしろ、こうして男性と二人で出かけるのは初めてなのである。わずかな緊張がリゼットを支配していて、問いかけられたことに気がつくのが少し遅れた。
「好きな花、ですか」
リゼットは、香りの強い花があまり好きではない。家族や近しい人はそれを知っているから、贈り物に花をもらうことは稀であった。少し考えて、はじめに浮かんだ名前を口にする。
「ゲンティアナ、でしょうか」
「ゲンティアナ?」
アルバートが、かすかに眉を寄せた。
「このくらいの季節に、クラーデンに咲く花です。藍色の、小ぶりな花で……私も、王都に来てから知ったのですけど、標高の高い地域にしか咲かないようですわ。野に紛れるように咲いていて、見つけるとなんだか嬉しくなるのです」
凛と、それでいて可憐に佇むその花を思い浮かべ、リゼットは自然と笑顔になった。
しかし、好きな花を聞かれて野の花を答えたのは、失敗だったのではないだろうか。そう思い当たって、リゼットは少し後悔した。きっと、婚約者への贈り物の参考にしようと聞いてくれていたのだ。そっと隣を歩くアルバートをうかがう。
「それはぜひ、見てみたいですね」
その声音には、話を合わせて無理に答えたような色はなく、リゼットは安堵する。
「私がクラーデン領にうかがう頃にも、まだ咲いているでしょうか?」
「……え?」
どういうことだろうか。思ってもいなかったことを聞かれて、リゼットは当惑した。
「……もしかして、ご存知なかったですか?」
アルバートもまた、少し困ったように、そして焦ったように言葉をついだ。
「オフシーズンの間に、互いの領地を訪問しあう、という話になっていて……、まずは、ハーシェル家の皆さまがお帰りになられるのに、僕がご一緒させていただく予定なんです。すみません、御父君から聞いているとばかり……僕からも言うべきでした」
「そうだったんですの」
リゼットも、なんだか混乱して、慌てて相槌を打った。確かに、この婚約はもとは領地同士の話だったのだから、互いの領地を見て回るという話になっていてもおかしくはない。何も話してくれなかった父に少し憤慨しながらも、アルバートの慌てた様子に申し訳なさが募った。
「アルバート様は悪くありませんわ」
「いえ、そもそも、あなたの意見を何も聞かずに話を進めてしまったこと自体、よくなかった。僕にも落ち度があります」
そこで、リゼットははたと気がついた。先ほどまで、アルバートは「私」と言っていたはずである。焦って素の話し方が出たということなのだろうか。
「……普段は、僕、とおっしゃるのですか?」
年上の男性に失礼ではないかとも感じたが、リゼットは気になって、つい聞いてしまった。
すると、アルバートはほのかに頬を染め、恥じ入るようにリゼットから目を逸らした。
「……はい、……その、あまり公の場にはふさわしくないと……」
「私とお話するときは、良いのではないですか?」
ささいなことだが、それだけで、ぐっと距離が縮まるような気がした。
「そう、ですね。すみません、僕も少し、緊張していて」
そう言ってはにかんだアルバートの顔は、今までの笑い顔とは少し違っていた。今までの、上品で社交的な雰囲気の漂う控えめな笑みではなく、取り繕ったところのない笑みだった。
ほんの一瞬のことだったが、リゼットはその笑みに目を奪われた。ふわりと瞬くように、その場が明るくなったように感じられて、戸惑いを隠せない。
その後もぎこちなく会話を続けると、アルバートの口調からだんだんと硬さが抜けていく。穏やかな時間が過ぎた。
「送っていただいてありがとうございます。お茶を飲んでいかれませんか?」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
控えめな笑みを浮かべ、アルバートはお茶の誘いを承諾した。
ハーシェル邸の玄関ホールに足を踏み入れた二人は、少しかすれたボーイソプラノに出迎えられた。
「姉さん、お帰りなさい」
「まあ、シャノン! もう帰ってたのね」
帰ってきたばかりだったのか士官学校の制服を身につけた小柄な少年が、二人のもとへ歩いてきて、アルバートに向かって軍式の礼をとる。
「初めまして、ノイマン卿。弟のシャノンです」
「初めまして、シャノン。僕のことは、どうかアルバート、と呼んでほしいな」
シャノンは少し驚いたように、アルバートをじっと見つめた。
「どうかしたの、シャノン?」
「いえ……こんなに優しそうな人なのに、兄上のご友人なんですか? 本当に?」
「もう、何を言い出すの? 本当よ」
リゼットは笑ったが、シャノンは本気で言ったようだった。苦笑して頷くアルバートに、ますます驚いたように目を見開く。が、すぐにはっと表情を改めた。
「遅れましたが、婚約おめでとうございます、姉さん、アルバート様」
「ありがとう、シャノン。さ、応接間でお茶でも飲みましょう?」
リゼットが促して、三人は応接間へ向かった。
それぞれが腰を落ち着けるころには、執事がお茶の支度を整えて入ってくる。
喉を潤してから、アルバートが口を開いた。
「ところで、シャノンはどうして士官学校に? ハーシェル家は武門の家系ではないようだけど……」
自分に話が振られるとは思っていなかったのか、シャノンは軽く目を瞠る。
「確かに、遠い親戚まで含めても、軍人の方は数えるほどですわね」
どちらかというと女系の家系でもあり、家を出て身を立てる男性が少ないのだ。
「その、自分は、幼いころから小柄で力もなく、顔も……姉さんにそっくりでしょう?」
顔をしかめて、シャノンは姉の方をちらりと見る。二人の顔を見比べて、アルバートはためらいつつもうなずいた。
「瞳の色が違うけど、たしかに似ているね」
「よく言われます」
リゼットは苦笑した。
「そのせいで、昔は姉さんの服を着せられたりしてたんですよ。シャノンも、女性に多い名前ですし……だから、女みたいだなんて言われない男になりたかったんです。それで、士官に」
不満が爆発したかのようにまくしたてると、シャノンは少し顔を赤くした。
「まだ全然、だめなんですけど」
かわいそうなことに、髪を伸ばしてドレスを着れば、シャノンはどこからどう見ても少女に見えるだろう。そんな容姿をした少年が士官学校でどんな苦労をしているか、想像に難くない。アルバートはゆるく首を横に振った。
「確かに体格や力は足りないかもしれないけれど、君の身のこなしには隙が無い。きっと立派な軍人になるよ」
見るからに争いとは無縁そうなアルバートに、なぜそんなことがわかるのか。姉弟の疑問は顔に出ていたのだろう。アルバートは困ったように微笑んだ。
「帝国では、常に護衛と一緒だったからね」
リゼットとシャノンは、そろって気まずげに目を伏せた。
「窮屈だったけれど、危険があったわけじゃないんだ。……素敵な国だったよ」
二人を安心させるかのように、アルバートは帝国での暮らしについて話して聞かせた。時折言葉を選んで考え込みながらも穏やかな表情で語られる異国の話に、姉弟は耳を傾ける。
和やかなティータイムであった。