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step 4. お会いできて嬉しいです


 王宮舞踏会を最後に大きな催し物はなくなったが、それぞれが領地へ帰っていくまでに、私的な社交は続けられる。


 リゼットたちハーシェル家も、一月ほど留まる予定だった。末子であるシャノンが王都の士官学校に通っているため、その長期休暇に合わせるかたちで、そろって領地のクラーデンに帰るのだ。

 その一月の間に、リゼットには大切な予定があった。


 王宮舞踏会から三日明け、とうとう婚約相手との顔合わせの日がやってきたのである。


「お嬢様、とてもお綺麗でございますよ」

「……ありがとう、マリー」


 よほど表情が強張っていたのだろう。緊張で硬くなったリゼットを見かねたのか、侍女のマリーが声をかける。鏡越しに目が合って、リゼットは弱々しく言葉を返した。


 今日のリゼットは、瞳の色と合わせた淡いブルーのデイドレスを着ていた。まっすぐなプラチナブロンドはゆるく編み込まれ、昼の装いにふさわしい流行の形に仕上がっている。髪飾りは近年流行をけん引しているブライス商会から買い上げた、お気に入りの一品だ。


 いつもなら、華やかな装いに微笑みを浮かべているところだが、緊張と不安に揺れた瞳が鏡に映っているだけだった。

 いよいよ相手の男性と会うという段階になって、急に現実感が込み上げてきたのだ。


 アルバート・ノイマン辺境伯。ルイスと同じ二十歳とまだ若くして爵位を継ぎ、北のルクセン帝国との国境に面したノーコット領の領主となった。二月ほど前までは、長らく帝国に遊学していたという。遊学する前は王都のパブリックスクールに通っていたためルイスは面識があるらしいが、この二月ほとんど社交界には顔を出しておらず、リゼットは会ったことがなかった。

 けれど、未婚の令嬢たちの噂話には、よく登場する名前だった。独身の若き辺境伯は、結婚相手として非常に魅力的である。加えて本人の情報が少ないものだから、皆想像を膨らませていた。ただ、王都から遠い厳しい北の土地に嫁がねばならないことに難色を示す令嬢たちも多く、噂をして楽しむに留める者が大半であり、結婚市場での人気はいまいちという結果に落ち着く。


 そんな人物が、リゼットの婚約する男性なのだ。

 悪い噂は聞かない。ルイスも手放しで褒めていた。優しい人であるといい……。


 少し前まで、フィリップでないのなら誰でも同じだなどと考えていたのに、いざとなるとそんなことを望んでいる。存外現実的な自分の思考に、リゼットは苦笑した。


 執事がリゼットを呼びに来た。アルバートが到着したのだ。

 意識して息を大きく吸って、リゼットは立ち上がる。確かな足取りで、父とアルバートの待つ応接間へと向かった。




 リゼットが応接間に入ると、父・ブライアンの向かいに座っていた男性が静かに立ち上がった。女性にしては背の高い方であるリゼットよりも、頭一つ分高いすらりとした体つきは、しなやかに細い。


 襟足にかかるくらいの黒髪に、優しい顔立ち。黒にも見える深い藍の瞳が、リゼットを見て少しだけ揺れた。


「お初にお目にかかります、辺境伯様」


 軽くひざを折ってリゼットが挨拶すると、アルバートはかすかな驚きの表情を消し、柔らかく微笑んだ。


「リゼット嬢、お会いできて嬉しいです」


 言いながら、リゼットの右手をすくい上げ、甲にキスのふりをする。貴族女性への、親愛を込めた最上級の挨拶だ。

 柔らかく落ち着いた響きの声は、どこか耳になじんで聴こえた。


(この声、どこかで……)


 ふと記憶を探るように黙り込んだリゼットに、ブライアンが庭の案内を提案する。はっと我に返り、リゼットはアルバートと連れ立って庭に出た。

 案内するといっても、ハーシェル家のタウンハウスの庭はそれほど広くはない。どこかぎこちない会話を交わしながら、さほど歩かずに二人は低木の前のベンチに腰掛けた。


 きっちり人一人分あけて座るアルバートの所作は、先ほどからとても静かだ。この静かな佇まい、ふるまいにも、リゼットは既視感を覚えていた。


「ところで、リゼット嬢。あなたは、この婚約の話が出た理由をご存知でしょうか」

「……理由、ですか」


 唐突な話題にいぶかしんでリゼットが問いかけると、アルバートは頷く。まっすぐに目が合った。静かな藍の瞳には、どこか探るような色がある。


 この婚約が政略であることは、リゼットにもわかっている。互いの領地経営に利の有る協力関係を結ぶにあたって、婚姻でそれをより強固なものにすること。また、家柄も年齢も釣り合う相手であること。様々な要因があるが、アルバートの求める答えは一体どれなのだろう。


「言葉を選ぶ必要はありません。あなたの考えを聞かせてください」


 なんだか、婚約者と会話をしているというより、家庭教師に問題を出されているような気分だ。

 頭の中を整理しながら、リゼットは慎重に話し出した。


「……クラーデン領に、援助をしてくださると聞いています。クラーデンのサミア毛糸を使って、ノーコット領で新たな産業を興すために、婚姻によって両家の結びつきを強めるのだと……。とてもありがたいお話です。クラーデンの経営は、サミア毛糸に頼ったものになってしまっていましたのに、ひどい事故でしたから……」


 ハーシェル家の領地であるクラーデンは、サミアと呼ばれる羊の仲間である家畜の毛糸が特産品として有名だ。

 しかし、一年前の落石事故で、サミアの毛の加工場は甚大な被害を受けてしまった。

 復興にはまだまだ時間とお金がかかる。その間なんとかクラーデンは食いつないでいかなければならないが、ハーシェル家もそれほど余裕のある家ではない。古くからの血統であるために伯爵位を戴いているようなもので、貴族としての体裁を保つのに苦労するほどではないけれど、贅沢できるほどでもない。


 そこに、アルバートが手を差し伸べてくれたのだ。聞けば、ノーコットは十年前の帝国との戦争から回復してきて、人口も増えてきているという。国境防衛の要となったことから慰労金、報奨金が支払われ財産は豊富だが、広大なノーコットを今後も養うには土地がやせていて、新たな産業としてサミア毛糸に目を付けたらしい。近年、クラーデンのような山岳地帯でなくともサミアを育てられることがわかって、クラーデンの持つ特殊な加工技術やサミアの飼育方法を教える代わりに、復興費用を援助してくれるというのだ。


 けれど、それだけならば。どちらの領、家にとっても利の有る話で、わざわざ婚姻を結ばずとも良好な協力関係を築けるだろうと、リゼットは感じていた。

 もちろん、リゼットが嫁ぐのに願ってもない良縁であることは間違いない。父としても、娘が嫁き遅れる前により良い縁を、と考えたのだろう。

 けれど、きっとアルバートの方にも、妻帯を急ぐ理由があるような気がしていた。



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