step 22. 嬉しいけど、怖いな
窓の外を染める白い景色を横目に、アルバートとルイスは仕事に追われる日々を過ごしている。
雪が降り始めてから半月ほど経った。すっかり積もるようになってしまった雪は、ノーコット城の中にリゼットを閉じ込める。ソフィアと話したり、図書室で本を読んだりして過ごしているうちに、リゼットはかなりノーコットに詳しくなった。これから生涯をここで過ごすことになるのだと思うと不思議な気持ちである。
そんな日の夜。夕食の席で、ルイスとアルバートがかかりきりになっていた仕事のめどがついたと報告した。二人とも肩の荷をおろしたといった表情で、食卓に流れる空気も穏やかだ。ルイスは珍しく饒舌で、アルバートも楽しそうに相槌を打っていた。
そして、夕食の後。
リゼットはアルバートに連れられて、城で一番高いという塔の階段を上っていた。ひんやりした石造りの階段は、かなり上ってもまだ先がある。
「ごめんね、あと少しだから」
後ろをついてくるリゼットを振り返って、アルバートは励ますように声をかけた。
リゼットはそれに微笑みで答えた。返事をする余裕がなかったともいえるが、いい運動だと割り切って真面目に取り組んでいたともいえる。
最上階にたどり着くと、解放感と達成感から、リゼットはため息をもらした。
そこは、小さな椅子とテーブルが置かれただけの、簡素な小部屋だった。椅子の近くに大きな出窓がある。どこまでも続く藍の空と、白銀に染まったノーコットの景色が広がっていた。
窓に近づいて外を眺めたリゼットは、思わず感嘆の声をあげる。
「綺麗……」
外は暗いが、家々の暖かい灯りが点々と照らしている。そして何よりも、空には美しい星々が瞬いていた。あと少しで満ちる月も、ほのかに輝いて見える。
ついてきていたはずのマリーたち使用人は、運んできたポットとカップをテーブルに準備して、下がってしまったらしい。小部屋の扉は細く開いていた。
アルバートはリゼットを椅子に座らせると、自分は出窓の枠に腰かけた。そして、慣れた手つきでカップにお茶を注ぐ。白い湯気がふわりと立ち昇った。
その湯気を見て、この部屋の寒さを意識する。耐えられないほどではなかったが、思わずリゼットは羽織っていた厚手のストールを胸の前でかき合わせた。
「寒いよね、ごめん」
言いながら、アルバートはカップに数滴蒸留酒を垂らした。熱いから気を付けて、と言って、カップを差し出す。
受け取って、リゼットは一口飲んだ。体の内側から温められるような味わいに、ほっと息をつく。
アルバートもカップに口をつけた。そして、小脇に抱えていた毛布を羽織る。視線は窓の外をずっと眺めている。そのまなざしに宿る優しさに、リゼットはどうしてここに来たのかわかったような気がした。
「ここは、アルバート様のお気に入りですか?」
尋ねると、アルバートは振り向いて頷いた。
「よくわかったね」
嬉しそうな声音に、リゼットは微笑んだ。
「星がとても綺麗に見えますから……」
クラーデンでも、アルバートはわざわざ外に出て星を眺めていたことを思い出す。
冬の星空は、澄んでいて、清廉で、遠く広い。心が解けていくような気持ちになる。
「君に、話を聞いてもらいたいなと思ったら、ここが浮かんだ。子供の頃、よくここに来たんだ。なんだかわからないけれど、好きだった……」
そう言って、アルバートは口をつぐんだ。迷うように落とされた視線は、カップから昇る湯気を追っている。
「アルバート様、私からお話しても、いいですか?」
リゼットも、言っておきたいことがあった。自分の今の気持ちを、はっきりと伝えたい。
アルバートは頷いた。
息を吸って、話し出す。
「アルバート様は、フィル兄さまの手を取らなくてよかったのか、と気にされていましたね。私の気持ちが、まだフィル兄さまにあるのではないかとも」
言葉を切って、首を横に振る。こちらを見つめる藍の瞳をまっすぐに見つめ返して、リゼットは続けた。
「一方的に理想を抱くような恋は、本当に相手のことを想っていると言えるのでしょうか。そんな風に思ってしまうのです。だから、たとえフィル兄さまが結婚しようと申し出てくれたとしても、今の私は決してお受けしません。……もう、終わったことなのです」
はっきりと言葉にすると、リゼット自身も納得する。過去は過去なのだ。どうか伝わって、と念じるように、その先も口にする。
「あなたと過ごした時間はまだそれほど多くないけれど、私は……婚約の相手がアルバート様でよかったと、心から思っています」
真剣な表情で聞いていたアルバートは、わずかに唇を震わせた。何かにたえるように目を瞑って、深く息をつく。
そして、どこか泣きそうな表情で、笑った。
「……君の気持ちは、伝わったよ。ありがとう……こんな風に僕と向き合おうとしてくれる君は、得難い人だ。ノーコットにとって……もちろん、僕にとっても」
その笑みは、ふと苦しげなものに変わった。
「嬉しいけど、怖いな」
アルバートはカップを脇に置いて、膝の上で手を組んだ。そこに、ぎゅっと力が籠められる。アルバートは大きく息を吸った。
「もう君も気がついていると思うけど、僕は意気地なしなんだ。どうしようもないくらいに。君のことを好ましく思うたび、その先が怖くなった。想いを返してもらえなかったら? 君が僕じゃなく、彼のことを想い続けていたら? もう、そんなに寂しい恋はしたくない……」
組んだ手を見つめるように、アルバートの視線が落とされる。
「君の想いやフィリップのことを引き合いにだして、何度も確かめるようなことを言ったのは、全部僕が臆病者だからだ。今まで、ごめん……僕の話を、聞いてくれる?」
揺れる瞳が、リゼットに向けられる。リゼットはしっかりと頷いた。