step 21. 上手くいくことを、祈っていて
視察を終えた翌日のリゼットは、メイドの面接に立ち会う予定だった。女主人であるソフィアが、リゼットのために雇うメイドだからと同席を強く勧めたのだ。
やってきたメイサ・ブライスは、はきはきと話す明るい少女だった。高い位置で結われた黒髪が、馬のしっぽのように揺れている。少しだけ目尻の吊り上がった茶色の瞳を輝かせて、ソフィアの質問に素直に答えている様子は、とても好感の持てるものだ。
もともと身元も確かである。ほぼ形ばかりの面接を終え、メイサの採用が決まった。
嬉しそうに帰っていくメイサの背中を見ていたリゼットは、ふと思い立って彼女のあとを追った。
「メイサ!」
振り返ったメイサは不思議そうな顔をしながらも、リゼットに向けて軽くひざを折る。
「ちょっと聞いてもいいかしら」
「はい、なんでしょう」
しっかりしているように見えるとはいえ、メイサはまだ十四歳だ。緊張が見てとれる。
リゼットは微笑んだ。
「ブライス商会は、ドレスや帽子だけではなくて、幅広い商品を扱っているわよね? たとえば、絨毯やなんかも」
「はい」
「お花の模様がきれいな絨毯は、ブライス商会で扱っているの? それとも、ノーコットの伝統的な模様なのかしら」
メイサは軽く首を傾げた。
「お嬢様は、領民の家でそれをご覧になったのですか?」
「ええ」
「それなら、公国時代からの伝統模様の絨毯だと思います。商会では扱っていません。商品としても、出回ってはいないかと。昔はそれぞれの家庭でよく作られていたそうですが、わたしも詳しくは……」
それだけ聞ければ十分だった。公国時代からのものであれば、ノイマン家の人々も知っているだろう。
「そうなの。ありがとう、ごめんなさいね、引き留めてしまって」
リゼットが礼を言うと、メイサはにっこりと笑顔になった。
「いいえ! それでは、失礼いたします」
その後ソフィアにも聞いてみると、花模様の絨毯はノーコットで昔から作られている伝統的なもので間違いないとわかった。毛をとれる家畜の数が少ないため、商品として売るということはほとんどしていないとも。
「視察で農家を回ったんだったわね。気に入ったの、リゼット?」
「はい、あまり見たことのない模様でしたから、印象に残ったのです」
「毎年少しずつ材料をためて、冬場に外の仕事ができなくなると、ああして絨毯にしたりして過ごすのよ。この城の中にも、使用人たちの作った絨毯がいくつかあるはず……使われていない部屋が多いから、仕舞ってあるかしら」
ソフィアが視線を向けると、控えていたハンナが頷いた。
「ほとんど仕舞ってありますが、アルバート様の執務室でおひとつ使っております」
リゼットとソフィアは、思わず顔を見合わせた。
「アルバート様は、今日は……お出かけの予定はなかったはずよね」
リゼットの問いかけに、ハンナが頷く。
ソフィアが嬉しそうに手を合わせた。
「ちょうど執務室にいるんじゃないかしら。リゼット、一緒にお茶でもしてきたら?」
輝く藍の瞳に背中を押され、リゼットは提案を受け入れることにした。
マリーにお茶の用意をするよう指示を出す。ノーコット城にきた最初の日、アルバートが嬉しそうに飲んでいた果実茶を用意することにした。
マリーとともに廊下を進んでいる途中、ハインツと行き会う。聞けば、やはりアルバートは執務室にいるらしい。
茶菓子も選んで、ワゴンを押すマリーを連れてアルバートの執務室へ向かう。
飴色の扉をノックすると、すぐに返事があった。
「リゼット? どうしたの?」
正面の机でペンを走らせていたアルバートが顔をあげた。机の上には紙やインク壺、本や帳面が乱雑に置かれていて、顔を挙げた拍子に本の山にぶつけた手をさすっている。傍に置いてある一人掛けのソファには、ルイスも座っている。彼はソファの前のローテーブルに広げていた資料を素早くまとめた。
「お茶でもいかがかと思いましたの」
リゼットが答えると、アルバートが何か言う前にルイスが口を挟む。
「ちょうどいい、休憩にしよう、アル」
アルバートは困ったように笑って、頷いた。ルイスの向かいのソファに移動する。リゼットも、ローテーブルを囲むもう一つのソファに腰かけた。
マリーが果実茶を給仕するあいだ、リゼットは床に視線を落とす。ハンナの言った通り、領地の家々で見たような花模様の絨毯が敷かれていた。
熱心に床を見つめているように見える婚約者の姿を不思議に思って、アルバートはリゼットを見ていた。声をかけようか考えていると、正面から視線を感じてルイスを見やる。
するとルイスは待っていたかのように口を開いた。
「クロフ家のこと、どう考えてるんだ」
クロフ家が参加するかどうかで、飼料の収穫量が変わり、飼育するサミアの頭数も変わる。クラーデン側にとっても無関係な話ではなく、できれば早く結論を出してほしいところだ。ルイスがティータイムに似つかわしくない話題を出したのも、不思議ではなかった。
考え込むようにアルバートが目を伏せた。ちょうど、湯気を立てるカップがローテーブルに置かれる。アルバートは果実茶を一口飲んだ。
「僕は、参加してほしいと思っている。クロフ家にとっても、それが最善だと思うからだ。これまでと同じ畑作を続けていくには、今のクロフ家には土地が広すぎる」
「……そうだな」
「……農地を減らしたくない気持ちは、わかる。これまでやってきたことを変えたくない気持ちも。でも彼らだけを特別扱いするわけにはいかない。すべてを取り上げるようなことになるのは嫌だ」
アルバートの声に、次第に熱がこもっていく。
「説得するのか」
ルイスの問いに、アルバートは顔を苦悩に歪めた。
「結局、彼は僕のことを認めていないんだ。若造に何ができるんだと……だから、認めてもらわないことには、始まらないだろうな」
まさに、アルバートが危惧していたことが起こっているのだ。
けれどルイスは口元に笑みを浮かべた。
「そのために、できることをしているんだろう。アルなら大丈夫だ」
「君に言われると心強い。……でも、彼は一筋縄ではいかない気がする」
再びアルバートが眉を寄せる。すると、ルイスがちらりとリゼットに視線を投げた。それまで黙って二人の会話を聞いていたリゼットは、急なことに少し驚いて兄を見返した。
「リズはどう思う」
ルイスの言葉に、またもやリゼットは驚いた。この手の話に女性が口を挟むことはあまり良しとされない。意見を求められるとは思っておらず、リゼットは慌てた。ルイスのまなざしは真剣だ。アルバートも、澄んだ瞳でリゼットを見ている。
「そうだね、リゼットの意見も聞きたい」
柔らかい口調で促され、リゼットは背筋を正した。
息を吸って、口を開く。
「……娘さんが、協力的でした。彼女のように、サイモンさんにもサミア毛の加工品に興味を持ってもらえたら、彼の考えも変わるのではないでしょうか」
リゼットの考えが及ぶ範囲は、やはり自分が関わってきたことに限られる。話しながらそう感じたが、それほど的外れでもなかったのだろう。ルイスは頷き、アルバートは微笑みを浮かべた。
「確かに、どんな品を作る予定なのか、その先まで話してみてもいいかもしれないね。きちんと勝算のある事業だと言葉を尽くして説明してみよう」
ノーコットで育てたサミアの毛から何を作るのか、リゼットもまだ知らされていなかった。話の流れから疑問がそこに行きついたリゼットは、素直に尋ねてみる。
「クラーデンで作っているのはコートや帽子、マフラーなどの装身具が中心だと聞いていたから、ノーコットで作るものはそれ以外がいいと思っているんだ。例えば、毛布とか、床に敷くラグとか」
クラーデンは小さな領地なので、サミアの飼育数もそれほど多くすることはできず、当然取れる毛の量も限られる。その限られた量で作る品で利益を出すために、貴族など上流階級向けの高価な装身具を中心に作っているのだ。
確かに、同じことをしてはお互いのためにならない。ノーコットの広い土地を生かして、装身具よりも多くの材料を必要とする品を作るというのは、とても利にかなった話だ。
そしてその話を聞いたリゼットは、思わず今いる部屋の床へ視線を落とした。
「アルバート様、ラグや毛布は、この絨毯のような模様で作るのですか?」
「え?」
肯定が返されると思っていたリゼットは、目を丸くしているアルバートを似たような表情で見返した。
「視察で回った家々にもこの模様の絨毯があって、気になっていたのです。ソフィア様に伺ったら、ノーコットの伝統模様だとか……」
「伝統模様、そういえば……」
アルバートは顔を喜色で輝かせた。
「模様については、考えていなかった。確かに君の言うように、この模様で作るのが一番いい」
「なるほど、最後のピースがはまったな」
ルイスも満足気に笑っている。珍しく優しい笑みだ。
リゼットは思わぬ賞賛に面映ゆく、それを隠すようにティーカップを傾けた。
アルバートからの視線を感じ、そっと伺った。リゼットと目を合わせて、アルバートがそれは嬉しそうな笑みを浮かべる。取り繕ったところのない明るい表情に、リゼットは以前もこの笑みを見たことを思いだした。屈託なく笑うアルバートは、普段の落ち着きとは打って変わって、周囲も明るくする瞬きのようだと、リゼットは思った。
翌日、アルバートはマシューとともに、クロフ家へと赴くことになった。ルイスは加工場の計画に関する仕事が片付かず、同行できない。
リゼットは、馬車に乗って出かけるアルバートを見送りに、城のホールへ来ていた。
「アルバート様、お気をつけて」
視察のときと同じようにグレーのコートに身を包んだアルバートは、緊張をにじませていた表情をほんの少しだけ緩める。
「ありがとう、リゼット。上手くいくことを、祈っていて」
今のリゼットにできることは、ただ待つことだけだ。クロフ家の選択がどうなるかだけではなく、アルバートの話も。
彼らを見送った後、リゼットは図書室で本を読んで過ごした。
空が薄暗くなってきたころ、ようやくアルバートたちは城へと帰って来た。
夕食の席についたアルバートは、疲れが見えるものの表情が明るい。
(きっと、説得できたんだわ)
ワイングラスを傾けながら、テオドールが今日の成果を尋ねると、アルバートは嬉しそうに口を開いた。
「クロフ家も、参加することになった。娘さんの意をくんでくれたんだ。サイモンには悔しい思いをさせてしまう分、報いたいと思うよ」
「そうか。……しっかりやりなさい」
領主という立場を引き継ぐには、責任だけでない重圧を背負うのだ。
長くノーコットを離れていたアルバートは、きっとこれからもそれと戦っていくのだろう。
「サイモンをはじめ、みんなはまだ、領主としての僕のことを計りかねているんだと思う」
真剣なまなざしでそう語る息子に、ソフィアは目を伏せた。しかしテオドールは、わずかに口角をあげてみせる。
「そうだろうな。でもお前は、帝国での時間を無為に過ごしてきたわけではない。みなすぐに気がつくだろう」
穏やかに、なんでもないことのように告げられたその言葉に、アルバートは目を瞠った。眉をさげ、思わずといったふうに息を漏らす。
「……父上は、甘くなりましたね」
言葉とは裏腹に、そう返したアルバートの声は嬉しそうだ。
親子のやりとりに、リゼットの頬も緩んでしまう。リゼットが関わった部分はほんのわずかだが、懸念が晴れたことを心から喜んだ。隣に座るアルバートへ顔を向けると、彼もリゼットを見返して笑った。
その日の夜から、例年よりいささか早足でやってきた雪が、ノーコットに降り始めた。