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step 2. ……叶わない恋なんだね?


 とても静かで、ふわりと柔らかい男性の声だった。突然の声かけであっても不思議と驚かないほどに、リゼットを包んでいる宵闇に馴染んで溶ける。


 柱の陰から一歩踏み出て、声のした方を向く。場内からテラスへと開け放たれた扉の傍らに、夜会服を着た人影が佇んでいた。すらりとした細身で、暗い色の髪は丁寧に整えられている。会場内が明るく、反対にリゼットのいる方が暗いせいで、逆光になり男性の顔はよく見えなかった。声音や佇まいから、おそらくはリゼットより少しばかり年上の、若い男性だろうということしかわからない。

 姿を現したリゼットを見て、相手は少なからず驚いたようだった。


「貴女のようなお若いご令嬢が、供もつけずに……どうしてこんなところに?」


 未婚の令嬢としては、あらぬ疑いをかけられても仕方のない状況だ。しかし、男性の声に咎めるような色はなく、むしろ案じてくれてさえいるようだった。

 リゼットは自然と、正直に訳を話そうという気持ちになった。


「その……、少し、一人になりたかったのです」

「一人に? ……不躾ですまないけれど、何か辛いことでも?」


 尋ねながら、男性はテラスへと降りてきた。リゼットから三歩分ほどの距離をあけて立ち止まる。


「いえ、そうではないのです。ただ、心の準備と言ったらいいでしょうか……」


 上手い言葉が見つからず、曖昧な返事になってしまった。相手がわずかに首を傾げるのがわかる。


「なるほど……それで?」

「え?」

「なぜ、心の準備を?」


 静かに尋ねるその声に、なぜだかつい話し出してしまう。


「……見ず知らずの方にお話しするようなことではないのですけれど……聞いていただけますか?」

「かえって知らない相手の方が、気楽かもしれませんよ。私でよければ」

「ありがとうございます」


 お礼を言うと、辺りが暗いためまだあまり顔は見えなかったが、微笑むような気配が伝わってきた。なんだか気恥ずかしくなって、顔を夜空へ向ける。男性も横に並んで、同じように空を見上げた。


(話しやすいように、気遣ってくださったのだろうか……)


 そんな相手の態度に安心して、リゼットは話し始めた。


「実は、ある方にラストダンスを申し込もうかと思っているのです」

「ラストダンスを……」

「女性からダンスに誘うなんて、はしたないことだとはわかっています。でも、ずっと憧れていたの。王宮舞踏会で、好きな方とラストダンスを……それが叶えば、きっと彼のことを思い出にできると思うんです」


 ここまで一気に話して、リゼットはふっと息をついた。そして気づく。きっと、こうして誰かに話を聞いてもらいたかったのだ。


 しばし黙り込んだリゼットに、隣に佇む男性は、労わるように柔らかな声で言った。


「……叶わない恋なんだね?」

「……ええ。想っているのは私だけで……それに、家格も釣り合っていません」

「想いを伝えるつもりはないの?」

「……ありません」


 それだけ答えてから、少し大きく息を吸う。


「……近いうちに、私の縁談がまとまりそうなのです」

「そうか、それで……」


 相手が納得したように呟いた。

 そうなのだ。つい先日、父から伝えられたことだった。相手についてはまだ聞いていないが、父親同士で話を進めているという。つまりは家同士の取り決めなので、リゼットは決まったことに従うしかない。


「はい。きっぱり諦めるために、最後に思い出が欲しくて」

「なるほど……しかし、大丈夫? 噂になってしまうのでは?」


 相手の懸念はもっともだろう。ラストダンスは特別な意味を持つことがある。決まった相手がいる人たちが踊るもの、という認識が強いので、未婚であり婚約者がいないものが踊っているとしたら、その相手と特別な関係であると示しているとみなされるのだ。


「全く噂にならない、というわけにはいかないでしょうけど……、彼とは従兄妹同士なんです。ラストダンスを、親や兄弟と踊ることもあると聞きました。彼は私のことを妹同然に思っていると親しい方々に紹介していましたし、大目に見ていただけると思います」

「確かに、家族と踊る人もいるね。貴女の言う通りかもしれない」


 相手が同意してくれて、リゼットは内心ほっとした。大丈夫だろうと思ってはいても、やはり第三者の意見があると心強いものだ。

 男性はさらに、リゼットを安心させるように続ける。


「それに、シーズンも残りわずか……。噂があっても広まる場所がなくなるから、問題はなさそうだ」

「そうおっしゃっていただけて、なんとか決心がつきました。ありがとうございます」





 親切な男性と別れ、リゼットは広間に戻った。煌びやかな空間がリゼットを出迎える。ひとつ深呼吸をしてフィリップの姿を探していると、慌てた様子でこちらに来るのが目に入った。


「リズ! ずいぶん遅いから探したよ!」


 決心がつかなかったばかりに、いらぬ心配をかけてしまったようだった。


「ごめんなさい、途中でお友達に会ったものだから、ちょっとお話ししていたの」


 そう言い訳をすると、ならいいんだけど、とフィリップが微笑む。こうして本気で心配してくれるような人だから、夢をみてしまうのだ。それが妹に対するようなものであっても、嬉しく思うことは止められなかった。

 でも、それももう終わらせなければならない。


「フィル兄さま、もうすぐ最後の曲ね」

「そうだね、これで今年のシーズンも終わりだ。どうだった? 初めての社交シーズンは。楽しかった?」


 金褐色の瞳をいたずらっぽく輝かせながら、フィリップはリゼットの顔を覗き込む。まるっきり子供扱いだ。胸の痛みを押さえつけるように、リゼットは笑顔を作った。


「とっても! 楽しかったわ!」

「それは良かった」


 満足気に頷くフィリップに、でも、と続ける。


「ひとつだけ、心残りがあるの」

「心残り?」

「ええ。わたし、ラストダンスを踊ってみたかったの。でもお父様が、婚約者がいないうちはだめだって……」

「それは叔父様に賛成だな。噂になってしまったら大変じゃないか」


 ここからだ。リゼットの心臓がどくんと大きな音をたてる。


「でも、家族と踊る人もいるわ。家族となら問題ないでしょう?」

「……まあ、家族なら……」

「それなら、フィル兄さま、私とラストダンスを踊ってくださらない?」


 まっすぐ目を見据えながらのリゼットの申し出に、フィリップは目を瞬かせた。虚をつかれたのか、たっぷり三秒ほどたってから、口を開く。


「……確かに僕たちは家族だけど、そうは思わない人もいるんじゃないかな」

「そうかしら? ルイス兄さまよりよっぽど兄らしいって、皆さんおっしゃっていたわ」


 リゼットの言葉に覚えがあるのか、フィリップは困ったようにうーんと唸って、しばし考えるそぶりを見せた。事実、ルイスとフィリップ共通の友人知人たちから、そう言ってからかわれていた。実の兄であるルイスは婚約者との時間を作るのに忙しく、妹のことはフィリップに任せきりだったのである。

 期待のこもった、それでいて不安そうなリゼットのまなざしをちらりと見返して、フィリップは苦笑した。


「……いいよ、君と僕ならそうそう困ったことにはならないだろう。でも、今回だけ。特別だ」


 リゼットは喜びで思わず泣きそうになったが、なんとかこらえて礼を言った。


「本当にありがとう、フィル兄さま!」


 そこでちょうど、曲が終わった。次が最後の曲である。

 幼いころから夢に見ていた、王宮舞踏会でのラストダンス。絵物語と違うのは、相手は生涯の伴侶ではなく、初恋の思い出になる人だということだ。


 文字通り、最後のダンス……リゼットの心情としてはそうなる。フィリップは親戚であるから、ダンスの機会自体は今後もきっとあるのだろうけれど。

 そんなことを考えながら、リゼットはフィリップの差し出した手をとった。




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