表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/25

step 19. 驚いたでしょう?


 昼食の席では、明日に催される晩餐会の話に終始した。

 これから幾度かそうした席を設け、領内の主だった者たちにリゼットを紹介し、事業についても話を詰めていく予定だという。

 明日は、領内でもノーコット城に近い領都とよばれる街の長官や商人たち、ノイマン家の土地管理人などを招待する。

 リゼットを紹介するというテオドールの言葉に、アルバートはわずかに顔を曇らせた。けれど、アルバートがどう思っていようと、リゼットの心はもう決まっているのである。決意もあらわに胸を張り、招待客についてテオドールにいくつか質問をした。


 昼食後、浮かない表情で散歩に出ると告げたアルバートにルイスがついていき、食堂にはテオドールとリゼットが残された。


「……リゼット。図書室にはもう行ったかね」


 重々しい声に身構えたリゼットだったが、問われた内容にすぐ緊張はとける。


「いいえ。まだですわ」


 テオドールはひとつ頷いて、テーブルの脇で控えていた執事のハインツに合図をした。


「いつでも好きに使いなさい」


 テオドールは、かすかにほほ笑んだようだった。リゼットは礼を言って、ハインツの案内で図書室に向かった。


 ノーコット城の図書室は、住居として使っている塔の一階部分の端に位置していた。

 深い飴色の扉がきしむような音を立てて開かれると、古い紙とインクの匂いが混ざった独特の空気が廊下へと流れ出てくる。


 足を踏み入れると、毛足の長い絨毯が足音を吸い込んだ。背の高い書棚が整然と並ぶ様は、見るものを圧倒する迫力があった。

 棚ごとに、分野の違う書籍を収納しているという。一通りハインツに説明してもらったリゼットは、ノーコットの歴史に関する書籍が収められた書棚へ歩を進めた。


 ハインツに頼んで、何冊か見繕ってもらっている間、リゼット自身も書棚を眺めた。歴史書だけではなく、ノイマン家の家系図などもあるようだった。そうして上から順に目を滑らせていくうちに、この書棚には不似合いな一冊が目に留まった。


 リゼットが幼いころ大好きだった、月のお姫様の絵物語だ。ハーシェル家の屋敷にあったものとは、少し装丁が異なっているように見える。手の届く位置にあったので、リゼットは思わず手に取った。


「ハインツ、この絵物語はこの書棚で合っているの?」


 リゼットの問いかけに、ハインツは頷いた。


「はい、そちらはこの書棚で合っております」


(どうして、絵物語が……)


 不思議に思ったリゼットは、中を開いてみた。記憶にあるのとそう変わらない場面が描かれているが、覚えのない文章がいくつも出てくる。


「広く出回っているものは、これをもとにして子供向けに簡略化されているのです」


 もととなった絵物語がこの書棚にあるということは、ノーコットで書かれたものなのだろう。思わぬ偶然にリゼットの心は浮き立った。

 幼いころ夢中になって読んでいたものと、どれだけ違うのだろう。気になって仕方なくなってしまったリゼットは、これだけここで読んでいくことをハインツに伝え、図書室の長椅子に腰かけた。


 リゼットが覚えている絵物語のあらましは、こうだ。


 夜空の世界に住む美しい月のお姫様は、ある特別な舞踏会でお日さまの王子と出会い、一目で恋に落ちる。お日さまの王子と舞踏会でラストダンスを踊ることを夢見るお姫様だったが、二人の住む世界の時はほんの少ししか交わらない。そしてお日さまの王子の輝きは姫にとっては眩しく、その身を焦がすほどだった。一緒にいられないことを悟った姫は、夜空の国で嘆きに暮れる。そんなとき、同じ夜空の世界に住んでいたお星さまの王子が姫の嘆きに気づき、姫の隣で瞬くようになる。星の優しい瞬きに慰められたお姫様は、やがてお星さまの王子を愛するようになり、求婚を受け入れラストダンスを踊るのだ。


 しかし、原典であるというこの絵物語は、記憶と大幅に違う点があった。驚きと興奮で、ページをめくるリゼットの手は止まらない。


 読み終えて、ある一つの考えにたどり着いたリゼットは、半ば放心していた。自然と力が抜け、持っていた本が手ごと膝に落ちる。その重みで我に返り、リゼットは本を閉じて立ち上がった。

 いつの間にか、そばにはマリーが控えていた。ハインツが本を運ぶついでに呼んできてくれたらしい。


 リゼットはマリーを伴って、ソフィアの部屋を訪れた。


「ソフィア様、おたずねしたいことがあるのですが……」


 遠慮がちに切り出したリゼットだったが、何からたずねるべきか考えがまとまらない。言葉を探すリゼットの手に絵物語をみとめて、ソフィアは微笑んだ。


「……驚いたでしょう?」


 その反応に、自分の考えが正しいことを確信したリゼットは、ようやく落ち着いてきた。


「はい。月のお姫様は、公女さまのことだったのですね」


 月のお姫様とお日さまの王子、お星さまの王子は、そのままノーコット公国の公女、帝国の第二皇子と王国の王太子の関係に置き換えられるのだ。


「公女さまの三番目の息子……初代ノーコット辺境伯が、ノーコットの作家に命じて書かせたものだと言われているわ。歴史書には残されなかったような出来事も、違う形で残しておきたかったのだとか……」


 史実として知ることができるのは、二人の貴公子に望まれた公女が王太子を選び、公国が王国の一部になったという簡潔な事実だけだ。公女がなぜ公国を存続させる道を選ばなかったのか、理由はわからなかった。


 この絵物語に残された話が事実だとすれば、歴史書に詳細な記録が残されなかったのが頷ける。王国が史実として公に認めてしまえば、両国の戦争はもっとはやくに始まっていてもおかしくなかっただろう。

 それくらい、この絵物語では、お日さまの王子ははっきりと悪役として描かれているのだ。


 月のお姫様がお日さまの王子に片想いをしているところまでは、子供向けのものと同じである。しかし、お日さまの王子は姫の想いを利用して、夜空の世界を乗っ取ろうと企んでいるのだ。その企みが成功すれば、お日さまの王子は兄を押しのけて次の王になることができる。あるきっかけでお日さまの王子の思惑を知ってしまった姫は傷つき、夜空の世界を守るためには何ができるだろうかと考えるようになる。そこで、同じ夜空の世界に住むお星さまの王子に相談すると、お星さまの王子は秘めていた想いを姫に打ち明け、一緒に夜空の世界を守ることを誓うのだ。

 月のお姫様とお星さまの王子が協力し合うことで夜空の世界は守られ、お日さまの王子は失脚する。


「公女が王太子に嫁ぐ前から、王国と公国は良好な関係を築くことができていた。第二皇子は軍部を任されていて、帝位を狙う野心もあった。公国を足掛かりに王国に攻め込んで、領土を広げようと画策していたそうよ」


 公女の働きで一時的に平和が保たれたものの、帝国の野心はくすぶっていたのだろう。そして先の戦争に発展したのだ。


「……では、本当に、そのまま描かれているのですね」


 絵物語の様相を呈していても、これは史実を伝えるために書かれたものなのだ。


「ええ、あまりにもわかりやすいから、当時王家からおしかりを受けたそうよ。改訂を命じられて、王国中に広まった月のお姫様の絵物語は、かなり抽象的なお話でしょう。こっちはもう、ノーコットにしか残っていないかもしれないわね」




 午後のお茶の時間までソフィアの部屋で過ごした後、リゼットは部屋でもう一度絵物語を読み返すことにした。


 お日さまの王子の企みが明らかになり、姫が深く傷つく場面まで読み進めたところで、リゼットの手は止まった。


 お日さまの王子に、自分の見たい姿しか見ていなかった、恋に恋をしていた、という月のお姫様の言葉を、そっと指でなぞる。身につまされる思いだった。多かれ少なかれ、フィリップへの想いにはこれに近いものがあったと思えてならないのだ。


 デビュタントの一年間、リゼットの知らないフィリップの姿を目の当たりにするたび、切ない気持ちのほかに、裏切られたような思いと、微かな失望があった。従妹に見せる顔だけがフィリップのすべてではないというのに、それを受け入れられない気持ちがあったのだ。

 そうした自分の心にどこかで気がついていたから、恋をあきらめるという選択ができたのではないかと思い至った。恋ではなかったとは思わないが、憧れが大半を占めていた幼いものであったのは確かだ。

 一年をかけて、少しずつ想いと決別することができた。


 人が一生の間に抱く恋情には、どれだけの種類があるのだろう。相手の数だけ違うのだろうか。そんなことを考えながら、リゼットは眠りについた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ