step 18. 帰ってきたくなかったのかしら
「こんな格好でごめんなさいね」
重ねたクッションにもたれて寝台で身を起こしたソフィアは、眉を下げて微笑み、リゼットを出迎えた。
朝食の席で、リゼットがソフィアの予定を尋ねたところ、部屋で過ごしていると聞いて伺ったのだった。
「お休みになっていなくて大丈夫なんですか?」
「平気よ。今朝は少し気分が悪かっただけで、もうなんともないの。大げさなのよ、みんな」
そう言うソフィアの表情は、たしかに明るい。
「さ、そこにかけてちょうだい」
寝台の脇には、二人ほど座れそうなソファが置かれていた。きっと寝台で過ごすことの多い女主人の傍で家人が過ごせるように、近くに置いているのだろう。リゼットは礼を言って腰かけた。
伴ってきたマリーが、ハンナの指示でお茶を淹れている。それを眺めているリゼットの視線を追って、ソフィアは苦笑した。
「家政婦長がお茶の指示までしているなんて、王都のお屋敷ではなかなかないでしょうね」
返答に窮したリゼットは、ソフィアを見つめ返すことしかできない。
「気がついたでしょうけど、ここは使用人が少ないのよ。ハンナはわたくしの侍女も兼ねているの。今まで、わたくしたち二人だけだったものだから……。使わない塔や部屋をほとんど閉めてしまうと、少なくても問題ないのよ」
リゼットが何を聞きたかったのか、ソフィアはすべてお見通しだったのだろう。女主人の担う家政について、ときどきハンナにも説明させながら、いろいろなことを話してくれた。
「……わたくしがあまり動き回れないものだから、今までほとんどハンナに任せていたの。これからは若い夫婦も住むことになるのだし、使用人を増やさなくてはね」
ソフィアはすっかり張り切っているようだった。
どの役職の人数をどのくらい増やすかといった具体的なところまで話が及ぶ。リゼットも今まで学んできたことを思い浮かべ、控えめながらも意見を述べた。
「仕事を教える時間も考えると、メイドだけでも早めに決めてしまった方がいいわね」
シーズンが再び始まれば、リゼットは王都へ戻る。次にノーコットへ来るのは、いよいよ嫁ぐときだ。そうなってから新しく雇うのでは心もとない。そのため、この滞在期間中に面接を済ませてしまおうという話にまとまった。
話し込んでいるうちにすっかり冷めてしまったお茶を取り換えるために、ハンナとマリーが退室する。扉が閉じられるのをなんとはなしに目で追っていたリゼットは、ソフィアに声をかけられて視線を戻した。
「ねえ、リゼット。あなたにはこれから苦労をかけるでしょうけど、いつでも力になるわ。なんでも相談してちょうだいね」
いたわるようなまなざしの優しさにアルバートが重なり、リゼットはわずかに動揺した。
「ソフィア様……」
「……アルがどうして帝国に行っていたか、知っている?」
話の流れが見えず戸惑ったリゼットだったが、すぐに答える。
「王太子妃殿下……皇女殿下と交換遊学だったと伺っています」
終戦後、両国の親交を深めるため、帝国の第一皇女と王家の血を引くアルバートが互いの国に遊学することになったという話は、アルバートとの縁談をきいてから勉強したのだった。当時リゼットは十歳であったため知らなかった。
王国側の人選がアルバートだったのには、様々な事情がある。王子は王太子殿下お一人であったこと、第一王女殿下はお体が弱く、第二王女、第三王女は幼すぎた。王家の血を引くという点で言えば公爵家の子息など何人か候補はいたが、決め手となったのはノーコット公家の血筋であったという。
「形式としてはそう。実態は、和平交渉に決着がつくまでの人質みたいなものよ」
リゼットとて、そこに考えが及ばないほど無知ではなかった。しかしはっきりと言葉にされると、胸に迫るものがある。そして、もう一つ気がついたことがあった。
「……皇女殿下が和平の証として王太子殿下に嫁がれたのは、二年前のことでしたよね」
「ええ」
ソフィアは目を伏せた。
「遊学が義務付けられていたのは二年前まで。帰国の許可はとっくに出ていたはずなの。……あの子、帝国で何があったのかしらね……」
帰国の許可がおりた、といっても、それはそのまま帰国命令とも受け取れるものだ。継承権は持たないとはいえ王家の血筋であり、辺境伯家のただ一人の後継ぎであるアルバートを、二年も異国に留め置いた理由はなんだったのか。帝国に残りたい理由があったのか、それとも。リゼットにはわからないが、これまでのアルバートの言動から、推測することはできる。
「帰ってきたくなかったのかしら」
軽い口調でソフィアはこぼしたが、表情は明るくない。リゼットは憂いをはらしたくて、迷いながらも口を開いた。
「そうではないと思います。勝手な想像ですけれど……アルバート様、婚約の顔合わせのときに仰っていました。領地のことを優先したい、それをわかってくれる人でないと結婚できない、って……」
「ま、そんなことをあなたに言ったの? なんて男なのかしら」
ソフィアは少女のように顔をしかめた。次々と移り変わる表情に、リゼットは知らず笑みがこぼれる。愛ゆえとはわかっているが、この母親は息子に対して手厳しい。
「でも、そう……」
その先は言葉にならなかったが、ソフィアは優しく目を細めていた。
ハンナとマリーが、お茶のお代わりを持って部屋に戻ってきた。使用人の採用について、主人の指揮のもと責任を持つのは家政婦長たるハンナである。メイドの採用について話を振ると、ハンナは心得たように頷いた。
「ハウスメイドでしたら、私の姪がちょうど年ごろでございます。領都の商家の娘ですし、父方の祖母が子爵家から嫁いできた方でしたから、作法も問題ないかと存じますわ」
「あら、あの子ももうそんな年なのね」
じっと話を追っていたリゼットに、ソフィアとハンナはかわるがわる説明した。
名はメイサ・ブライス。じきに十五歳になる十四歳で、ハンナの妹の末娘だという。
「まあ、ブライス家というと、王都でも評判の商家ではありませんか」
リゼットは目を丸くした。王都の社交界では、ブライス商会の扱うドレスや宝飾品を令嬢たちが競うように身につけていた。リゼットもいくつか所持している。
もとは公国で興った歴史ある商会である。王都でも評判を呼ぶほど勢力を伸ばしたブライス家は、下手な下級貴族よりも裕福だろう。
「縁談がたくさん来ているのでは……」
商家などの中産階級の子女が貴族家の上級使用人になるのはありふれた話だが、ブライス商会ともなると話は違ってくる。不安気につぶやいたリゼットに、ハンナとソフィアは顔を見合わせて微笑んだ。
「メイサは独立心の強い子なの。きっと喜んで働きに来ると思うわ」
ソフィアの口ぶりから、メイサという少女に俄然興味がわいてきたリゼットは、まずはメイサに声をかけようという提案にすぐさま頷いた。
家政についての話題も一段落したため、リゼットはソフィアの体調を気遣って退出を申し出た。
「では、昼食の後、またおいでなさいな」
ソフィアは柔らかく微笑んで、未来の義娘を見送った。




