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step 15. アルバートが決めたことだ


 石造りの堅牢なノーコット城は、荘厳なたたずまいでリゼットを圧倒した。ローランド王国の宮殿よりも、その守りが堅いものであることがうかがえる。二国の間で長い時を過ごしてきた一つの国家であったことを、まざまざと思い起こさせる。

 歓迎されていないのではないか。そんな考えが、リゼットの頭に浮かんでしまう。


 隣に座るアルバートが、深い呼吸を一つ漏らした。そっと伺うと、目は閉じられて眉根が寄せられている。腿の上に置かれた両の手が、固く拳を作っている。

 アルバートにとっても、長く離れていた城は緊張を強いる場所なのだろう。


(私は一人じゃないわ。そしてアルバート様も、一人じゃない)


 馬車が止まると、外側からドアが開けられる。アルバート、ルイスの順に降りて、アルバートの手を借りながら、リゼットもとうとうノーコットの地を踏んだ。

 一列に並んだ十人ほどの使用人が、そろってお辞儀をする。


 杖をついた男性が、ゆっくりと歩み寄ってきた。黒髪に灰色の目をしたその人は、どこかアルバートに似ている。似ているが、その表情は全く似たところがなかった。引き結ばれた口元とするどい目つきから、厳格な人柄であろうことが感じられた。

 しっかりと目を合わせてから、リゼットは膝を曲げてお辞儀をする。緊張したものの、染みついた作法は乱れることなくリゼットを助けた。

 杖をついた男性は、厳しい表情をほんの少しだけやわらげて、口を開いた。


「よく来てくれた。私がアルバートの父、テオドール・ノイマンだ」

「リゼット・ハーシェルと申します。よろしくお願いいたします」


 リゼットの名乗りに対してテオドールは一つ頷きを返した。そして、リゼットの隣に立つルイスへと視線を向ける。


「クラーデン伯ブライアン・ハーシェルの名代で参りました、息子のルイスです。この度はクラーデンへの援助並びにご子息と妹の婚約を許可してくださり、ありがとうございます」

「礼には及ばんよ」


 そう言って、テオドールは視線をついとアルバートに向けた。


「アルバートが決めたことだ」

「父上……」


 緊張で強張っていたアルバートの表情が、ほんの少し、泣きだしそうに歪んだ。

 父と息子は、まっすぐに目を合わせる。表情はさほど動かなくとも、テオドールの目は何よりも雄弁に息子をいたわり、慈しんでいた。


「アルバート。よく戻った。長い間、苦労をかけたな」


 アルバートは唇をわななかせ、絞り出すように答える。


「……はい。ただいま、戻りました」


 こぼれこそしなかったが、涙を湛えたアルバートの藍の瞳は、光を浴びて美しく瞬いた。

 その瞬きに目を奪われていたリゼットは、アルバートが気を落ち着かせるかのようにした深呼吸で、はっと我に返った。

 そこで、ふと思い至る。


(アルバート様のお母様は、体調がお悪いのかしら)


 本来なら、家族や客人の出迎えは女主人たる前辺境伯夫人の主導であるはずなのだ。

 前辺境伯夫妻はあまり王都の社交界に姿を見せないことで有名であり、その理由として夫人が病気がちであることは広く知られた話であった。馬車の中でアルバートが話していたこととも一致する。

 リゼットももちろん知っていたが、出迎えに出てこられないほどだとは思っていなかった。


 城内へと案内され、旅装を解くために一度それぞれの部屋へ向かうという段になって、リゼットは意を決してテオドールに声をかけた。


「夫人へご挨拶に伺いたいのですけれど、……よろしいでしょうか?」


 一拍ののち、テオドールは苦い笑みを浮かべた。


「すまない、客人を迎えるのは久しぶりでな……気を遣わせたな」


 リゼットは首を横に振った。


「外は冷えるから、妻は居間で待たせている。きちんと紹介するから安心しなさい」

「母上の具合は……」


 やりとりを気遣わしげに見守っていたアルバートが眉を寄せて声を上げたが、終わりまで言えずに口をつぐんでしまう。


「二人とも、心配はいらない。さあ、一度部屋へ」




 リゼットを案内してくれたのは、ノーコット城で家政婦長を務めるハンナという女性だった。白髪交じりのダークブラウンの髪はきつくまとめられ、年齢を感じさせないかくしゃくとした歩みで城の中を進んでいく。


「こちらがお嬢さまのお部屋でございます」


 臙脂色を基調とした温かみのある部屋を、リゼットは一目で気に入った。調度品にどこか個性が見られることから、ただの客間ではないことが伺える。


「ハンナ、本当に私がこのお部屋を使っていいのかしら?」


 まだ一度も会ったことがないのに、元は誰の部屋だったのかわかる気がした。

 リゼットの問いに、ハンナはほんの一瞬瞠目した。


「何をおっしゃいますか、お嬢さま。こちらのお部屋は、奥様がまだ旦那様のご婚約者様であった頃に使われていたお部屋です。奥様は、ぜひお嬢さまに使ってほしいと仰せでございます」


 嫁ぐ前に婚家に滞在する機会などそう多くはないだろう。まして嫁いだ後は女主人の寝室に移るのだから、この部屋の出番はあまりなかったはずだ。けれどもこうして細やかに整えられているということに、前辺境伯夫妻の婚約時代の関係がうかがい知れるようだった。

 家同士の利のもと嫁ぐリゼットとは違う。しかしこの部屋を使わせようという夫人の気遣いに、リゼットはおおいに勇気づけられた。想像以上の歓待だ。


 けれど、今はこの魅力的な部屋をゆっくり見ている時間はない。マリーの手を借りて旅装を解くと、リゼットはすぐに部屋を出た。再びハンナに案内を頼み、居間へ向かう。

 かつて一国の主の居城であったためか、ノーコット城の廊下は広々としている。ハンナとリゼット、二人分の足音が静かに響いていた。そこでリゼットははたと気がつく。


(廊下が広いのではなく、人が少ないのだわ)


 この城がどこか寂しげである理由が、分かったような気がした。

 やがてたどり着いた扉の前には、馬車の扉を開けてくれた執事のハインツが立っていた。

 ハインツはリゼットに一礼すると、室内へリゼットの訪れを告げる。


 居間には、すでにリゼット以外の面々がそろっていた。

 一人がけのゆったりとしたソファに腰かけた女性が、リゼットの姿をみとめて柔らかく微笑んだ。つややかな黒髪を低い位置で結った細面のその女性は、驚くほど華奢で儚げであった。けれど、アルバートと同じ色の瞳は生き生きと輝いている。間違いなく、前辺境伯夫人その人であろう。


「まあ、まあ、よく来てくださったわ。お出迎えできなくてごめんなさいね。わたくし、このごろはとても元気なのよ? でもみんな心配性で、中にいるように言われてしまったものだから」


 朗らかに紡がれるおしゃべりに圧倒されかけたリゼットだったが、抱いた印象はとても好ましいものだった。自然と笑みがこぼれてくる。

 リゼットは静かに膝を折ってお辞儀をした。


「リゼット・ハーシェルと申します。お気になさらないでください。素敵なお部屋をご用意していただいて、本当にうれしく思っておりますわ」


 夫人の顔が、ぱっと喜色に染まる。


「まあ、お部屋を気に入ってくれて嬉しいわ。でもわたくしの趣味で整えたお部屋だから、これからはあなたの好きなように変えていいのよ? ねえ、リゼットと呼んでもかまわない? ……あら、わたくしとしたことが、名乗りもせずにしゃべり続けてしまったわね。ソフィアよ。よろしくね」


 口をはさむ隙のないおしゃべりは、けれど聞いていて心地の良いものだった。


「どうぞリゼットとお呼びください、ソフィアさま」


 それまでやりとりを伺っていたアルバートが、少し慌てたように声を上げた。


「リ、リゼット」


 ぎこちない笑みを浮かべ、アルバートは自身が座るソファの隣を指し示す。


「ここに座って。お茶にしよう」


 リゼットがアルバートの隣に腰かけると、見計らったかのようにハインツがお茶の給仕を始めた。

 湯気とともにふわりと立ち昇る香りに、黙していたルイスが口を開いた。


「おや、甘い、よい香りがしますね。こちらは?」

「わたくしのお気に入りの果実茶なの。お口に合うといいのだけど」


 各々カップに口をつける。甘い香りと優しい味に、リゼットはほうと息をついた。意識してはいなかったが体は冷えていたようで、芯から温められるような心地よさにつつまれる。

 見かけによらず甘党なルイスも、気に入ったのか目を細めていた。


「懐かしい味だ……」


 安堵が滲んだ喜びの声をあげて、アルバートがまたカップに口をつける。カップを見つめるその優しい表情から、リゼットは目を離せないでいた。

 その表情を今は自分に向けてもらえないことが、ひどく寂しい。


 再会をはたした親子は、ルイスやリゼットを気遣いながらも、離れていた間のことを穏やかに語り合う。帰国してから王都で過ごした日々に話題が移ると、リゼットも積極的に話に加わった。



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