step 14. 父は厳しい人だった
王都からクラーデンへの道のりとは打って変わって、ノイマン家の馬車の中は重苦しい空気で満たされていた。
どうやら昨夜遅くまでお酒を飲んでいたらしい男性陣は馬車の揺れに顔をしかめているし、ルイスに至っては正面の二人を半ば睨むような目つきで眺めている。おそらくお酒のせいだけではないだろう。狩りの日からアルバートの態度は変わってしまったままだ。ルイスの目つきに関してはもともと鋭いので、リゼットの考えすぎかもしれないが。
(ノーコットに着くまで、このままなのかしら……)
まだ沈黙を楽しめるほど、アルバートと打ち解けられたわけではない。リゼットはだんだん気づまりになってきて、とうとう覚悟を決めた。
「あの、アルバート様」
リゼットの方へ顔を向けたアルバートは、不意をつかれたといった表情だった。幼くもあるがどこか怯えているようにも見えるその表情に、リゼットの気持ちも揺らいでいく。とても、ここ数日の態度の理由を問い詰める気にはなれなかった。不自然な間をおいて、別の話題を探す。
「……アルバート様のご両親は、どんな方たちでいらっしゃいますの?」
目を瞬かせ、ぎこちなく笑みを作ったアルバートは、ほんの少し眉を下げた。
「僕も、もう何年も会っていないけれど……」
そう言って目を伏せたアルバートの頬に、影が差す。
「父は厳しい人だった。いつも難しい顔をして忙しくしていたから、あまり……」
言葉を切って、伺うようにリゼットの方へ視線をよこす。リゼットは頷いて続きを待った。
「あの頃は戦時中だったから、余計にそう見えたんだろう。ノーコットは帝国との境界を守る砦を要しているし、父も辺境伯として司令部に身を置いていたからね」
淡々と語るアルバートの声以外、馬車の中は静まり返っていた。ルイスも真剣な目をしてアルバートの話を聞いている。
「今は、どうだろう……。家督を譲ると書いてよこした手紙は、穏やかなものだったよ。父も丸くなったのかもしれない」
少し笑うと、アルバートは再び目を伏せた。
「母は、……昔から病気がちだった。でも、よく話してよく笑う人だったよ」
ぽつぽつと語るアルバートの横顔は、ひどく寂しげだった。
(ご両親と離れて、異国でたった一人……)
アルバートの持つ静けさや落ち着きの理由を、改めて思い知るリゼットだった。家族仲もよく、戦争の被害もほとんどなかった田舎貴族のハーシェル家で育ったリゼットには、想像することしかできない寂しさ。
久しぶりの家族の再会が、温かいものであることを、リゼットは祈った。
クラーデンからノーコットへは、いくつかの領地をまたいで行く。急ぐ旅程ではないので、宿をとりつつ馬車でのんびりと二泊三日の予定だ。
アルバートのぎこちない態度にやきもきしながらも、やがてリゼットたちはノーコット領へと足を踏み入れた。
ノーコットは、百年ほど前までは小さな公国であった。ローランド王国とルクセン帝国に挟まれ、両国の緩衝材のような立ち位置で中立を保っていたが、ある一人の公女の誕生をきっかけに、三国は関係を変えることとなる。当時のローランドの王太子と、ルクセン帝国の第二皇子、二人の貴公子に望まれた公女は、公国の唯一の後継者であったにも関わらず、ローランドの王太子の手を取った。公国はノーコット領としてローランド王国の一部となり、王妃となった公女の三番目の息子がノーコット辺境伯として領主の任についた。
以降、帝国と王国の関係は緩やかに悪化の一途をたどり、先の戦争へと発展したと言われている。
公国であった名残からか、ノーコット領の外周は針葉樹がうっそうと生い茂る深い森が囲っている。王国側には古い砦の跡地があり、帝国側には今なお堅牢な砦がそびえたっている。
深い森の中は、昼間でも薄暗かった。
馬車の窓から外の様子を眺めていたリゼットは、初めて見る光景に驚いた。
かつては違う国だった領地。それを守るような森。その先にある帝国との国境。リゼットが嫁ぐのは、そういう土地なのだ。そして、かつての公家と王家の血をひく辺境伯家の一員となるということでもある。
(アルバート様は、本当に私と婚約してよかったのかしら……)
国境を守る厳しい北の土地に嫁ぎたがる令嬢は確かに多くはないかもしれないが、親の決めた縁に異を唱える令嬢もほぼいない。アルバートが社交界で大々的に相手探しをしていたなら、名乗りを挙げた家や令嬢は両手で足りないほどいたのではないだろうか。
リゼットは今更そんなことに思い至って、窓の外から視線を反対側に移した。隣に座るアルバートは、先ほどまでのリゼットと同じように窓の外を見ている。さらりとした黒髪に縁どられた横顔は、故郷の風景を懐かしむ穏やかさに満ちていた。
視線に気がついたのか、アルバートがリゼットの方へ顔を向けた。目が合うと、戸惑いをごまかすように微笑んで、そのまますっと視線をそらす。穏やかだった表情は、一瞬で強張ってしまった。
表情の変化はここ数日の態度から予想できていたが、それでもリゼットの胸はつきりと痛んだ。少しずつ、良い関係を築けていると思っていたのだ。リゼットはどうしていいかわからなかった。
態度の理由を問いたい、もっときちんと話がしたい、そう思っていたはずなのに、リゼットは怖くなってしまった。自分の気持ちも、アルバートの気持ちも、まるでなにもわからない。助けを求めるように向かいに座るルイスを見たが、ルイスは姿勢を保ったまま目を閉じ眠っているようだった。
リゼットは、暗い森の中、たったひとりで取り残されてしまったような心地になる。不安と緊張が膨らむばかりだったが、リゼットたちを乗せた馬車はやがて、ノーコット領の中心からやや帝国よりの高地にそびえるノーコット城へと到着したのだった。