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step 13. ちゃんと納得している?


 リゼットが玄関ホールに入ると、ちょうど家政婦長を連れたアニエスと行き会った。


「庭の準備は?」

「もう始められます。皆さまもちょうど戻ってきたわ」


 リゼットの答えに、アニエスは満足そうに頷いた。会釈して、家政婦長が階下の厨房へと戻っていく。料理を運ぶ指示を出しに行くのだろう。

 母娘の次の仕事は、お客様のおもてなしである。


 庭へ出てみると、狩りを終えた男性たちとその家族たちが、続々と集まってきていた。

 このガーデンパーティは領民たちとも垣根無く接する無礼講である。そして今年は、リゼットの婚約者をお披露目するという目的もあった。


 開始の挨拶をするため会場の中央へ向かっていくアニエスと別れ、リゼットはアルバートの姿を探した。食事が始まって少し落ち着いた頃合いに、アルバートを領民たちに紹介する段取りになっているのだ。

 あちこちに大きな丸テーブルが置かれた立食形式に変身した庭は、料理を運び入れる使用人たちと楽しそうな領民たちでにぎわっている。探し人はなかなか見つからなかった。


 藍色のデイドレスの裾が広がらないよう抑えながら、リゼットは人々とテーブルの間を縫ってアルバートを探した。しかしその道々で、顔見知りの領民たちからかわるがわる声をかけられる。婚約自体はすでに公表されているので、この機会に一言お祝いを言おうとしてくれるのだ。領民たちはみな、この手芸好きで穏やかな令嬢の婚約を心から喜んでいたのである。


 領民たちに笑顔で応えながらも周りを見回すリゼットの肩を、誰かが後ろからぽんとたたいた。

 驚いてリゼットが振り向くと、にこにこと笑うフィリップがいた。


「まあ、フィル兄さま!」


 いつも通りの笑顔を浮かべるフィリップに、先ほどのアルバートとの会話がよみがえり、リゼットの鼓動が跳ねた。動揺を隠すように、少し声を張り上げた。


「アルバート様を見ていない?」


 フィリップは首を傾げた。


「あれ、アルバートもリズを探してたよ。お披露目があるからって」

「行き違ってしまったんだわ」


 焦って来た方へ戻ろうとするリゼットを、フィリップが呼び止めた。


「まだ焦る時間じゃないから、ここで動かない方がいい。僕が探すよ」


 確かにやみくもに動き回ってまた行き違うよりは、背の高いフィリップに探してもらった方が早いかもしれない。リゼットはそう納得して、その場にとどまった。


「……リズ」


 視線を動かしながら、フィリップはふいにリゼットを呼んだ。その声は、いつもより少し低い。フィリップが真剣な話をするときの声音だった。リゼットは鼓動が早くなるのを感じながら、隣に立つ従兄を見上げた。


「君はこの婚約に、ちゃんと納得している?」


 この問いを、リゼットは不思議と冷静に受け止めた。答えは決まっていたからだ。


「もちろんよ」


 想いがどこにあったとして、リゼット自身が受け入れ進めた婚約だ。

 答えを聞いて、フィリップは思わずといったようにリゼットを見た。少し目を丸くしていたかと思えば、くしゃりと顔を歪めて満面の笑みを浮かべる。


「はは、なんだ、安心したよ」


 納得したかのように笑顔で何度も頷いて、フィリップは言葉を続ける。


「もしリズが辛い思いをしているようなら、僕が名乗りを上げようか、とか考えてたんだ」


 今度はリゼットが驚く番だった。まさか本当にそんなことを考えていようとは。アルバートはもしや予知能力があるのではないか。

 あいた口がふさがらないといったリゼットの顔を見て、フィリップはますます笑みを深めた。


「うん、まあ、ほんのちょっぴりだよ。万が一、というか。アルバートと君は上手くやっていけるんじゃないかって考えの方が大きかったからね」

「本当に、そう思う?」


 フィリップからどう見えているのか気になって、リゼットは早口で尋ねた。


「そうさ。今はまだ、離れたところからやっと聞こえるような声で会話しているようなぎこちなさだけれどね」

「なあに、そのたとえ」


 それきりフィリップは笑うばかりで会話にならなくなった。リゼットはたとえられたような自分たちを想像してみる。

 まだ距離は遠くても、ちゃんと会話をしているように見える、ということなのだろうか。


(確かに私たち、声は大きくはないわ)


 そんなことを考えた自分がおかしくて、リゼットも笑った。


「あ、いたよ、叔母さまのところだ」


 フィリップはやっとアルバートを見つけてくれたらしい。


「ありがとう、フィル兄さま」


 リゼットは笑顔で手を振って、アルバートのもとへ歩き出した。

 初恋の微かな傷跡を残して、フィリップを想う胸の痛みは、いつの間にか消えていた。




 リゼットが声をかけると、アルバートは深い物思いから覚めたように視線をさまよわせた。リゼットをとらえると、一瞬顔をこわばらせ、すぐに控えめな笑みを浮かべる。


(……あら?)


 アニエスの合図で食事が始まってからも、リゼットとの会話には応えるものの、ほとんど目が合わなかった。

 途中参加者たちに向けて紹介され、二人で挨拶をしたときも、アルバートの顔は笑みを貼り付けたようにぎこちなかった。

 リゼットの心の中に、どんどん不安が募っていく。


(後で話そうと言ってくださったときと、まるで態度が違うわ……)


 お互いに少し開きかけていた扉を、一方的に重く閉ざされたような感覚だった。


 その日の晩餐も、その後も。アルバートの態度は、まるで初めて会ったときのようによそよそしくぎこちないものだった。

 フィリップとのことが完全にふっきれて、一歩踏み出せたと思っていたリゼットは、気分がふさぐのを抑えられなかった。


 マリーに着替えを手伝ってもらい寝支度を整えながら、リゼットは鏡を覗き込む。

 淡いブルーの瞳が、惑いをのせて見返してきた。


「そういえば、お嬢様。フィリップ様のご滞在もあと少しですけれど、ハンカチはどうなさいますか?」


 マリーの声に、リゼットの意識が浮上する。ずっとタイミングを見計らっていたが、また前のような気安い関係に戻れた今日は、いい機会かもしれない。


「マリー、悪いのだけど、折を見て返しておいてくれる? 何か、お礼のお品もね」


 直接リゼットが返しに行って、蒸し返すのもどうかと思ったのだ。マリーは心得たように笑みを作った。


「かしこまりました。お任せください」


 明後日の朝、フィリップはプリスフォード侯爵家の領地へ発つ予定になっている。リゼットも、アルバートとともにノーコットへ出発する日だ。取引の詳細を詰めるために、ルイスも同行することになっていた。


(結局、クラーデンではアルバート様のお話は聞けそうにないわね……)


 アルバートの生まれた土地、ノーコット。来年には、自分も領主一家に名を連ねるのだ。

 秋が深まれば瞬く間にノーコットは冬を迎え、雪に閉ざされるという。


(どんなところだろう。そして、アルバート様のご両親は、どんな方たちなのかしら)


 初恋が過去になった今、リゼットの心は未来への不安で揺れていた。



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