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step 12. 僕の思い違いというわけでもなさそうだ


 男性たちを送り出し、アニエスとリゼットは屋敷の中に取って返した。

 これから使用人たちに指示を出し、パーティーの準備にかかるためだ。


 もちろん毎年のことなので彼らも心得ているが、最終決定を下すのは家の女主人たるアニエスである。今回から、リゼットも会場となる庭を任されていた。

 厨房の方へ向かうはずのアニエスが、玄関ホールでふと足を止めてリゼットを見つめた。


「お母様?」


 首を傾げるリゼットに、アニエスは一瞬迷うようなそぶりを見せた。


「……リゼット、あなた……」


 ホールを慌ただしく行きかうメイドやフットマンたちをちらりと見やり、アニエスは壁際へ身を寄せる。


「フィリップと、何かあったの?」


 目を丸くしたリゼットに何を感じ取ったのか、アニエスは少し慌てて続けた。


「いいえ、気のせいだったらいいのだけど、……フィリップがね、あなたを少し気にしているようだから」


 リゼットはますます驚いた。


「お母様に、そうおっしゃったの?」


 アニエスが首を振る。


「そのように見えたというだけよ」


 リゼットには、いつもと変りないように見えていた。そうでなかったのだとしたら、フィリップはリゼットが思うよりもずっと、想いを重く受け止めていたのかもしれない。

 フィリップが来る前に感じていた不安が、再び胸によみがえってきた。


 娘の顔が曇ったのを見てとって、アニエスはリゼットの肩をそっと撫でた。


「リゼットは、フィリップを慕っていたものね……」


 どんなことがあったのか、アニエスは感じ取ったのかもしれない。優しく微笑むと、うつむき加減のリゼットの顔を覗き込むように目を合わせた。


「こういうことは、時間が解決してくれるものよ。心配いらないわ……さあ、支度にとりかかりましょう?」




 すっかりパーティーの準備が整った頃、先に戻ってきたのはアルバートとシャノンの組だった。

 獲物や猟銃は預けてきた後らしく、同じ組で回っていた領民たちも身軽な恰好をしている。

 狩りで気が昂って楽しげな一団の中、アルバートとシャノンの表情が心なしか暗い。


 リゼットの視線に気がついたのか、アルバートが顔を向ける。迷うように眉を寄せたその表情に、リゼットの不安は増した。


(何かあったのかしら)


 話を聞こうとリゼットが歩み寄る前に、シャノンが走り寄ってきた。


「ごめんなさい、姉さん。僕、アルバート様に余計なことを言ってしまったかもしれない」


 シャノンは気落ちしているようだった。

 リゼットが続きを促すと、シャノンはためらいながらも口を開く。


「アルバート様に、フィル兄さまについて聞かれて……確かに僕もそう思ったから、何も考えずに答えてしまったんだけど……」

「ちょっと待ってちょうだい、アルバート様になんと聞かれたの?」


 要領を得ない弟の説明に、リゼットは焦れて聞き返した。


「フィリップが、リゼットのことを心配しているように見えるかと聞いたんだ」


 すぐ後ろから聞こえたアルバートの声に、姉弟ははっと振り返った。

 いつもと変りない穏やかな声とたがわず、アルバートの表情も、藍の瞳も凪いでいる。


「割って入ってしまって、ごめん」


 リゼットは、凪いだ瞳に縫い留められたように立ち尽くした。


「リゼット、少し話がしたいんだ。……いい?」


 庭の隅の方であるここは、声が聞こえるような範囲に他の誰もいない。リゼットは頷くと、シャノンに目配せした。

 シャノンは何か言いたげな表情だったが、すぐにその場を離れていく。

 それを見届けて、リゼットはアルバートに向き直った。


「……フィリップが、君を心配しているみたいなんだ。気がついていた?」


 リゼットは首を横に振った。


「いいえ。……ですが、さきほど……母にも似たようなことを言われました」

「そうか、じゃあ、僕の思い違いというわけでもなさそうだ」


 リゼットは、アルバートの顔を見ることができなかった。いつも穏やかな話し方をする人ではあるが、あまりに平坦な声音にリゼットの罪悪感が募る。


「リゼット。君は、このままでいいの?」


 虚をつかれ、リゼットは顔を上げた。何を問われているのかとっさに理解できない。

 雲が動いたのか、二人のいる場所に影がさした。アルバートの藍色のはずの瞳が、黒々として見える。


「……このまま、とは?」


 リゼット自身が驚くほど、声が震えた。だんだんと、この話の行く先が見えてくるように感じられる。これ以上聞きたくないと思っているのに、リゼットはアルバートの答えを待っていた。


「君の想いを知って、フィリップは少なからず君のことを考えたはずだ」


 アルバートは、黒く見える瞳を伏せた。言葉を探すようにしばしの沈黙がおりる。


「……そして、婚約者がどんな人間かを確かめた後、複数人に気づかれるほど君を気にしている」

「何を、仰りたいの……?」


 絞りだすようなリゼットの声に、アルバートは微かに微笑んで見せた。社交用の控えめな笑みにも似たそれは、今このとき、まぎれもなく拒絶をはらんでいた。


「もし、もしも」


 言葉を切ったアルバートの喉が上下に動く。


「もしも、彼が君を望むのなら……僕は身を引くということだよ」


 そう告げた静かな声に、リゼットは頭が真っ白になった。まるでもう何もかも決まったことかのように、迷いがないように感じられたのだ。

 すべてはリゼットの行いが引き起こしたこととはいえ、婚約を放り出すようなことを言いだしたアルバートに困惑してもいた。


「そんなことを、仰らないでください……」


 すがるような気持ちで、リゼットは言った。震える手を握りこむ。

 返ってきたのは、突き放すような言葉だった。


「どうして? 君の想いが叶うかもしれないのに」


(違う)


 リゼットはかぶりを振った。


(フィル兄さまが本当に私のことを気にしていたのだとしても、その感情は恋情ではありえない。私に想いを返すことができないからこそ、婚約した私を心配したのだわ)


 リゼットは自分の考えに確信を持っていた。ずっとフィリップを見てきたのだ。リゼットの想いを知ったからといって、フィリップにとって妹のような従妹以外の何者にもなりえないことはもう十分に思い知っていた。

 リゼットは、どうしたらいいのかわからなかった。アルバートの言うようにフィリップがリゼットを結婚相手として望むなどということは決して起こらないと確信していたが、それをどう説明すればいいのか見当もつかなかった。そして、アルバートの考えと申し出をこんなにも否定したいと思っているのがなぜなのかも、はっきりとしない。


 足元が、急に不安定になってしまったような心地だった。

 リゼットの動揺を見てとったのか、それまで凪いでいたアルバートの瞳が揺れた。


「……ごめん、リゼット」


 力なく肩を落としたアルバートは、ぐしゃりと混ぜるように前髪をかきあげた。


「言うべきじゃなかった。しかもこんな、一方的に……」


 アルバートの顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。柔和な印象が強いアルバートの退廃的な表情に、リゼットは目を瞠った。


(こんなお顔も、なさるのね……)


 二人はしばし、所在なさげに立ち尽くした。お互いに言葉を探して、気づまりな時間が流れる。


 やがて、庭の入り口の方からにぎやかな声が聞こえてきた。

 ブライアン達の組も戻ったのだろう。

 アルバートはそちらへ目をやってから、困ったように眉を下げた。


「本当にごめん、……また後で話そう」


 リゼットはすぐに頷いた。このままうやむやにしていい話ではなかった。

 ぎこちなく微笑んで、アルバートは庭の入り口の方へ歩いて行った。ブライアン達と合流するのだろう。


 リゼットも、会場の準備が整ったことをアニエスに知らせるため、屋敷の方へと歩を進めた。

 複雑な思いがリゼットの頭を支配している。ありえないことだが、もし本当にフィリップが手を差し伸べたら、リゼットはどうしたいのだろう。


 こげ茶の狩猟用ジャケットにつつまれたアルバートの背中が遠くなっていくのを視界の端でとらえながら、リゼットはある確信を得た。

 リゼットが、フィリップの手を取ることはない。


(終わらせる、と、決めた想いだもの)


 そもそも、成就しえない恋だったのだ、とリゼットは思った。婚約の話が出るまで見ないふりをしていただけで、リゼットも頭のどこかでわかっていた。いとこ婚は禁じられていないといっても、相続などの事情がない限り血が近いため避けるのが一般的だ。社交界でフィリップの周りにはたくさんの令嬢がいたが、従妹であるリゼットは頭数に入れられていなかった。そもそもこの年齢になってもフィリップの婚約がなされないのは、来年デビュタントを迎える王女殿下の降嫁先として名前が挙がっているからだというのは有名な話だった。

 自らが下した決断を覆すことはしない。そう思い直したリゼットだった。



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