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step 1. そこに誰かいらっしゃるのですか?


 社交シーズンの最後を華々しく締めくくる、王宮舞踏会。楽しげな人々のさざめきが満ちた会場の端、小さなテラスの柱の陰で、リゼットは大きく深呼吸をした。


 自分がこれからしようとしていること、先日父から伝えられたこと、そして自分の今後のこと……たくさんの不安がないまぜになって、リゼットを襲う。いつもなら見るだけで心が躍るというのに、ドレスも靴も何もかもが重く感じる。


 暗い気持ちを振り払うように、軽く首を振る。心を落ち着かせ決意を固めるために、一人になれる場所を探して、人気のないこの場所にたどり着いたのだった。


(大丈夫よ、悪いことをするわけではないんだから)


 言い聞かせるように呟いて、男性たちがするように拳を握ってみる。令嬢としてはあるまじき振る舞いだが、幸いここでは誰も見ていない。

 しかし、やはり不安は消えない。リゼットはため息をついて、空を見上げた。


 深い藍色の澄んだ夜空に、きらきらと瞬く星たち。束の間不安も忘れるような美しい光景に、あのときに見たシャンデリアの輝きが重なっていく。

 リゼットは、シーズン最初の夜会、デビュタントお披露目を兼ねた王宮舞踏会のときのことを思い出していた。





***


「リズ、もしかして緊張してる?」


 少しからかうような声音で問いかけられて、リゼットは顔をあげた。隣に立っているその声の主は、リゼットと目が合うと殊更に笑みを深める。

 面白がられていることにいい気はしないけれど、あまりに普段通りのエスコート役に、硬くなっていた全身が少し緩んだような心地だった。リゼットは無意識のうちに詰めていた息を深く吐いて、言葉を返す。


「……当たり前でしょう、デビュタントなんだもの」


 少し前に十六歳の誕生日を迎えたリゼットは、クラーデン伯ハーシェル家の令嬢だ。ここローランド王国では、十六歳になると親の許しがあれば結婚できるようになる。と同時に、貴族家の子女は社交界にデビューするのだ。


「そうだね、無理もない。でもいつも落ち着いているリズが、と思うとちょっとおかしくて」

「畏れ多くもエスコートしてくださるのがフィリップ様ですもの、よけいに緊張します」

「からかって悪かったよ」


 リゼットがわざと突き放したような言い方をすると、エスコート役であるフィリップは情けない顔をして謝った。そして、二人は顔を見合わせて笑いあう。


 フィリップとリゼットは、母親同士が姉妹の従兄妹同士であり、領地が近いため幼馴染のように育ってきた。その気安さで、こんなやりとりは日常的であった。リゼットの緊張も、少しずつ薄らいでいく。けれど、リゼットの懸念が完全に消えたわけではなかった。


 本来デビュタントのエスコートは、婚約者がいない限り父親か兄が務めるのが一般的だ。しかし領地で落石事故があったため領主である父親は王都に出てこられず、兄ルイスも婚約者のエスコートをすることになっていた。そこで、従兄でありまだ婚約者のいないフィリップに白羽の矢が立ったのである。


「でも本当よ、だってフィル兄さまよ。従妹とはいえ、しがない伯爵家の娘がエスコートされているときたら、ご令嬢方に目をつけられてしまうわ」


 リゼットの心配の種はそこにあった。隣でのんきに首を傾げている従兄様の名は、フィリップ・プリスフォード。家名がそのまま爵位に冠する古くからの名家、プリスフォード侯爵家の一粒種で、齢十八の未婚貴公子。婚約者もいないときている。これだけでも結婚相手として引く手数多だろうに、加えてフィリップは美男子なのだ。光をきらきらと反射する美しい金髪は緩やかに波打ち、瞳は活発そうに輝く金褐色。高く通った鼻筋をはじめとした整ったパーツがそろう顔立ちに、明るく朗らかな笑顔。想いを寄せるご令嬢は大勢いるという。それは社交界に出入りしていないリゼットですら容易に想像がつくし、実際、両親や兄からも話を聞いていた。


 それなのに、フィリップは自分の容姿や魅力について無頓着であるようなのだ。そんな態度だから、気取らなくて素敵、とよけいに人気が出てしまったと聞いている。

 フィリップが素敵で魅力的であることは、自分が一番よく知っている……リゼットにはそんな、悔しいような気持ちがあった。だからこそ、エスコートしてもらえるのはとても嬉しいし、同時に怖くもあるのだ。


「まあ、そんなに心配することないさ。会場にはルイスも来ているんだし、そもそもデビュタントはダンスで忙しくて他のご令嬢とおしゃべりする暇はあまりないみたいだよ」

「そうだといいけど……」

「ほら、もうすぐ入場だ。せっかく綺麗なんだから、笑顔で楽しめばいいんだよ」


 腕を差し出しながら、フィリップはリゼットに笑いかけた。なにげなく言われた誉め言葉に、思わず頬が熱くなる。言い方が兄のルイスと重なって、やっぱり異性として意識されていないのだと、少し胸が痛んだけれど。


 赤くなった頬を見られないように少し顔をうつむける。今日のためのドレスが目に入った。デビュタントを表す、純白の美しいドレス。そうだ、これからは沢山のドレスを着られるし、見ることができるのだ。リゼットの癖のないプラチナブロンドの髪も複雑に結い上げられて、瞳と同色の淡いブルーの髪飾りで彩られている。着飾ることは好きだ。不安なこともあるけれど、そう考えれば社交界も楽しめそうだと思えた。

 顔をあげて、フィリップに微笑み返す。差し出されている腕に、そっと手を添えた。


「改めて、今日はエスコートを引き受けてくださってありがとう」

「どういたしまして。さ、行こうか」


 いよいよ入場する時間となった。リゼットたちは、他のデビュタントたちに続いて会場に足を踏み入れる。眩いシャンデリアの輝きと、色とりどりのドレスの華やかな世界が、リゼットを出迎えたのだった。


***





(あのときはまだ、フィル兄さまがこんなに遠いだなんて……)


 想像すらしたことがなかった。本気で自分が侯爵夫人になれると思っていたわけではなかったけれど、夢をみていた。今までフィリップの婚約が決まっていない理由を、深く考えたことすらなかった。王女殿下の降嫁先の候補にあがっていることを知って、現実を思い知ったのだった。リゼットは所詮、社交界とはなんたるかを知らない、世間知らずの雛鳥だった。


 エスコートも、親しく会話をしていることも、すべてデビューしたばかりの世慣れない「従妹」だから大目に見られているのだということを、このシーズンを通してはっきりと理解した。そしてそれを理解したリゼットは、「妹のように思われている従妹」であることを必要以上に示してみせるしかなかった。自分の知らない顔をして笑うフィリップも、知らない口調で話すフィリップも、すべて、見ないふりをして。

 そうまでしてもそばにいたかったのだ。叶うはずのない想いであることを、自ら証明するようなことをしていた自分がひどく滑稽に思える。


 この夜会で、デビューのシーズンは終わってしまう。慣れていないことを理由に従兄を頼るのが許されるのも終わりだ。そして、そうでなくても、次のシーズンはもっと違ったふるまいをしなくてはならないことがわかっていた。

 今このときが、最後の機会なのだ。憧れを思い出に昇華するための。


 そうわかってはいても、リゼットはなかなか決心することができない。夜会もそろそろ中盤だろう。そんなとき、思案に暮れていたリゼットに、ふいに声がかけられた。


「失礼。そこに誰かいらっしゃるのですか?」



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