そして
10年後。
川澄由美子は自身の手で殺したはずの兄の所に会いに来ていた。俺は一度能力を使った事、過
去の記憶を消すために命の長さを操った事、自分たちの面識は初めてではなかった事、10年
前の一家惨殺事件の事、ここに来てようやく全てを思い出すことが出来た。由美子も俺が過去
の記憶を取り戻した様子に気付き、複雑そうな顔をしていた。
「場所を変えよう」
喫茶店の雰囲気が急に落ち着かなくなり、由美子に公園に行く事を提案した。先程の様子から
一変した彼女は返事の変わりに、首を一回縦に振るだけだった。俺達は店を出て公園までの
道のりを様々な事を思い巡らせた。
由美子はなぜまた俺に会いに来たのか? そこまでして思い出して欲しかった理由は何なの
か? 確か俺と再会した日。次の待ち合わせ時刻は深夜一時と言った。そして実際に呼び出さ
れた時刻は早朝。ただ話したい事があるから、もしくはあいつの自己中心的な性格から気まぐ
れの時間変更だと思っていた。
でももし、10年経っても警察の手から逃げているのだとしたら。俺は思い出さなければなら
ない記憶を今の今まで忘れ、最愛なる妹に全ての罪を背負わせてしまった事になる。
俺はあの事件の後、事件関連の記憶を全て失い街を転々としてきた。しかし運良くアルバイト
先の老人夫婦に面倒を見てもらい、何不自由のない生活を送ってきた。
だが妹はどうだったのだろうか。隣を歩く妹の顔を見る。真っ直ぐ前を向いて、何かを悟って
いるようにも見える。
「もうすぐ、公園だね」
視線に気付いたのか、それまで黙っていた妹が口をあけた。俺は慌てて目をそらした。
「そうだな」
未だに迷っていた。自首させるべきなのか、それとも別の方法があるのか。
「あのベンチに座ろうか、話したい事もあるでしょ」
そう言うと先にベンチへと走っていった。喫茶店から公園までの15分足らずの道のり。たい
して考えをまとめる事も出来ず、ベンチに腰かけ話を切り出した。
「これからどうするつもりなんだ?」
答えは分かりきっていても、この問いを聞かずにはいられなかった。
「自首するつもり。健一兄さんは一命をとりとめたかもしれないけど、父を殺してしまった事
に変わりはないわ」
俺はこういう時兄としてではなく、一人の男としてどうあるべきなのか。本当に妹の意思を尊
重し自首させるべきなのか自問いした。
「そうか、自首するんだな。偉いぞ」
また自分に嘘をつこうとしていた。
「うん、ありがとう。私兄さんと兄妹で良かった。」
ベンチから立ち上がる。俺はまた何も言う事が出来なくて、警察の元へ歩き始める妹の後姿を
見守るだけだった。
少しずつ妹との距離が開いていく。さようならも、ありがとうも、好きだったて事も伝える事
が出来なくて、自分に対する情けなさと悔しさから涙が溢れ出した。
妹が俺の事を好きだと明かしたあの時も。
「何も用がないなら、母さんの見舞いに行くぞ」
違う、能力なんか使わなくても好きだと言ってやれば良かったんだ。だから俺は、もう後悔し
ない為にも言わなければならない。
「待てよ」
妹がまた戻ってきて欲しい一心で叫んだ。
「一緒に逃げよう。10年逃げ切ったんだ。時効までの残り5年間もきっと逃げ切れるさ」
前を歩く妹が足を止める。だが、俺の方を振り返ってはくれなかった。
「逃げようってバカじゃないの? 貴方正気なの? 私は一度貴方を殺したのよ。ううん、そ
れだけじゃない。私と一緒にいれば社会的地位も抹殺されるわ。下手すれば共犯として裁かれ
てもおかしくないのよ? それでも良いの? 私は、殺人鬼は一人で十分よ。お願いだから、
そんな事言わないで」
10年前のあの事件。
鑑識の結果、父親と10歳の兄両方の血液反応が部屋から検出されるも、部屋に残された遺体は
惨殺された父のみだった。警察は唯一の親族である母親に事情を聞こうとするも、病状の悪化
から二度と返らない人となった。完全に迷宮入りするかに思えた事件。しかしマスコミが過剰
にこの事件を取り立て、少年法の改正が大きく騒がれた。
その結果、10歳の少女にも責任能力が問われるようになり、由美子に対する偏見は見るに耐え
ないものだった。もし今由美子が自首すれば、あらゆる報道機関から面白おかしく取り上げら
れ、
非人道的な殺人鬼。悪魔に心を売った少女。殺人罪の時効破棄、検察側は死刑を求刑。
そうなるのは目に見えていた。
10mは離れているであろう距離。それでも一目で妹の小さな体が震えているのが分かった。
泣き顔を隠そうとしている仕草が、より一層俺の心を締めつけた。
前に進めば死刑。自殺をしに行くようなものである。
「一緒に逃げよう。由美子だけに罪を背負わせない。俺は守りたいんだ。ずっと由美子の事が
好きだった。今も、全てを思い出してもその気持ちは変わらない」
由美子は消え入るような声でバカと言った。俺はその返事が嬉しくて由美子を力いっぱい抱き
しめた。
「今まで忘れててすまなかった。本当によく戻ってきてくれた」
辺りは日が落ちかけて、一日の終わりを告げようとしている。公園の遊具で遊ぶ子供ももうい
ない。俺達は月明かりが照らす前に公園を後にした。
1年後、俺は東京の大学を中退し杜の都仙台へと都落ちしていた。妹はというと、朝早くからス
ーパーのパートへと出かけており、昼は赤ちゃんの面倒を見たりと良き母の姿となっていた。
俺は大学での知識を生かし、小さな個人塾の講師をしていた。都会生活に比べれば、ここでの
生活は時間がゆっくり流れているように感じる。
時折、東北紙に一家惨殺事件の行方は如何に? と騒ぎたてる記事があったが、長らく続いた
世間の関心も大分落ち着きが見え始めていた。
当たり前の日常。家族の温もりを取り戻した俺たちにとって、この繰り返される平凡な日々
が、人一倍幸せに感じた。
「さて、家に帰るか」
生徒たちを送り出した後、一人塾を後にする。外ではあの時と同じように雪が舞っていた。
「あの日からもう1年経ったのか。」
思えば、喫茶店で10年ぶりに再会した妹の顔を忘れるなんて間抜けな話だよな。あいつは10年
経っても覚えていてくれてたみたいだけど。家に続く雪道を一歩一歩歩いていく。周りに高層
ビルや建物はなく、田や畑がどこまでも続いている田舎道。
やがて古びたアパートのドアの前で立ち止まる。俺達兄妹は決して罪から逃げたわけじゃな
い。なぜならあの日、俺は自分の命だけではなく、由美子の命も延ばしたからだ。
死ぬ事が許されない、永遠に罪の意識について考えていく。それがせめてもの罪滅ぼしと感じ
たからだ。
親殺しの罪。警察は今血眼になって俺達兄妹を追っている。いつ捕まるか分からない、いつこ
の日常が終わるか分からない。そんな不安定な日々でも、この限られた時間を共有する事に俺
達は幸せを感じている。
「おかえりなさい、健一」
由美子がドアを開ける。部屋から流れてくる暖かい風にのって、おいしそうな晩御飯の臭いが
運び込まれてくる。パパお帰り。俺達の双子の赤ん坊も優しく出迎えてくれた。
「今日は健一の大好きなシチューよ。冷めないうちに食べましょう」
どちらともなく唇を交わす。俺達は互いの罪を受け入れ、死ぬ事もなく永遠に生きていく。亡
き父と母への罪を一生かけて償うために。
読者の皆様お疲れ様でした。最後まで読んで頂きありがとうございます。
この作品を読まれてどうでしたか? 面白かった、つまらなかった。それぞれ感想があるかと思います。
前回の後書きの件ですが、迷った末バッドエンドを却下しグッドエンドを書いてみました。
また作中の事を少し話させて頂きますと、伏線の回収にとても苦労しました。母親は生きているのか、死んでいるのか。失われた記憶とその辻褄合わせ。由美子と健一の過去の関係などなどあげたらきりがないぐらいあり、いかに矛盾点を抑えるかが今回最大の争点となっていました。
とはいえ、第一作ということもあり、誤字脱字、文法上のミスなど読まれていた読者様には大変お見苦しい所を見せてしまい、申し訳ありませんでした。
一応1話目のはじまりから作者の気付く限り文章上の間違いは訂正してみました。
最初に比べれば少しは良くなっているかと思います。
後経験が浅いためか、プレッシャーがすごくかかり、恥ずかしながら何度も挫けそうになりました。
それでも読者様があってこそ、最後まで書ききる事が出来ました。本当にありがとうございます。
ではまた、次の作品でお会いしましょう。