ヒトラーの影武者
これはたった一人の無様でも生き抜こうとした一人の男の物語。
第2次世界大戦が終盤に差し掛かっていたころ、私は皆から総統閣下とよばれている人の部屋に呼び出された。周りには小銃装備の警備員がいた。緊張するなというほうが無理である。ドアの前に立った時、言い表せないものを感じたのは言わずもがなである。
ノックをして、入ると庶民の家とは一線を画したというか、画しすぎるほどの部屋だった。
「こんばんは。」
私は一言目で挨拶ができたということがわかっただけでもいいほうだった。
「まあ緊張しないでくれ。この程度で緊張していてはこれから大変だぞ?」
総統の言ったことの意味を私が理解したのは、それから数分後のことだった。正確に記述しておこう。数分間で私は少ない容量の脳みそをフル回転させて、意味を理解した。というべきだ。
「私に総統の影武者をやれとおっしゃるのですか?」
私の恐る恐るといった口調とは真逆に、総統の顔はほころんでいた。
「今の日独伊三国の情勢はどんどん悪化していっている。つまり、敗戦もそう遠くはない。かといって私がアウシュビッツで行わせてきたこと、その他多くのことを敗戦したのだから忘れてくれともいえるわけがない。そこで君の出番なわけだ。どうだい?やってくれるかい。」
総統の影を務めさせていただく。これは確かに光栄なことだとは思った。だが、敗戦を間近にしていると分かった状況で、私に影をやれという意味はほとんど一つしかないだろう。そうは思ったが私に拒否権などというものがある訳がなかった。
「務めさせていただきます。」
私が話すことを許されていると思う言葉をしっかりと選んだうえで、何とか震える声で答えた。
「それはよかった。」
わしが部屋から去ると同時に、総統室の電話が鳴っていた。
私にとっては不思議でしかなかった。一揆をおこし、刑務所にまで収容されたあの方が何に対して恐怖を抱いているのか。何を考えて私などを影としておくことにしたのか。帰り道、私はそんなことばかり考えていて、どこをどう通ったのかすらも覚えていない。気が付いたら家の前にいた。私は一人暮らし、家族もいなければ、親戚縁者もいない。これが決め手になったのかどうかは不明である。
「国を動かすなんてことは一切考えたこともなかった。そんな私にこの国を動かすことができるのだろうか。」
考えが考えを呼び、ご飯も食べず、眠いということも思わず、ただ部屋の真ん中に座り込んで気が付いたら朝陽が昇っていた。
「なんの指示も聞かずに帰ってきてしまった。」
わたしはそこで、確実にまずいことをやってしまったのではないかと思っていたが、そんな心配は無用だった。車での迎えが家の前に来ていた。
「お乗りください。」
運転手が私に話した言葉は、その一言だけだった。
どこへ行くのかも、なぜ行くのかも伝えられず、ただ車に乗っているだけ。数分か数時間か私には全く分からなかったが、いつの間にか眠りに落ちていた。昨日眠りもせず、ただ考えても仕方のないようなことを考えていた影響だろうか。
「お待ちしておりました。」
私の意識はその言葉で覚醒した。気が付けば私は、昨日とは違う、どこか安っぽいがしっかりとした風格がある家だった。
「こちらに着替えてください。話はそれからにしましょう。」
使用人なのか護衛なのかは分からなかったが、私は言われるがまま、渡されたものを着て、彼女の話を聞いた。
彼女の話が終わり、朝食の準備をすると言ってくれたので、私は彼女の言ったことを簡潔に頭の中で整理していた。
・総統の変わり身として用意されたのが私
・影武者として、総統からの指示を軍、政府に伝える。指示は護衛の人から逐一方向区がある。
簡単にまとめればこんな事だった。
私の任務はそれだけ。聞いたことを伝えてそれで終わり。それでいいのだろうかと始めのうちは思っていたが、時間がたつにつれてそんな考えは消えていた。
1944年7月20日。私にとっては奇跡ともいえる出来事が起こった。正確に記述しよう。私から見れば奇跡だが、周りから見れば大惨事、悲劇というべきだっただろう。私は軽症だったが数人の側近が死亡した。
その後は敗戦。私は自殺をして、ヒトラー本人は南米に逃亡した。
私の体には140リットルものガソリンをかけられ、焼却された。検死はソ連軍に渡された。
だが、どこの保険会社も私の死に対して保険金を払ってはくれなかった。要するに、ヒトラー本人が自殺したという根拠がなさ過ぎた、側近たちのヒトラーを逃がすための証言が曖昧だった。この二つが原因だろう。
私が影武者としてつけていたバッジはロシア連邦公文書館に保管されるといったことになっていたらしいが、ガソリンで私のいた証拠すべてを燃やされたはずである。なぜ残っていたのか、というよりもなぜソ連がそれを所持できたのか。そこが疑問である。
最後に私の健康状態についても記しておこう。影武者になった時、一つだけ本人と違うところがあった。私自身は始め、そこまで気にもしていなかったが、だんだんと進行していた病気があった。パーキンソン病だ。健康に気を付けていなかったわけではないが、菜食を基本にしていた本人も肉が嫌いだったわけではないようだが、肉好きの客に対しての嫌がらせが大半だったらしい。だが、ライオンと象の行動研究などから、野菜食にしていたということを漏らしていたらしいが、本当のところはよくわからない。だが、私個人として言わせてもらえば、野菜食を中心にしていた。理由としては至極簡単。そう言った指示があったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけである。
考えてみてほしい。もし、自ぶん自身が彼ならば雇われたか、それともどん底に住み続けるかを・・・