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遺作

作者: Hoomin
掲載日:2016/10/20

開館時間を過ぎた美術館の中は一切の照明が落とされ

美術品は暗い夜の闇へ溶け込むようにその姿を隠していた。

だがそんな美術館で一箇所だけ、淡い照明が

その空間を浮かび上がらせるかのように光を放っている。

そこは、未だ何も飾られていない絵画展示用のスペース。

そして、私がこれから一枚の絵を飾るためのスペースだ。




「一枚、絵を飾らせて欲しい」


私がそう申し出た時、館長は酷く苦い顔をした。

当然だ。いくら懇意にしていた相手の申し出だからといって

簡単に了承できるわけもない。しかし


「あいつの遺作なんだ」


その一言で、館長の目の色は変わった。

そして興奮を抑え切れない様子で、館長は何度も私に

本当に彼の遺作なのか、間違いはないのかと質問を繰り返した。

私の何度目かの「間違いない」の言葉を聞くと

館長は急いでマスコミや知人への連絡の準備を始めた。


絵を飾ることを了承してくれた館長に

私は一つの条件を提示した。それはこの絵を飾る際は

館内に誰もいない時間に、私一人の手で行わせること。

多少訝しげな顔をした館長であったが

彼の絵をこの美術館に収めてくれるならと

その条件を飲んでくれた。

やがて各マスコミへの連絡が済んだ館長は興奮した面持ちで

これは一大ニュースになる、こんなに嬉しい日はない、と語りはじめた。

しばらくそんな館長の言葉に付き合った後、私は礼を告げ美術館を去った。


そして今私はここにいる。

抱えているのは厚手の布がかけられた一枚の絵画。

私の親友の最期の作品。




静謐な印象を受けるこの場所で

私は彼のことを思い返していた。

時代の寵児として日本に絵画ブームを巻き起こした天才画家。

その絵は海外でも高い評価を受け、一枚の絵に億の値がついたこともある。

テレビや雑誌といったメディアはこぞって彼を取り上げ

日本中の注目を受ける存在としてもてはやされていた。

彼の非凡な感性や卓越した表現力はその絵を見たものならば

すぐに理解することが出来るだろう。

彼の作品は、人間の思考や理屈といったものを超越し

その魂とも呼べる部分を揺さぶるのだ。

だからこそ、彼の作品を見た者は無意識のうちにその眼から涙を溢れさせる。

理屈などでは到底説明できない感動を魂に叩き込まれる。

私の親友はそんな作品を生み出すことの出来る男だったのだ。


だが彼は、彼の心は

日本中の人々の期待や注目を受けとめるには

あまりにも敏感で繊細すぎた。

自らの感性の衝動の赴くまま筆を走らせる彼にとって

周囲の期待は恐ろしいほどの重圧となり

それが彼の筆を止めてしまうことも一度や二度ではなかった。

また、評論家の見当違いの賞賛も彼を困惑させた。

自分勝手な解釈で絵を評論し、作品に対して

固定的なイメージを植えつけようとする評論家集団を彼はひどく嫌悪した。

そしてそれが、そのまま芸術という世界への不信感にも繋がった。

そんな彼の苦悩に気づくものは誰一人としていなかった。親友の私でさえも。


彼が自殺をしたのは一週間前。アトリエを兼ねた自宅で、首を切り裂き絶命していた。

人気の絶頂にあった彼の死に世界は驚愕し、悲嘆したが

その死をもってしても誰一人として、彼の苦悩を理解しようとする者はいなかった。




彼の死の前日。私の元へ、彼から一本の電話が届いた。

内容は「明日、俺の家に絵を取りに来て欲しい」と一言。

私がどういうことかと聞き返す前に電話は切られてしまった。

そしてその翌日、私は約束どおり彼の家を訪れ、彼の死体を発見した。

傍らには、一枚の絵。

その絵を見た瞬間、私は全てを理解してしまった。

彼の苦しみを、そして、それに気づかなかった自分の愚かさを。

その絵からは彼の苦しみが、私の中に恐るべき勢いで流れ込んできた。

絶え間ない嗚咽と嘔吐感。全身の震えに溢れる涙。

彼は、これほどまでの苦しみの中にいたのか。

そんな彼に、自分はどうして、気づいてやれなかったのか。

手を、差し伸べてやれなかったのか。

強い後悔と、深い懺悔の念に

その場で舌を噛み切りたい衝動に駆られたが

必死になってそれに耐えた。


しばらくして、なんとか身体を動かせるようになった私は

震える手でその絵を回収した後、警察を呼んだ。


それから約一週間、ようやく私はこの絵を公開する決心をした。

この絵は、世界中の人々に見せなければならない。

世界中の人に、理解させなければいけない。

彼の、苦悩を。




絵を覆う厚手の布を取り外し、壁に取り付ける。


取り付けられた絵を、少し離れた場所から私は見た。

その絵に描かれていたのは、どこまでも深く、昏い闇。

闇は、照明の放つ光に照らされてなお昏い。

そして、闇の中に浮かび上がるのは赤錆色の染み。

闇の中を、のたうちまわるように赤錆色の染みは走っていた。

心が押しつぶされる感覚、初めてこの絵を見た時と同じ嘔吐感。


愚かな人々よ見るがいい!

彼の苦しみを、痛みを、彼を追い詰めた我々の罪深さを!

ここに描かれた闇は彼の心だ。我々は知らねばならない!

一人の人間の苦悩の果てを、昏い闇に囚われた彼の悲しみを、嘆きを!

我々の身勝手が彼を追い詰めてしまったのだ!

彼の死を嘆くな!悲しむな!

我々に彼の死を悲嘆する資格は無い!

悔いるのだ!我々の過ちを!


心の内から沸き起こる衝動に耐え切れず私はその場から立ち去った。

飾られた絵は明日の朝、マスコミによって世界中にその姿を映すだろう。


これが、私が彼に対してできる唯一の贖罪だ。






<蛇足:ある評論家の手記>


あの絵を見たときに、私は驚愕した。

いや、あれを絵画と、芸術と呼んでいいのかさえわからなかった。

それほどまでにあの絵は異様だった。


そして、絵を見ているうちに私は理解してしまったのだ。

彼の、死の真相を。


世界の芸術観を変えたとまで評される彼の絵。

彼の絵は「感情の迸り」によって描かれる。

緻密なデッサンやテーマ性など唾棄するかのように。

そして描くものは彼自身の「内面世界」。

そう、人間の心の奥底にある深い部分だ。

そして、絵を見る側である我々は同様に

内面世界でその絵を見ることになる。

そこには人の心の深い部分での触れ合いが生まれ

他では決して味わえない感動を覚えるのだ。


しかしあの絵はどうだろうか。

どこまでも、どこまでも深い闇。

彼は、完成させた絵を見て気づいてしまったのだろう。

自分の心が、もはや取り返しのつかないほどに

昏く、深い闇に染まってしまったことに。

だから彼は絶望した。そして、死を選んだ。

彼にはもう描くべきものが存在していなかったのだから。




あの絵は画家の親友であった男によって

画家の死後一週間が経過して展示されたものだという。

なぜ、男はあの絵を飾ろうと考えたか。


私は思う。男が見せたかったものは

あの「絵」ではないのではないか。

きっと、男が見せたかったものは

「絵」の背後に広がる、凄惨な「死」の光景。

血飛沫を浴びたあの絵の背景には

恐らく、あの画家の最期の姿があったのではないか。

苦悩と絶望に彩られた、彼の描く絵をも超える光景が。

そう、あの絵は画家の死の光景の一部なのだ。

男は、それを見てしまったのだろう。


だが私は、その男の行動に敬意を表したい。


あの絵には、芸術世界の新たな可能性が見える。

あらゆる表現手段が試され、もはや創造も技巧も

枯れ果てた現代芸術に差し込んだ一筋の光明。

男が絵を公開することで、世界はその可能性に気がついた。

画家の死と、その親友の勇気によって

新たな芸術世界への扉は開かれたのだ。

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