5
「ごきげんよう」
「まあカロリーヌ様、今日もよいお天気ですわね」
「シャルル様、おはようございます。爽やかな笑顔が今日もお素敵ですわ!」
瀟洒な鉄のアーチの下を、馬車がからからと轍の音をたててくぐり抜けていく。
ここは荘厳なゴシック建築が立ち並ぶ、由緒正しきお貴族様御用達校、聖バルトロ学院だ。
正面玄関に次々と乗り付けられる通学馬車。
お揃いの制服姿の刺繍きらめかせているのは紳士淑女の縮小版、お嬢様、お坊ちゃまの団体様である。
まあ、ごきげんよう、
昨夜の夜会では失礼いたしましたわ、などと。
生徒たちがかろやかに社交をこなしていると、また一台、通学馬車が到着する。
見慣れない馬車の扉が重々しく開いて、中の乗客が降りてくる。
「どうぞ、お嬢様」
執事にうやうやしくうながされて、小さな靴をはいた足がタラップを踏みしめておりてくるなり、周囲がざわめいた。
ふわりとなびく長いアッシュブロンドの髪に、きらめく青灰色の瞳。
馬車から現れたのは世にも可憐な制服姿の少女だった。
思わず頬ずりしたくなる白い頬、ふっくらとしたサクランボを想わせる紅い唇。
皆が見とれる中、少女は鞄を持たせた執事を従えて、威厳すら感じさせる無表情で歩いていく。
「ま、あ、どなたですの、あのお方……」
「転校生の方かしら。でも国内にあのような高貴なご令嬢がおられましたかしら」
「もしやお忍びの外国の王族の姫君とか」
皆、興奮して、新顔の生徒を眼で追う。
一方、皆の注視をあつめた高貴なる〈少女〉は、外観に似合わない悪態を胸の内でついていた。
(ったく、あの兄馬鹿男っ。明日から学校だから早く寝ないといけないよとか言いつつ、一晩中、枕元で怪音波を発してくれて!)
エンドレスで聞かされた子守歌のせいで寝不足だ。すわった眼で、はじめての学校をみすえる。
今日の私は制服姿。
立ち襟フリルのブラウスに紅のクラヴァット、それにグレイのケープがついた可愛らしい上着とベストにスカートをあわせている。
学院行を決めたのは昨日のことなのに、ティルマンの手できっちり用意されていた制服がすぐにクローゼットから取り出されたところがなんとも言えない。サイズは当然、ぴったりだ。
席はすでにあるし、転入してきたわけでもないので、事前にロザに聞いた通りの道順を歩いて、自分の教室までくる。
この学院の構成は男女混合一期二組、七期制になっているそうだ。
(ここね?)
しっかりと第三期ウィンダミア担任教室と装飾文字で書かれた札を確認して、磨き抜かれたオーク材の重厚な扉に手をかける。
と、中から生徒たちの声が聞こえてきた。
「ねえ、お聞きになりました? あの(・・)コスタス家の令嬢が登校なさったのですって!」
ぴくりと私の手がとまる。
自分の噂話がおこなわれているところへ入るのはけっこう難しい。どうしようと迷う間にも、噂話は男子生徒まで巻きこんで大きくなっている。
「噂の病弱少女か? 本当は単なる引きこもりだって聞いたぞ。名家に生まれながらまともに外へも出られない出来損ないなんだ、さぞ我儘な不細工だろうな」
「そんな扱いにくい妹君ではアドリアン様もお気の毒ですわ、いいお荷物でしょうに」
「狙おうと思えば王妃の座だって狙える家柄というのに、宝の持ち腐れとはこのことだな」
貴様ら、聞こえているぞ。というより聞こえてもいいと思っているだろう。私は思わず舌うちをもらした。
事前にさんざん執事のティルマンに脅された。
この学院にいるのは宮廷序列に敏感な貴族の子弟ばかり、ここでの優劣が将来、社会にでても続いていく。そのため、学院内でも互いをライバル視してくるらしい。
『学院に入るのは序列争いに参戦するとの意思表明でございます、お家のため、しっかり戦ってきてくださいませ』と、念入りに髪をとかされてきたが。
(私、単にここを避難場所にしたいだけなんだけどなあ……)
とはいえ、ずっと立っているわけにもいかない。思いきって扉を開ける。
「おはよう!」
声をかけて中に踏み入る。とたんに教室がしんっと静まり返った。
「はじめて登校してきたけど、私はマリー・ブランシュ、どうぞよろしく」
ティルマンに教えられたお嬢様作法で丁寧に一礼する。ほんとうはもっとお嬢様言葉を使えと言われたけど、背中がむずがゆくなるからこれくらいで許してもらおう。
顔をあげてにっこり笑うと、さあ、受けてたってやると胸を張って身構える。
なのに、しんっ、と、教室に沈黙が広がった。誰も動かない。
これでは喧嘩もかえない。じれて再び口を開こうとした時、急に扉近くにいた男子生徒が大声をだした。
「あ、あのっ、はじめましてっ」
うわずった声で話しかけてくる。
「あなたが噂のブランシュ嬢なのですね。僕の名はルイ、よろしければ席までご案内します!」
おい、なんだその歓迎ぶり、豹変ぶりは。
私は引いた。声からするとこの男子生徒はさっき悪口を言っていた奴だ。
よく見ると、男子生徒が頬を赤らめている。これってもしやもしかして……。
(顔? 顔なの?! 顔で態度を変えたの、あなた!!)
自分で言うのもなんだが確かにこの顔は可愛い。いろいろ言いたいことのあるアドリアンだが、こと造形に関してはいい仕事をしている。
だがしかし、外観でいきなり態度を変える男には女として腹がたつ。
(くっ、一発、喝を入れてやりたいところだけど、今の私はお嬢様なのよね。しかも正体がばれたら体を狙われるレアな存在で……)
悪眼立ちをするわけにはいかなわない。怒鳴りたいのを我慢して、表情を隠すために横を向く。とたんに周囲がどよめいた。
「つ、つんでれ? いや、クール幼女様か?!」
「素敵、安易に媚びないところがかっこ可愛いですわっ」
男どもばかりではなく、女たちまでが頬を赤く染めている。特に最前列の女子など、今にもリボンやドレスを取りだして着せ替え人形をはじめんばかりの鼻息だ。
ちょっと待て、どうしてそうなる。しかも幼女というのはなんだ、幼女とは!
(今日の私はティルマンのお子様ドレスじゃなくちゃんと制服を着てるわよ?!)
でもそれは一部の女子だけで、あとの女生徒は、さすがはあのアドリアン様の妹君、お近づきになったらお兄様に紹介していただけるかしら、などと頬を赤く染めてささやきあっている。
アドリアンはけっこうもてるらしい。妹というだけで恩恵にあずかれるほどに。これって喜ぶべきなのだろうか。なんとなく照れくさいような、気恥ずかしいような自慢なような、それでいてちょっと胸がちくっとするような。本物の妹でない分、複雑だ。
そこへロザがころころと笑いながら現れた。
「おはようございます、登校初日から人気者ですわね、リル様」
「ロザ!」
知った顔を見つけてほっとする。
「どうでして、学院の感想は?」
「なんだか注目されて視線が痛い」
「リル様は一度も邸の外に出られたことありませんし、アドリアン様は有名人ですから、皆、好奇心でいっぱいなのですわ」
「アドリアンが有名人? ああ、シスコンの変態としてね」
「あら、違いますわよ。アドリアン様は大陸中の学び舎がぜひ教鞭をとってほしいと熱望する天才ですもの。あなたをつくりだすのはそんな学者たちの手を蹴っての研究。アドリアン様のすげない態度には、大陸中の学者が涙するほどでしたわ。胸をお張りあそばせ」
そう言われても才能の無駄使いしているようにしか思えない。大陸中の学者たちとやらが泣く気持ちがわかる。
「それにあの方、公の場で女性に声をかけられませんから、寡黙な貴公子として女性の憧れなのですわ。うちの兄も社交界に興味はないですから、よく二人で連れだってさっさと抜け出しますの。なので秘密の恋人と一部の婦人がたの間ではそちらでも有名で」
「……ごめん、どうコメントしていいかわからない」
とりあえず私が注目を浴びる理由はよくわかった。
「ところでロザはよく学院に来れるね。オーギュストさんのことだから片時も離さんとか言うかと思ってた。だってアドリアン、今朝もうっとおしくて」
「あら、私を誰と思われますの。あの兄の妹を十四年もやってますのよ? 殿方は押しては駄目、逃げても駄目。あなたにふさわしい妹になるために涙をのんで学校へ行きますと言えば、感動して邪魔してきませんわ。人は生まれてくる場所は選べませんもの、なら、せいぜい有効利用して幸せにならなくては」
真理だ。思わずロザを師匠とあおぎそうになった時、廊下のほうから甲高い少年の声が聞こえてきた。
「え? アドリアン従兄上の妹が登校してきてるって? どの女だよ!」
扉を蹴り開けるようにして、少し赤みがかった見事な金髪の少年が現れた。
ぱっちりとしたブラウンの瞳。
睫毛が長くてカールしている。癖のある金髪と白い小さな顔があいまって、少女のように見える可愛い少年だ。聖バルトロ学院の制服を着て、同学年を示す赤いタイをつけている。
少年は教室を見回すとすぐ私を見つけた。見慣れない女生徒の姿に、初登校のアドリアンの妹と判断したのだろう。つかつかと歩みよってくる。
互いの顔がはっきり視認できる距離まで近づいて、彼が足を止めた。まっすぐこちらを見つめたまま動かない。
なんだと見返すと、彼の首筋から頭頂部へとみるみる赤みがのぼっていった。
「え、えっと……」
これはなんだ、てれているのか?
私がどう反応していいかわからず首をかしげると、彼が勢いよく顔を背けた。そしてあわてたように手をふりながらわめく。
「い、言っとくけど、そんなに見つめても無駄だからなっ」
「は?」
「俺が動きを止めたのは見とれたからじゃない、アドリアン兄上に面影が似ていたから、つい、兄上が少女だったらと妄想してしまっただけでっ。勘違いするなよっ」
ツンデレか。
誰だ、こいつは。しらっとした眼で見つめると、ロザがこっそり耳打ちしてくれた。
「アドリアン様のお従弟のジョルジュ様ですわ」
「従弟? じゃあ、親戚?」
「一言で言うには難しいですわね。ジョルジュ様のお母君はアドリアン様の母君の姉姫ですけど、コスタス家とは政敵のお家に嫁がれたので。いわゆる講和を結ぶ人質嫁ですわね。ですから親戚といえるかどうか」
なんなんだ、その戦国時代な結婚理由は。
「でもジョルジュ様は熱烈なアドリアン様崇拝者で、毎日後をつけまわすわ、日記はつけるは、邸から出すゴミまで調べまくる凝り性で。ですからリル様のこともご存じですの」
「ストーカーか」
前にオーギュストが、あともう一人、秘密を知るガキがいると言っていたのは、きっとこの少年のことだ。それにしてもシスコン馬鹿兄といい、この一族にはまともな人間はいないのだろうか。
私が顔をひきつらせると、ロザがさらっと言った。
「財産がからむ同族ほどやっかいな敵はいませんけど。ジョルジュ様はアドリアン様に敵対行動をとらない方ですから、各種粘着行為をかけられてもティルマンも命をとらすにいますのよ。いざという時、獅子身中の虫として使えそうと判断して」
訂正。濃すぎる執着と倫理観無視は遺伝ではない。環境だ。
気の毒な少年を見ると、彼は一人でジェラシーを燃やして苦悩している。
「く、悔しいっ、た、確かに顔はいいけど、俺だって負けてないしっ。兄上のために髪も伸ばしたし、睫毛だってカールさせていつでも可愛い妹役を引き受ける気満々なのにっ」
いやいや、男なんだから妹役は無理だろう。
でも今は眼の前にいるこの少年が問題だ。やかましい。私が非難をこめて見つめると、どう解釈したのか少年が胸を張った。
「ふん、宣戦布告のつもりか? うけてやるよ!」
「別に。私はちょっと静かにしてほしいだけで……」
「強力なライバルである俺を黙らせたいって? それはこっちも同じだよ。っていうかお前、兄上そっくりな姿でぼりぼり頭をかくな、イメージが崩れるっ、もっと上品にできないのかっ」
と言われても。
教室内を見る。上品に手を口元にあてて笑っている女生徒たちがいる。
「お、おほほほ……?」
「……気持ち悪いからやめろ」
どっちだ。
「とにかく、俺はアドリアン兄上の関心を奪うお前が気に喰わない。だから追いだしにきてやった。ありがたく思え!」
初対面で偉そうな態度をとってくる相手が気に喰わないのはこちらも同じ、あの邸を出ていきたいのも同じだ。だが、行く場所がない。だからこそ乳母車押し込めの刑などの危険に怯えながらもあの邸にいるわけで。
「……お子様はいいね。不満でも私は生活力がないもの。悪いけど出ていってあげられない」
「なんだそんなことか」
あっさりとジョルジュが言う。
「ならうちの別邸を一つくれてやる。だからあの邸からさっさと退去しろ!」
「ほ、本当? 本当に家を一軒くれるの?!」
「ああ、使用人つきでゆずってやる。だから兄上への権利はすべて俺に譲渡しろ!」
「するする、全部渡す!」
ジョルジュの背後にきらきらと後光が差して見えた。お金持ち万歳。
気を散らす相手が邸内にいなくなればアドリアンも少しは元に戻す方法を考えるだろうし、自分が本気だと知らせるためにもこの家出はぴったりだ。それにこれ以上、アドリアンの心についてもやもや考えなくてすむ。
「じゃ、放課後よろしくね。あ、荷物はないから。身一つでいいかな?」
「お、おう……! 即決だな、お前。漢前というかなんというか……」
約束をとりつけて、私はご機嫌になった。
周囲では駆け落ち? 駆け落ちなのか? それとも誘拐? と妙な声があがっているが気にしない。ふんふん鼻歌を歌いながら席につく。
階段教室の一番後ろが私の席だった。右隣がジョルジュ、左がロザだ。
ちょうど始業の鐘がなって、担任らしき男が教室に入ってくる。なんとなくなつかしく感じる雰囲気の教壇を見つめていると、男がこほんと咳払いをした。
「あー、今日からコスタス家のマリー・ブランジュ嬢が出席しているのは皆ももう気づいているだろうが。それに加えて、新しい担任の教師を紹介する」
新しい担任?
なんだ、今教壇にいる人は担任ではないのか。私は首をかしげて前方の扉に注目した。すると軽快な足取りで長身の男が一人、入ってくる。
彼はアッシュブロンドの髪をきらめかせると、にこやかにあいさつした。
「僕が新しい担任、アドリアン・ルネ・デ・ラ・コスタスだ、よろしく」
私は机に突っ伏した。駄目だ、再起不能だ。動けない。
「ど、どうしたんだいリル、気分が悪いのかい?!」
アドリアンがあわてて教壇からこちらへ向かってくる。その際、教壇に手をついてひらりと乗り越えるといった無駄にかっこいい動作をはさんでくれるから、教室中の女子プラス男子一名が、きゃあーーと黄色い声をあげる。
長い足で階段状になった教室の一番後ろまで駆け昇ってきたアドリアンが、心配そうに私を抱きかかえて額に手をあてた。
「……熱はないな、ということは熱も出ない大病か?!」
「んなわけないでしょっ、私は健康体よっ」
アドリアンの手をふりはらうと、蹴りを放つ。
「どうしてあなたがここにいるのよっ。しかも担任って、あなたいってらっしゃいって見送ってくれたはずよね?」
「もちろん。だけどその後リルが心配だったからすぐここにきて学長にかけあったんだ。コスタス家は代々この学院の理事だから、どんな融通も利くよ」
「寄付金ちらつかせてのゴリ押しですか?!」
「それよりリルの気分が悪いのはこのクッションのきいていない椅子がまずいのかな、それとも教室の空気? よし、すぐ最高級の寝椅子をとりよせよう! 換気のほうも学院中の校舎をすぐに改装させるから安心おし!」
いらんわ! 私は胸の中で毒づいた。
そんなことで私は机に突っ伏したのではない、空気を読め!
「あのね、私、ただの一生徒になりたいの、だからほっといて。それに一人になりたくてここに来たのに、あなたが来たら意味ないじゃないっ」
「え? もしかしてリル、僕から離れたくて学院へきたの?」
アドリアンの顔がくもっていく。ま、まずい。真実がばれたら出席禁止されてしまう。
どうしようとあわてていると、ロザがこそっと横から耳打ちしてくれた。
「え、えっと、違いますわ、お兄様。私、お兄様のおられない学校で修行して、成長した姿を見せてびっくりさせたかったのですわ。なのにお兄様にこんなところに来られてしまっては、リル、困っちゃう」
ぱくぱくと腹話術の人形のように、与えられた鳥肌が立つセリフを棒読みする。
アドリアンの顔がふわっとほころんだ。見とれるくらいに幸せそうに、魅力的に。
「なーんだ、リルのてれやさん。ごめんね、そんなこと考えてくれてたんだ。じゃ、なるべく遠くから見るだけにするね。だから担任職についてることは我慢して。可愛いリルを担任するのが別の男って考えただけで相手の首をへしおってやりたくなるから」
いや、それ、意味ないし。
というかその程度で殺人を犯さないで、頼むから。
「じゃ、また後で。授業は各教科担当がおこなうから。本当は全教科、僕が講義したかったけど、そういう事情なら我慢するよ。僕は教員室で待機してるから、わからないことがあったらすぐに聞きにくるんだよ?」
暗に休憩時間には質問にきてねと強制して、アドリアンが弾む足取りで教室から出ていく。私は頭を抱えた。学校へいきさえすればこの馬鹿兄から逃れられるなど甘かった。なんとなくアドリアンの言動が嘘くさいと思っていたけど、それは気のせいで、本気で彼は兄馬鹿なのだろうか。
わからない。
というか連日の溺愛熱愛猛攻撃に、いつの間にか〈アドリアン〉ではなく、〈馬鹿兄〉と胸の中での呼称が変わっている。あの暑苦しい男を〈兄〉と認めたみたいでむちゃくちゃ腹が立つ。
やだやだやだ、〈妹〉なんかに絶対なってやんない。
なんだかわからないけど、そんなふうに自分ん心が納得してしまったら、もう終わりな気がする。
隣の席を見ると、ジョルジュがあこがれのアドリアンに担任になってもらっちゃったと、ノートを抱きしめてそわそわしていた。
「いいものだなあ、コスタス家の身内と同級ってのも。俺、もう学院に住みこもうかな」
私はジョルジュの襟首をひっつかんだ。顔をよせてささやく。
「念のため確かめるけど、初期の目的を忘れてないよね? あなた今日の放課後にちゃんと私の家出を手伝ってくれるのよね?」
「はっ、俺としたことが。兄上の笑顔があまりにまばゆくて、つい」
言いつつ、ジョルジュは早くアドリアンのいる教員室へ質問に駆けつけたくてたまらないのがばればれのそわそわぶりだ。
「いや、だが、家出といってもこの調子では意味ないんじゃないか。うちの別邸に潜んでもすぐに察知されるだろうし。いや、逆に考えるとお前をうちに招けばもれなく兄上が来てくれるのか。一緒にお茶も可能かも……」
「あのね、すぐ連れ戻されたら家出にならないでしょ! あなた、私を恒久的にあの家から追いだしたいんでしょ、だったら一緒に考えてよ! 私、まだこの国のことがよくわからないから自力じゃ無理なの!」
「うーん、でも兄上は優秀な方なのだ、いくら策を講じようが察知なさるだろうし。兄上の妹馬鹿が治らないかぎりというか、お前が嫌われないかぎりは打つ手がないぞ」
「それよ!」
私はぽんと手をたたいた。
アドリアンは妹が大好きだから粘着する。ということは嫌いなら追ってこない。そんな単純なことに何故気づかなかった。
購入したものが気に入らなければ返品したくなるのが人というもの。対象が生物でも同じだろう。いや、生物であるほうが場所もとるし食費もかかる。おいそれとそこらに捨てるわけにはいかないし、方法があるなら元の場所に戻そうとするはずだ。
(よし、嫌われよう!)
私は手をぐっと握りしめた。
不要になったからと怪しげな魔術で闇から闇へ葬り去られる可能性はこのさい眼をつむる。
失敗を恐れていては何もできない。というより、なにもできずにもんもんとする日々にこれ以上耐えられない。
元の私はどうやら思い立ったら即実行、というより考える前に体が動く人間だったらしい。
光明をあたえてくれたジョルジュの手をがしっと握りしめて、感謝する。
「ジョルジュ、あなたなんていい人なの!」
「お、おい、そんな熱っぽい眼で見つめても俺の心には兄上がいる、別にお前のことなんか…」
「ありがとう! 光明を与えてくれて!」
ジョルジュのわけのわからない世迷言は切り捨てて礼を言う。目標、嫌われて家族の縁を切られること!
これしか私の生き残る道はない。