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ある朝眼が覚めると溺愛されていました  作者: 朱居とんぼ
第一章 召喚、されてしまいました
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(誤字修正しました)

「……まさか本当に妹をつくるとは思わなかった」


 アドリアンと暮らしはじめて十日目。

 夜討ち朝駆けのアドリアンの猫かわいがり攻撃に辟易し、主を主とも思わない執事の着せ替え攻撃にもうどうにでもなれと悟りの境地に達し、元の体に戻れる算段は一切つかず。

 つかれはてた私の生活に変化が訪れたのは、その日の午後のことだった。


 妹を自慢したくてしかたなかったアドリアンが、友人とその妹を邸に招いたのだ。前に妹がいる幼馴染と言っていた人だ。オーギュストというお貴族様仲間らしい。妹の名はロザ。


(こ、この国には美形しかいないのか……)


 見たとたん、心に衝撃が走った。

 思わず見とれてしまう、黒髪碧眼の完璧な兄妹だ。


 兄のオーギュストはさらさら黒髪をゆるく後ろで束ねた、物憂げな美青年。繻子のジュストコールにつつまれた腕を長椅子にあずけた姿は、男らしい魅力にあふれている。

 その隣にちょこんと座ったロザも深窓の令嬢といった感じで愛らしい。


 ロザは歳は今の私と同じくらい。艶やかな黒髪をふっさり縦巻にして頬の両脇にたらしている。透けるように白い肌とさくらんぼのような赤い唇、濃い睫毛に縁取られたぱっちりとした緑の瞳に弧を描く眉が印象的な、あでやか、その一言が似合う美少女だ。

 彼女の今日の装いは乗馬服にも似た、体のラインにぴったり沿って仕立てられた深緑の上着と、白いペチコートのレースがのぞく同色のスカート。ちょっと大人っぽい意匠が、ロザのくっきりとした美貌をひきたてている。


 眼があうと、ロザがにこっと笑った。気さくな子っぽくて、ちょっとほっとする。

 何しろ召還されてからはじめて会った、この邸の外の人なのだ。いろいろ聞きたくてうずうずする。


(でもどこまで聞いていいのかな)


 彼らはあくまでアドリアンの知り合いで、私の味方ではない。私は突然の来客に警戒する猫そのものになって、客間で繰り広げられる会話に耳をそばだてる。無駄に天才な奴はこれだから、と、あきれ目線のオーギュストの前で、アドリアンが一人はしゃいでいた。


「それでね、リルったら可愛いんだよ、昨日も僕と一緒に夕食を食べてくれたんだ、明日は一緒に朝食も食べる予定なんだよ!」

「そうか、そうか、よかったな」


 えんえんと終わらない妹自慢を見かねたのか、ティルマンの指示でメイドが追加の菓子を運んでくる。それを見るなりアドリアンが相好を崩した。


「ああ、やっと出てきた。リルの好きなサクランボのミルフィーユだよ。ちゃんと洋酒をきかせて大人の味にしてあるから」


 すでに私の好みのすべてはアドリアンに把握されている。


 手招きされて、私は窓際から部屋の中央の長椅子へと居場所をうつす。拒否したいのだがこの邸の料理や菓子は絶品なのだ。甘い洋酒とカスタードの香りには逆らえない。すでに餌付けされてしまった私はアドリアンの隣に座ると、フォークを手に取る。


 ぱりぱりしたうすいパイ皮をフォークで割って、クリームをからめて食べる。

口の中に入ったとたんに、クリームのこくと洋酒のふわっとした香りが広がった。絶妙な甘さ加減だ。煮つめたダークチェリーの酸味がほどよい。あまりの美味にため息がでる。また食感がいい。薄い紙のようなパイはしけらないように丁寧に一枚一枚カラメルでコーティングしてある。焦がした砂糖のほろ苦さと、添えられたミントの清涼感のコントラストがたまらない。いい仕事してるよと厨房長の肩をたたきたい。


「はい、リル、お茶も飲んで。砂糖は一杯だけだったね」

「甘いものの後は辛いもの、だったね。はい、キュウリとサーモンのサンドイッチ」


 頃合を見計らってつぎつぎさしだされる繊細かつ凝った食物たち。そのすべてに愛と手間がかかっていて、私の好みにぴったりあわせてある。


 ああ、幸せだ。

 人は舌と腹から堕落していくのだ。


 柔らかな羽毛でつつまれるような極上の生活。そしてクリームよりも甘く、香りつけの洋酒の香りよりも強く酔ってしまいそうになるアドリアンの溺愛。

 油断するとふにゃふにゃとろけていきそうだ。本当にこんな生活していていいのだろうか。というか丁寧に給仕してもらっているけど、人前なんですけど。


「ねえ、アドリアン、もうお世話はいいから。それにこのお茶会につきあったら、その後はちゃんと元に戻す方法を考えてくれる約束、忘れてないよね?」

「もちろんだよ、リル。頑張るからその代り、夕食はまた一緒に食べてね」


 進捗状況を横で見張っても難解な文字が書かれた魔術書はちんぷんかんぷんだし、同じ部屋にいるとアドリアンがうきうき話しかけてくるから仕事にならない。だからアドリアンを地下室に放りこんだら自分は別室で待機、彼の、頑張ったけど今日も無理でした、という言葉を信じるしかないのがもどかしい。


(ああ、私こんなに甘やかされて、元の体に戻った時適応できるの……?)


 完全に堕落しきる前に戻りたい。

 私がもごもご口を動かしながら葛藤していると、オーギュストがクリームのたっぷりのったアップルパイを見て相好をくずした。


「ほう、新物の林檎か。温室栽培ではなく。これはうちのロザの好物だ」


 オーギュストがクリームよりも甘いとろける顔になって、腕を広げる。


「おいで、ロザ」

「はい、お兄様」


 可愛く答えたロザが、ちょこんとオーギュストの膝にのる。


(ま、まじか?!)


 オーギュストが妹馬鹿丸出しでアップルパイを切り分けてはロザの口に運ぶ。たっぷりクリームや糖蜜で煮込んだ林檎以上のげろ甘な光景だ。

 私はフォークをくわえたまま思いっきり引いた。

 他人にケーキやサンドイッチを取りわけられるだけでも恥ずかしいのに、このうえ膝抱っこで、あーん、だと?


 こういうこっぱずかしい人種がいるということは前の体から継承した知識で知っていた。しかし臆面もなく人の眼の前でやられるとは。

 嫌な予感がして隣を見ると、アドリアンがうずうずしていた。


「ねえ、リル、フォークを持つ手がつかれたりはしてないかい?」

「してない! フォークをもつのにつかれるってどんな深窓令嬢なの! だいたいあっちは本物の兄妹だからかろうじてほほえましいって感覚の端っこにぶらさがってるけど、こっちは偽物でしょ、変なだけだから!」

「偽物なんかじゃない、僕の愛は本物だ。いつでも証明してあげるよ」

「それはそれで暑苦しいっ」


 二人でぎゃいぎゃい言い争っていると、オーギュストが意外そうな顔をした。


「へ、え、仲がいいじゃないか、つい数日前に召還したばかりのつきあいにしては。ふさわしい魂の召還とやらは成功したんだな」


 それを聞いたとたん、私は顔をしかめた。仲がよく見える? それは違う。

 私たちは兄妹ごっこをしていても他人だ。やたらべたべたしてくるアドリアンだがやはり距離というか、遠慮がある。例えば地下室でアドリアンが魔法書を開いている時。傍で見張っていて、彼が紙を欲しがったことがあった。机の上を探る彼の手もとに紙をさしだしたら、互いの手がふれてしまった。

 その時、彼は熱い鉄にでもふれたみたいに、驚いて手を引っ込めた。

 次の瞬間にはいつもの〈兄〉の顔になって、おおげさに礼を言ってきたけれど、あれはやはり本物の兄妹じゃないからだと思う。


「で、アドリアン、お前これからどうするんだ、念願の妹を手に入れて」


 オーギュストが真面目な顔になって問いかけてきた。


「さいわい出生届は出してあるからいいが。へたにその体がお前の創造物と魔術の塔あたりにばれたら、奴ら、さっそく狙ってくるぞ」


 なんだ、それは。私はアドリアンに説明を求める。


「たいしたことじゃないよ。この国、いや、この大陸の魔術者たちが頼りなさすぎるだけで」


 さらなる説明を求めると、この体はかなりレアなしろものらしい。

 無から有を造りだす偉業は神童とよばれた天才アドリアンにしかできなかったことだとか。で、他の研究馬鹿な学者たちが知れば、眼の色を変えるだろうという話で。


「さらに言うと、魂召還の成功例もお前だけだ。他は皆失敗して術者の魂自体が消えた。死後の魂が集うといわれる原初の闇に呑まれてな」

「じ、じゃあ、私のことがばれたら……」

「皆、研究熱心だからな。拉致監禁のあげく解剖だな」

「嘘―――っ!」

「オーギュスト、あまりリルを脅かさないでよ。リル、大丈夫だから。君は僕が絶対守るから安心して」


 いや、安心できない。狙われていると思うだけで気持ち悪い。


(ちょっと、人を勝手に珍獣っていうか、新種扱いにしないでよっっ)


 研究に命を賭けた術者たちがどれだけタガの外れた思考の持ち主かは、いきなり私を召還したアドリアンを見ればわかる。

 オーギュストが真面目な顔を崩さず、さらに注意を与えてくる。


「ついでに言うとお前はコスタス家を継承する資格を持っている。偽物とばれれば一族が黙っていない。自分でも気をつけろ。ここの使用人たちにロザと俺、ああ……あと一人、おまけというかお前のこと知ってるガキがいるが。それ以外の者には警戒を崩すな」

「……わかりました。教えてくれてありがとうございます、オーギュストさん」


 作り物だけど自分の身は可愛い。逆召還がかなうまでおとなしくしておこうと思う。

 でもずっと邸にこもっているのもしんどい。アドリアンの溺愛理由がよくわからないからよけいにつかれる。どう思おうと今の私の命を握っているのは彼だ。どうしても真意が気になる。


 顔をしかめていると、見かねたのかロザがそっととりなしてくれた。


「お兄様、そんなに言われてはリル様がお気の毒ですわ。慣れない生活におつかれでしょうし」

「ロザ、だが自覚させておくにこしたことはなかろう、こいつは……」

「ね、リル様、あなたも私が通う学院にいらっしゃらない? 気分転換に」


 ロザがオーギュストの言葉をさえぎって、誘ってくれる。


「聖バルトロ学院、貴族の子弟が通うところですから警備は万全ですわよ。はじめて拝見しましたけど、そのお体がつくりものと疑う人なんていませんわ。それにしばらくコスタス家の娘としてお暮らしになるならこの国の風習にならしたほうがよろしいのではなくて。学院には私もいますし、フォローはできましてよ」


 ああ、ロザ、あなたは天使か! 願ってもない申し出に私は身をのりだした。


「行けるなら行ってみたい。この国ってお貴族様も学校に行くの、家庭教師じゃなく?」

「ええ。家庭教師だけでは他の人たちと交流できませんでしょう? ですから社交と実践教育を重視したものが一つありますの。二年前までは男子だけの学校だったのですけど、私が行きたいとおねだりして共学にしてもらったのですわ」


 はい? ねだったら共学になるってどういう学院ですか。


「貴族には家職がありますの。下々と違い、貴族の財は領地からの収入でまかないますけど、陛下にお仕えする者の義務として国に奉仕還元しなくてはならない。それが家職ですわ」

「ようするに高貴なる者の義務、ボランティアというやつ?」

「ええ。我が家は学び舎や魔術の塔など、教育研究機関を援助支配していますの。ですから国内の学び舎でしたらすべてに顔がききますのよ」


 さらりと〈支配〉なんて言ってしまうあたり、お嬢様に見えてロザもけっこういい中身をしている。ちなみにコスタス家の家職は外交だそうだ。アドリアンが仕事をしているのなんて見たことないけど。


「リル様、この国のことをお知りになりたいのでしょう?」


 そう、私は知りたい。このままでは知識がないのをいいことに、アドリアンやティルマンにいいように言いくるめられてしまう。

 逆にいうと、この国の勉強はしていないから、講義についていけるか心配なのだけど。


「大丈夫ですわよ、私、教師の方にリル様は不慣れだからしばらく名指しであてたりしないよう言っておきますし、アドリアン様だって家で教えてくださいますわ。それに学院にはすでにあなたの籍もありますから」

「え?」

「私の隣の籍、ずっと空席なのですけど、マリー・ブランシュ様といいますのよ。病弱で学校にこられないと教師の方々は説明していますけど」

「……アドリアン?」


 アドリアンを見ると、彼はふっと無駄にかっこよく笑った。


「成長したからには妹の制服姿が見たい、制服を着て『似合うかな』と兄の前でてれる妹は基本だろう? その日を夢見て用意だけはしておいたんだ」

「つまりこれもあなたの趣味?」


 いたれりつくせりと言っていいのだろうか。この世界で生きていくための私の身分は過去病弱設定まで含めてしっかりつくられているらしい。


「学校、いいかもしれませんね」


 さりげなく傍に控えていたティルマンまでもが顎に手をあてる。


「あそこならリル様も深窓の令嬢としての作法を身につけられるというもの。賛成です。というよりお嬢様の鞄を持って送り迎えをする執事役。ふふふ、萌える」


 一気に場の流れがリルの登校賛成のほうへと流れていく。

 しかしそこで兄馬鹿アドリアンが立ちあがった。頭をふって、難しい顔をする。


「制服姿は見たいけど、やっぱり駄目だ、心配だ。リルがいくなら僕もいく」

「こなくていいから。だいたい父兄同伴でいけるわけないでしょ!」


 しがみついてくるアドリアンを押しのける。

 暑苦しい。やっぱり二人で同じ邸内にいるのは避けるべきだ。

 席があるならさいわいだ。明日からは学校に避難しよう。私は決意した。ティルマンが、そんな私を見て、ふふっ、と、ほくそえんだことに気づかなまま。


 彼は小さく口の中でつぶやいていた。


「裏から手を回して、ロザ様の隣の席にマリー・ブランシュ様のお席を用意したかいがありました。さあ、これで猫が怖くて穴に引っこんだネズミたちもうごきだしますかね……?」と。

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