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ある朝眼が覚めると溺愛されていました  作者: 朱居とんぼ
第一章 召喚、されてしまいました
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3

 寂しくて、寂しくて、夢の中で私は泣いていた。


 時も上下も何も存在しない闇の世界。はるか先から、こちらにおいでと呼ぶ声がする。

 あちらに行かないといけない。わかってる。でも行けない。


 ここは寒くて寂しくて。早く抜けだしたいけど、一人だけ呼ばれるわけにはいかない。だから怖くても歩いていく。


 私はずっと〈あの子〉を探している。


(だって約束したもの)


 一緒にいようって。


 もういつどこで会ったのかも思いだせない小さな男の子。でも赤ん坊のように背を丸めてうずくまっていたのを覚えてる。


 あの時、私は彼に『大丈夫?』と声をかけた。

 彼は顔をくしゃくしゃにして私に抱きついてきた。


 弾力のある小さな体は温かくて、私の胸にあった寂しさを溶かしていく。気がつくと、私は男の子の背に腕を回していた。


 しがみつかれているはずなのに、逆に私が彼にしがみついている。


 辺りが騒がしい中、二人だけでそうしていた。ぽつりぽつりと声をかけあって、わずかな時間なのに深くわかりあえた気がして。

 そのうち男の子が言った。


『ふるえないで。大丈夫、僕がついてるから』


 小さな子どものくせに、思いきり背伸びをした男の表情だった。ほほえましくて、つい私がうなずくと彼が手を握ってくれた。


『ずっと一緒だから。だから怖くないよ』


 温かい。そこに人がいる。

 それだけで勇気がわいてくる。だから互いに握りあった手に力を入れた。


(きっとあの子はまだここにいる。探さなきゃ……)


 私はまた闇の中に足を踏み入れる。ふわりと体にまといつく闇。そして……、


 夢から覚める。

 ああ、私がいるのはもうあの闇の中ではない。ここは明るくて温かな世界でーーー。


  ******


 う、ん、と眼を開けると、眼の前にアッシュブロンドの髪をした青年がいた。

 寝起きのぼんやりした頭で、しばらく至近距離で見つめあう。彼は床に片膝をつけて、長椅子の上で寝ている私をのぞきこんでいた。


 アドリアン、確かそんな名前だったっけ。

 そう頭に浮かんだところで、一気に眠りに落ちる前のことを思いだす。


「き、きゃああああっ」


 私は悲鳴をあげてとび起きた。ついでに眼の前の顔めがけてびんたをはなつ。

アドリアンが赤くなった頬をおさえて、瞳をうるうるさせた。


「うう、可愛い妹に午後の挨拶をしようと目覚めるのを待っていただけなのに、ぶつなんて」

「あ、あなた、挨拶するために妹が目覚める瞬間を枕元で待ちかまえたりするのっ」

「え? 基本だろう? だって可愛いリルが眼を開けた時、最初にその眼に映る相手になるのは家族の特権だよ?」

「そうなの? それが普通なの??」


 記憶がないからきっちり論拠をだして反論できない。

 その時、アドリアンが青灰色の瞳をいぶかしげに細めた。私の頬に手をのばしてくる。


「涙の跡が……」


 そういえば眠ってしまう前は泣いていた。

 いい年をして泣くなんて。


「な、なんでもないから。それより寝起きの顔、見られたくないから、勝手に部屋に入るのやめてほしいんだけど」

「なんだ、じゃあさっきの平手打ちはてれ隠しだったの? 可愛いね、リルは。大丈夫、僕は移り気な恋人なんかじゃない、絶対の愛を誓う家族だ。だから君がどんな顔をしていても僕の愛は変わらない。だから安心していろいろな顔を僕に見せて」


 いや、そう笑顔で言われても。


 アドリアンがすっと私の手をとる。


「納得した? じゃ、改めて。おはよう、僕のリル。もう夕方だよ」


 かるく指先にくちづけをおとされる。


 やはり自分はこの手の行為になれていないらしい。あまりの気障さに体がつい動いて、今度は拳骨がアドリアンの顔に飛んでいた。


「……やっぱりあまり近づかないでくれる、アドリアン。条件反射で体が動いちゃうから」

「うーん、はじめての時は足蹴で次はびんた、そしてこれか。リルの愛情表現は熱烈だね。まだてれてるの? それにしてもアドリアンだなんて他人行儀な。お兄様と呼んでおくれ」

「嫌」


 そんな親しげな呼称、会ったばかりの赤の他人に使えるほど私は器用じゃない。それより。


「あの部屋から出てきたってことは、私を元に戻す方法がわかったの?」

「君を元に戻す方法? 何それ」


 あっさり言ったアドリアンが眼をまたたかせた。そして、ああ、と、何かに気づいたようにうなずく。


「もちろん探しているとも。だけどなかなか難しくて。続きはまた明日にするよ」

「……口調がすごく白々しいように感じるのは気のせい?」


私はぴくりと片眉をつりあげた。


「あのね、妹、妹って言うけど私はしょせんは偽でしょ。こんなおままごとやっててむなしくないの、あなた」

「君は偽物なんかじゃないよ。法的には僕たちはれっきとした兄妹だし。僕は妹が欲しいと自覚した時に出生届もだしたんだ。だから君の戸籍もあるんだ」

「……それ、あなたが何歳の時の話?」

「七歳の時。だから君とは七つ歳の差の兄妹さ。父も母も僕を溺愛してたから、出生届にサインしてくれと頼んだら快く応じてくれたし。だから君がここで暮らすのは完全なる合法さ!」


 この男の親はもう少し子どもの育て方を考えるべきだ。息子を犯罪者にする前に止めろ。


「しかも七歳の時からって」


 今の彼は二十歳前後に見える。つまり十数年ごしの計画なわけか、これは。


「僕の夢の集大成、人生をかけたロマンだよ!」

「こんなことに人生かけるな!」


 ついつい突っ込んで、ちょっと気になったことがある。


「あのね、朝からこんなふうにずっと騒いでるけど、あなたの親ごさんたちでてこないのね。一緒に暮らしてないの?」

「ああ、そのこと。うん、一緒に暮らしてない。もうとっくに二人とも死んじゃったから」


 あ、まずいこと聞いてしまった。

 口ごもると、アドリアンがふわりと透明な笑みを浮かべた。


「気にしてくれてるの? やっぱり優しいね、リルは。大丈夫、寂しくなんかないよ、二人とも無事原初の闇に還って、もう今は別の生を歩んでいるから」

「……それって転生ってこと? この国の宗教?」

「うん、そんなとこ。ということで僕には君の他に兄弟もいない。一人だけだ。だからこそ僕はちゃんと君を見てるよ。偽物だなんて思ったこともない。君は君だ。愛してる。その体だけじゃなく、中の魂までも」


 うわあ、どうしよう。言葉が気障を通り越して熱烈すぎてもう突っ込み切れない。


「魂は君の本質だから。君を召還する時、慎重に慎重に何年もかけて探したんだ、そして見つけた。だからもう離さない」

「……それって暗に帰す方法を探す気はないって言ってるの? それって約束違反だから」

「ちっ、ほだされないか。ティルマンにお涙ちょうだいで君を落とせれば、もう還してなんて言わなくなってすべて丸く収まるって言われたけど。口説くのって難しいな」


 あの執事、よけいなことを。

 私が胸の中で、びっ、と指をたてる。


「ま、とにかく、もう夕食の時間だよ、一緒に食べよう。栄養をとらないと頭も働かないしね」

「嫌」


 こんな暑苦しいのと一緒だと、いくらお腹がすいてたってご飯が喉を通らない。


「そんなことを言わずに、君の好きなクレープをたっぷり焼くように言っておいたよ。はい、これは食前酒かわり」


 つんと唇に一粒のサクランボをおしつけられた。

 彼の白い指先と真っ赤なサクランボのコントラストが鮮やかで、意志に反して目が吸い寄せられる。


「……どうして私の好物がクレープになったの」

「だって朝食の時、食べたでしょ? メイドに聞いたよ」

「べ、別に好きだから食べたわけじゃ」

「じゃあ、何が好きなの?」


 真顔で問い返された。


「言って」


 低い声でささやいて、アドリアンが顔をよせる。


「言って、リル。何が好き? 知りたい。君のこと、すべて」

「あ……」


 長椅子に座った私を床に片膝をついて見あげる形で、アドリアンが真剣なまなざしをそそいでくる。

 何、この体勢。兄と妹でしょ、私たち。真似事をやっているだけなのだから、この距離は危なすぎる。いや、アドリアンは優しいお兄さんらしく、妹に食事の好みを聞いているだけで。だから妙な妄想をした私がいけないのだけど。


 それ以上正視できなくて顔を背けると、アドリアンがぷっと笑った。


「またてれてるの? リルは本当に可愛いなあ」

「て、てれてなんかないっ」

「わかったわかった、リルはてれてなんかいない。だから、ね、一緒にたべよ。リルのお腹、さっきからずっと鳴ってるよ? 朝もあまり食べなかったでしょ。リルはこんなに細っこいんだもん。もっといっぱい食べて頑丈にならなきゃ」

「こんなふうにつくったの、あなたでしょ、気になるならもっと太くつくればよかったんじゃない!」


 妹ごっこに飽きてもらいたくてかなりきつく拒否したのに、アドリアンはちっともこたえない。

 それどころか可愛くてたまらないというふうに眼を細めると、メイドを呼ぶ。


「リルに着替えを。服がしわになってしまったからね」


 言われてみると確かにしわくちゃだ。それに比べてアドリアンはきっちり正装している。


「どうしてそんなお洒落してるの。ここ、家の中よね」

「だって君と食事するんだ、敬意をはらいたい」


 絶句した。

 自分をよく見せようとして着飾るならわかる。なのに相手への敬意から着飾るなんて。しかもそんな気障なセリフを爽やかかつ自然に口にする男。


(いい男だ、天然いい男だ……)


 アドリアンがうっとりと眼を細めた。


「いいなぁ、リルににらまれたり、一緒に食べようって誘ったり断られたりするの。すごく楽しい」


 ……いい男じゃない。やっぱり微妙に残念な人だ。

 

 すげなくあしらわれて喜ぶなんてどういう神経をしてるんだろう。

 説明を求めて執事やメイドを見ると、彼らは気の毒そうに自分たちの主を見ていた。


「アドリアン様はずっとおひとりでお暮しでしたから、当然、お食事もいつもおひとりで」

「広い食堂のテーブルの端でぽつんと座っておとりになるんです」

「ご友人はひとりいらっしゃいますが、お忙しい方でなかなかこの邸にいらっしゃいませんし」

「ですから相手にどんなに無下に扱われようと鬼畜な所業をされようと、嬉しくてしかたがないのですわ、ああ、なんて不憫なアドリアン様!」


 メイドたちが眼にハンカチをあててわっと泣きふす。

 この邸の使用人たちは自分たちの主が大好きらしい。四方から浴びせられる、しくしくという泣き声と非難の眼差しが地味に痛い。


「……わかった。一緒にご飯を食べる」

「いいの、リル?!」


 こんな対応をされたら、他にどう言えるという。とにかく着替えるから出ていってとアドリアンを廊下に押し出しふりむくと、執事のティルマンがメイドと一緒に残っている。


「……何してるの?」

「もちろん、執事としてお嬢様の着替えを手とり足とりお手伝いするためでございます。着替えを執事に手伝わせるお嬢様というものはこの国では基本でございますよ」


 なんだそりゃ。

 思いっきりひいた私の前で、ティルマンがハンカチを眼にあてる。


「ああ、なんたる感動。ようやく私が仕えるべきお嬢様が降臨してくださいました。執事として生を受けた者ならば、一度は理想の女主人に仕え、この手で花開かせる悦びを味わうのが夢というもの」

「執事として生をうけた者って何。それに喜びって字が微妙に違うのは気のせい?」

「さあ、どちらのドレスにいたしましょう。大人っぽくこちらのしっとりした青灰色のサテンドレスを? それともかわいらしくピンクシェルのシフォンに?」


 全然人の突っこみを聞いていない。


(変態は一人ではなかったのか……)


 いろいろわからないのをいいことに、うまく言いくるめられている気がしないでもない。

 この国の常識とやらを学びたい。切実にそう思ったところで、「着替えは終わった?」と、薔薇の花束を抱えたアドリアンが再乱入してくる。


「ああ、リル、よく似合ってるよ! こんな妹をもてるなんて、僕はなんて果報者なんだろう!」

 

 ……いや、それ、兄っていうより結婚式場の花婿のセリフだし。

 気まずくてぼりぼり頭をかいたら、ティルマンにまた泣かれた。


「リル様! 愛くるしい顔でそんなことなさらないでください! 無垢なるお嬢様を自分の色に染めあげるのもいいかと、あえて教育面の用意は見過ごしていましたが、行儀作法の家庭教師をつけたほうがよろしいのでしょうか」

「いいじゃないか、ティルマン」


 にこにこ笑いながらアドリアンが私に頬ずりをする。


「どんな格好をしていても何をしていてもリルは可愛いよ。それに家庭教師なんて野暮な連中にリルを独占させてなるものか。リルと一緒にいる権利をもつのは兄である僕だけだよ」

「……なんか急に家庭教師がほしくなってきた」


 お手をどうぞ姫君、と、アドリアンが白い手袋をはめた手を差しだす。

 うやうやしく私をエスコートしながら、アドリアンが嬉しそうに妹語りを始めた。


「僕には幼馴染がいてね。彼が妹をつれてきたのを見て僕もほしくなったんだ。可愛かったな、乳母車に眠る赤ん坊は。彼は嬉しそうにミルクを飲ませてて。僕にもやらせてって言ったのに、触らせてくれなかった。やっと君が来てくれたけど、もう乳母車にのる齢じゃないし」


 アドリアンに、じーーっとみられて身の危険を感じた。


「いや、まだ間にあうかな。ちょっと手足をこうまげて押しこめれば……。うん、大丈夫、苦しくないように優しく縛るし、なんなら甘い特性痛み止め薬もつくってあげるから!」

「私、この歳で赤ちゃんごっこする気ないから!」


 そこでどうして大きめの乳母車をつくるという発想にいかない。


「……夕食、一緒に食べたら、ちゃんと元に戻す方法、考えてくれるよね?」

「え? あ、ああ、もちろんだとも」


 なんかあやしい。

 やっぱりなんとかしないと愛があっても、いや、愛があるからこそこの男は危険だ。

 どうしたらいい? 必死に考える私の頭上で空が黄昏の色を帯びはじめる。

 何の進展もなく、それどころか多くの危機をはらみながら、多難な妹生活の一日目が終わろうとしていた。


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