終章
私は花束を手に、大樹の下に立っていた。
小さな薄桃色の秋薔薇の蕾に紅く色づいた蔦や野薔薇の実を合わせてある。小さくて可愛らしい、女の子が喜びそうな花束だ。ティルマンに用意してもらった。
この樹はアドリアンが、母のお腹にいるマリー・ブランシュに、大きくなったらブランコをつくってあげると約束した場所なのだという。
「リル」
声がしてふり返る。アドリアンがこちらに歩みよってくるところだった。
「花を持ってきてくれてたの?」
「うん。アドリアンは陛下との面会、大丈夫だった?」
今日、アドリアンは王宮へあがって、アロイス王に謁見していたのだ。
「大丈夫。陛下には、『ご苦労だったな、アドリアン』と言われたよ。『お前たちがうごきまわってくれたおかげで、うるさいバロワ家をつぶせた。礼を言うぞ』ってね」
クロードとその背後にいたバロワ家の何人かは王に処断された。
内紛は両成敗の建前だからアドリアンも謹慎処分を受けたけれど、それ以上のお咎めはない。誰の眼にも一方的に被害にあった気の毒な兄妹としてうつっているからだ。
王は上機嫌だったそうだ。なかなか尻尾を見せず、処断できなかったバロワ家を潰し、王の権威をさらに高めることができて。
前に通された私的な遊技場で、余人を交えず話すために一人で待っていてくれたらしい。
「褒美に何かやろう。前の願いを一つ聞くというのはあの騒ぎで使ってしまったからなって言われたから、リルへの求婚を取り消してもらったよ。よかった?」
顔をのぞきこまれて、私はうなずいた。
「陛下もバロワ家を焚きつけるための戯言だったし、社交界にも出ていない子どもに手をだしたとあってはさすがに外聞が悪いからな、って笑っておられたよ。大きくなったらまた改めてとか笑えない冗談も言ってたけど、断固阻止してあげるからね、安心して」
アドリアンが顔をしかめて力説する。その一生懸命ぶりに、つい私は笑ってしまった。
「あ、そこで笑う? あーあ、記憶が戻らなかったらよかったのに。リルってばあれからずっと僕のこと子ども扱いしてるでしょ」
「してないよ、アドリアンは大人だもの。ちゃんとわかってる」
「だったらもう少し男として扱ってよ、僕、すねるよ?」
アドリアンのちょっと頬を膨らませた顔に、あの小さな男の子の顔が重なった。
私は背伸びして、彼の額にこつんと自分の額をつけた。
「リ、リル……?!」
「へへ、なんとなく」
てれくさくて、笑ってごまかす。アドリアンが耳の先まで赤くして、顔を横に向けた。
「もう、人の気も知らないで。リルはもうちょっと男心ってものを学ぶべきだよ」
「嫌?」
「嫌じゃない。だから困るんじゃないか。今の君はまだ十四歳だし、法律上は妹なんだよ? 僕を犯罪者にしたいわけ? あー、失敗したな。こんな嬉しい結末、想像してなかったから、初期の段階で間違えた」
「そんなの、どうだっていいじゃない。一緒にいられるなら」
どうだっていいいじゃないよ、と、ぶつぶつアドリアンが小声で言って、それからぎゅっと私を抱きしめた。耳元でささやく。
「はやく大きくなってね、リル。それまでに僕が用意はすべてととのえておくから」
用意って何? また馬鹿兄がよからぬことを考えていそうだったけど、腕の温もりが気持ちよかったから許してあげることにする。
私はアドリアンの胸に頬をよせた。すりすりと彼の感触を確かめる。うなるようなアドリアンの声が聞こえたけど、楽しくてやめられない。
「今までの時間を取り戻そう、リル。今度こそ隠しごとはなしだ。一緒に遊んで、笑って。いろいろなことをしよう」
「いいよ、お姉さんにまかせておきなさい!」
ずっと彼を待たせていたのだもの。
また年下扱いして。だから言わなかったんだとぶつぶつ言っているアドリアンに笑いかけて、私は花を置きたいから手を離してくれるようにアドリアンに頼む。
樹の根元に花を手向けながら、私は本物のマリー・ブランシュに語りかける。
私はあなたの代わりにはなれない。だけど私は私としてアドリアンをささえるから。だからどうか安心して新しい生を生きてください。そう報告する。
そしてアドリアンに頼む。
「そのうち、あなたのお父さんとお母さんのお墓にも連れていってくれる?」
お礼を言いたい。自分があの闇で惑っている間に、アドリアンを生み育て、慈しんでくれたことへのお礼を。そして改めて誓いたい。この世界で自分も彼と一緒に生きていくことを。
それは新しい約束。
これから二人で楽しい時をいっぱいいっぱい過ごせますようにーーーーー。
これで完結です。
ここまでおつきあいいただきましてありがとうございました!
新連載はじめました。「海の聖女」ちょっと切ない純愛物語です。こちらもどうかよろしくお願いいたします。




