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ある朝眼が覚めると溺愛されていました  作者: 朱居とんぼ
第四章 家族でもなく、妹でもなく、かけがえのないあなただから
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7

「私の名前はね、理留っていうの。変わってるでしょ」


 小さい自分の手をひきながら、彼女が言った。


 座礁したとかで沈みかけている船の中を、脱出路を求めて歩いている時のことだった。

 混乱している船の中で出会った〈お姉さん〉は、拾ったカンテラで狭い通路を照らしながら、心細さをまぎらわせるようにいろいろなことを話してくれた。


「お母さんが少女趣味だったんだ。柄じゃないってよく言われるけど笑わないでよ」

「そんなことない。あなたに似合うとても可愛らしい名前だと思う」

「もう、言ってくれちゃってー」


 こんと額を指で小突かれた。


 そんなことをされたら普通、腹がたつのに、何故かふれられた額がとても気持ちよかった。

 ほがらかに笑うその人はとても明るくて、まぶしくて、胸がきゅっとなった。ずっと一緒にいたい、守りたいと思った。


 自分は大人たちから早熟だと言われているから、そのせいかもしれない。自分より年上の、立派な淑女にこんなことを想うなんて。


 でもこの手を離したくなかった。無事助かった後、赤の他人になんか戻りたくなかった。だから思いきって申し込んだ。


「お願い、僕とずっと一緒にいて。……家族になってほしいんだ」


 それはせいいっぱいの求婚。


 言って、ぎゅっと唇をかんだ。だって子どもが何を言ってるのと笑われるかと思ったから。


 でも彼女は笑わなかった。少し驚いたように眼を丸くして、それから言った。


「いいよ、一緒にいよ」


 それは誓約。


 あの時から自分の心は彼女のものだ。だから他の人なんかいらない。彼女だけがほしかったーーー。


  ****



 闇が収縮していく。

 内に召還主と一人の少女を捕えて。


 上も下もない薄闇の中で、私はアドリアンに抱きしめられていた。

 やっとわかった。どうして初めて見る人なのに、アドリアンの瞳になつかしさを感じたのか。


 彼とは前に一度会っている。

 死後の魂が還る原初の闇、そこへ入る前に、別の世界の別の時に出会って、私たちは短い死までの時間を共に生きていた。


 私が覚えていた小さな男の子は彼だ。ずっと闇の中、探していた相手がここにいる。新たな生を得て、姿を変えて。

 私は手をのばすとアドリアンの両頬をはさんだ。彼の顔をのぞきこむ。大人の男の人がそこにいた。小さな男の子ではなく。


「……どうして? 私のほうが年上だったのに」

「だって理留はなかなか転生しなかったでしょ、だからだよ。僕はあの後、すぐあの光に導かれてこの世界に転生したから」


 思いだしたんだね、理留、と、やわらかくアドリアンが微笑む。その微笑みがすごく胸に沁みた。そっと彼の頬を指でなぞる。


「こんなに大きくなっちゃって……」

「お姉さんぶらないでよ。今は僕のほうがずっと年上だよ、理留。ほら、理留を軽く抱ける。君を守ってあげられる。前みたいに足手まといにはならない」


 言って、彼が私を抱きしめた。その腕の力と逞しい胸板の厚さに実感する。ああ、確かに今は彼の方が年上だ。力の差に対抗できない。

 私がいつまでもあの時も上下もない闇の中で迷っている間に、彼はこの世界で成長して、立派な大人になってしまった。今では自分のほうが抱きかかえられて助けられている。


 やっとわかった。彼が自分の前だと妙に子どもっぽくふるまうのは何故か。ここにいる青年はあの男の子とは違う。眼の色も顔立ちも違う。だけど中の魂は同じ。


 これは召還ではなく、転生。


(アドリアン、最初から私のこと、ちゃんと〈私〉として見てくれてたのね……)


 マリーの身代わりではなく、〈リル〉という人間として。だからずっと〈愛称〉のほうで呼んでくれていた。


「ごめん。君を巻きこむつもりはなかったんだ。だけどマリー・ブランシュの体をつくりあげて、彼女の魂を探した時、もう転生の渦に入ってしまってて追えなくて。他に会いたい誰か、家族と呼びたい人と考えて頭に浮かんだのは君だけだったんだ……」

「じゃあ、どうして〈姉〉として召還しなかったの? そっちのほうが自然じゃない」

「自然じゃないよ! それじゃ君の戸籍つくれないじゃないか。何度も言うけど、こっちの世界じゃ僕のほうが年上なんだからね、リル(・・)!」

「別に兄弟でなくてもいいじゃない、近所のお姉さんとか……」

「それじゃ家族じゃないでしょ、どうしてわかってくれないの。原初の闇に入ると前世の記憶は失ってしまうんだよ。リルも忘れてたでしょ? 復讐のことがなかったとしても、記憶のない君をどうやって僕の傍におけばよかったの。ちゃんと一緒に暮らせる肩書きを用意するしかないでしょ」


 アドリアンがもどかしげに言う。


「だって赤の他人で家族になれるっていったら他にお嫁さんがあるけど、目覚めた君にいきなり、僕の妻だよ、なんて言ったら張り倒されそうだったし……」


 まあ、確かに記憶を取り戻す前の私ならやっていただろう。妹といわれても足蹴にしたのだから。


 でもアドリアンの本音はきっと自分のほうが保護者というか年上になりたかったからだと思う。だってあの時の小さな男の子は子ども扱いをすると、ほっとしたようでいて、ちょっと悔しそうに唇をかんでいたから。


「妹として召還したからにはそう愛そうって思ったけど。正直、しんどかった。妹相手じゃこんなふうにふれられないし、でも我慢するには君のことが好きすぎたから」


 で、中間をとってあの妹馬鹿溺愛になったわけか。


「あ、でも、リルが柄にもなく一生懸命お嬢様ぶって、お兄様、とか言ってくるの、鳥肌たつの我慢してるのが見え見えですごく可愛くて、本当のこと言えなかったってのもあるけど」

「なっ、わかってたんなら止めなさいよ、恥ずかしいっ」


 抱きしめられた体勢のまま、蹴りを入れてやる。でも……。


(もう、しょうがないなあ……)


 ぷっと笑えてしまう。だってそんなささいなことを真剣に考えている彼が可愛くて。

 あ、リル、笑ったね、僕、真剣だったのにとアドリアンがすねている。それすらが可愛いというか、愛おしい。つんっと頬をつっついて、もっと怒らせてみたくなる。逆襲が怖いからしないけど。


(今のアドリアンのことだから、お返しだって思いっきり頬ずりでもしてきそうだもん)


 自重しておかないと。


「……ごめんね、リル。君のことが大切だったのに、僕は復讐をやめることができなかった。きっと君なら囮にされたと知っても怒りつつ許してくれる、そんなふうに甘えてたんだと思う。君のことは守りきるつもりでいたから」


 深く息を吐きだしながら、アドリアンが閉じられた空間を見回す。


「でもこれじゃ駄目だね。責任、とらなきゃ」


 アドリアンが腕を離す。そして私の体を起こして顔をのぞきこむ。


「ここはもうすぐ最期の収縮をはじめる。そうなれば中にいるものはすべて押しつぶされて消滅する。だから君だけでも逃げて。こんな不安定な場だけど、君を逆召還する術を発動させるのは可能だから」

「で、でもまだ戻す方法見つけてないんじゃ……」

「実はあるんだ、ひとつだけ。でもそれは最後の手段だから黙ってたけど」

私はジョルジュに聞いた究極の魔術を思いだす。きっとあれのこと。

「術者の命を対価に、すべての願いをかなえる魔術。君は僕のすべてだから、だから君に僕の命をあげる」

「……な、にを言ってるの?」

「いいんだよ、どうせ僕の命は長くない。だから君に今あげても同じだよ」

「でも私、もう死んでるんでしょ?!」


 とぎれとぎれによみがえった記憶。私は船の事故に巻き込まれていた。あの状態で助かったとは思えない。だって私は死後の魂が集う原初の闇で迷っていたのだから。


「還すってあなたはどこへ私を帰す気なの」

「魂のあるべきところへ。君を幸せな次の人生が送れるよう、転生させてあげる」

「転生?」

「うん。人は死ねば原初の闇に還る。でもリルが死んでしまうところなんか僕は見たくない。リルに苦しい想いなんかさせたくない。だから痛みも何も感じないように還してあげる」


 本当はね、復讐が終わった後、リルが望むならコスタス家をあげようと思ってたんだけど、叔父上を逃がしたままこうなっちゃったから。リルをあの国に戻したくないんだ。もう僕はリルを守れないから。そう、アドリアンが寂しそうに笑う。


 その言葉で私は思った。今、聞かなかったら絶対に後悔すると。


 だから私はアドリアンにつめよった。もうごまかすのは許さないと、顔を近づけて問いかける。


「その前に、この体をつくり、私を召還した代償は何、教えて」

「それは……」

「お姉さんの命令が聞けないの?」

「……僕の命」


 アドリアンが言った。


「一人で生きていたってむなしいだけだから。僕の命を半分削った」


 私は息をのんだ。


 何をやっているのか、彼は。せっかく転生できたのに、自由に生きることができるのに、いったい何を。


「わかった、リル? 僕の命はどうせ長くない。だから君のために使いたいんだ」

「この馬鹿っ」


 私は思いっきりアドリアンの頬をひっぱたいた。アドリアンが眼をぱちくりさせて私を見る。


「リル……?」

「何が僕の命はどうせ長くない、よ。人生百年、ううん、もしかしたらあなた百二十年生きる予定だったかもしれないじゃない。だったら半分でも六十歳まで生きられる、後、四十年はあるじゃないっ」

「リル、言ってること、めちゃくちゃ」

「めちゃくちゃでもいいの、生きてよ! あなたティルマンをどうする気? ジョルジュは? オーギュストさんだって王様だって邸の人たちだって皆待ってるわよ」

「大丈夫、書斎に事後をティルマンとオーギュストにまかせる書類は用意してあるから。皆に苦労はさせない。本当は君に遺したいいろいろだったけど。ごめん、君には感謝の言葉しか遺せないや」


 言って、アドリアンが私の手をとる。頬をたたいたことで赤くなった掌を、労わるようになでる。


「いっぱい迷惑かけたよね。でも楽しい夢を見させてもらった。このひと月、最高だったよ。僕の我儘につきあってくれてありがとう」


 な、にを言っているの、この人は。そんなことを言われて自分が喜ぶとでも思っているの?


「そんなこと、言わなくていいから……!」


 私はアドリアンの手をふりはらった。


「迷惑ならあなたに召還されたのが私の最大の迷惑よ。このうえ今度はどこでどんな生を受けるかもわからないのに、無責任に逆召還するつもり?」


 自分でも何を言っているのかわからなくなる。でもとにかくこのままアドリアンにそんな術を使ってほしくない。だから懸命に口を動かす。


「責任をとりたいっていうならきちんと最後まで私を守りきって。かけた迷惑をしっかりつぐなってから私を手放してよ。それ以外、私、認めないからっ。それにあなたがそんな投げやりに命を手放して、泣く人間がいないとでも思ってるの?!」


 そう、今、私が怒っているのは軽々しく命をあげるなんて言う彼に腹がたつからだ。

 私は立ちあがった。視線の高さが逆転した相手を見おろして言う。


「私に命をくれるって言うなら、この手をとって。一緒に戻って、皆の待つ場所へ」

「……君は自由になれるんだよ?」

「眼の前で死なれたら後味が悪いでしょ、それくらいわかってよ。死なないで、生きて! もう嫌なのよ、守るって約束したのに守れなくて、眼の前であなたが死んでいくのがっ」


 両手を握りしめて、言う。


「私にまたあんな後悔をさせないで!」


 ずっと闇の中、果たされない約束を想ってさまようなんてこと。


 アドリアンが息をのむ。そして、彼はくしゃっと顔をゆがめた。


「ごめん。僕、リルに僕と同じ思いをさせるところだった」


 二度も両親を死なせたと思いこむ罪を。


 私はアドリアンに手を差しのべた。

 まるで幼子のように、おそるおそるアドリアンが手をのばす。ためらうように宙でとまったそれを私は奪い取るようににぎった。


 その時、薄闇しか存在しなかった空間に亀裂がはいった。


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