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私の胸がずきりと痛む。また彼に血の代償をはらわせてしまった。でもこれで終わりにする。もう彼を傷つけたりはしない。
アドリアンが背でかばうように私の前までくる。アドリアンの顔色はそこまでひどくないけれど、急いで確認する。
「助けに来てくれたのがすごく早いけど、まさか魔術陣を壊すのにまたあの〈地獄の猟犬〉を使ったんじゃないでしょうね?」
「まず僕の心配をしてくれるの、リル。嬉しいよ。安心して、オーギュストからジョルジュが魔術の塔に出入りしたって聞いて警戒していろいろ用意してただけ。すぐ君の置手紙も見つけたよ」
私とジョルジュの無事を確かめて、アドリアンがようやく少し顔の緊張を解く。
「勝手にこんな危険なことしたの、後でしっかり怒るからね。覚悟しておいてよ、リル」
私に、めっ、と顔をしかめてみせると、アドリアンが動いた。
ごめん、縄は自分で切ってとナイフを私に渡して、前へ踏みだす。襲いかかってきた覆面男を、剣の一振りでなぎ倒す。
倒れた男を見据えながら、アドリアンが獰猛な笑みを浮かべた。
「さあ、僕の可愛いリルにこんな真似をしたんだ、覚悟はできているよね?」
普段の彼とはまるで別人の険しい声だった。
アドリアンが見事な体さばきで、次々と覆面男たちを叩きふせていく。私は驚いてアドリアンの新しい一面を見た。てっきり魔術の力で助けてくれると思っていたのに。
(やだ、かっこいい……)
どきどきしてくる。ああ、この人はどうしてこう、思いもよらないいろいろな顔を隠しているのだろう。もっと知りたくなる。彼のすべてを一番近くで見ていたくなる。
「ちっ」
形勢不利と悟ったのか、クロードが身をひるがえした。部屋から飛びだしていく。
「逃がすかっ」
アドリアンが、私とジョルジュの傍に〈地獄の猟犬〉を呼びだして護衛をまかせる。そしてクロードを追う。
「アドリアンっ?!」
彼のクロードを追う背に、暗い影が見えた気がして、私は動いていた。
服の袖に隠していた腕輪を外す。そして踏み砕く。王宮魔術師に施された監視と記録の魔術を完全にとく。
ここから先のことは誰にも見せたくない。
アドリアンがもたせてくれたナイフをつかって縄をとくと、しびれる足を叱咤して立ちあがる。まだ身動き取れずにいるジョルジュにナイフを渡すと、覆面男たちの剣をかいくぐってアドリアンを追う。
「ジョルジュはここの男たちをお願いっ」
「待て、お前が行ってもっ」
ジョルジュが叫ぶ声が聞こえる。でも私は足をとめなかった。
今、アドリアンを一人にしてはいけない、よくないことがおこる、嫌な予感に突き動かされて懸命に後を追う。
二人はすでに建物からでて、崩れた回廊を伝って草が伸び放題になった中庭を駆けていた。
ここは王都の郊外の、うち捨てられた修道院らしい。
私も外へ出る。でも二人ほど速く走れない。小柄な体がもどかしい。
回廊の先に、高い塔がそびえていた。
傾いた鉄扉の隙間から、二人が塔の内に駆け入るのが見えた。私も二人を追って中に入る。塔の中はがらんとした吹き抜けの広間だった。壁に添ってらせん状の階段が築かれている。そして二人は広間の中央で距離をとって睨みあっていた。
「わかっていた、お前がわしを許すわけがないということを……」
クロードの顔が荒い息をつきながら唇をゆがませた。
「だからここを用意した、すべての憂いを断つためにっ」
クロードが叫ぶ。
「さあ、わしの命の半分をくれてやる、この生意気な若造を虚無の闇に送ってやれ!」
それは魔術の発動の合図だった。
ふおっ、と、床から青白い魔術陣が浮かびあがる。
魔術師であるクロードが渾身の力を込めて構築した魔術。捕えた者を私の世界に逆召還する技。剣を手に立つアドリアンを中心に広がって、彼を捕える。
「アドリアンっ」
私は叫んだ。でも光の壁に阻まれて彼の傍にいけない。
「大丈夫だよ、リル。用意はしてたから。離れてて」
アドリアンが言って、剣を床に突きたてた。
「解放するよ、だから、壊して」
アドリアンが命じる。
それは解呪の合図。魔術の力を込られた剣が砕けちる。そしてアドリアンを捕えていた光の檻と相殺される。
自由になったアドリアンが、真っ青になったクロードに、無邪気な笑みを向けた。
「さあ、今度は僕の番だよね、叔父上」
立場が入れ替わる。
自分よりはるか上級の魔術師へと成長した甥を前に、クロードが後ずさる。
「ア、アドリアン、わしはお前の叔父だぞ。それにわしを攻撃すれば陛下が裁く、私闘は両成敗だ、お前、コスタス家をつぶす気か」
「違うよ、これは正当防衛。陛下にだってちゃんと申し開きできるさ。叔父上がこの陣をつくるのにずいぶん前から代償を用意してたのはちゃんと証拠として書面にしてるから。ティルマンやコスタス家の皆を路頭に迷わせたりはしない。リルのことだって」
すっとアドリアンが手をあげる。
「叔父上、動かないで。動くと余計に痛いことになるよ。僕に魔術のすべてを教えてくれたあなただ。だから、痛みは必要最小限だけにしてあげるから」
優しいとさえいえる声でアドリアンが警告する。
また、光が生まれた。今度はクロードを闇に送る魔術を構成する光が。
アドリアンは唇と手を複雑に動かして、魔術を発動させているらしかった。クロードの周囲をじわじわと、アドリアンがつむぐ光の輪が包んでいく。きっとこの輪が完成した時、アドリアンの復讐は完成する。
「駄目、殺しちゃっ」
私は叫んだ。そして二人の間に割り込む。両腕を広げてアドリアンの前に立ちふさがる。アドリアンが魔術の行使を手の動きだけに絞ってリルに話かける。
「どいて、リル。彼は君を傷つけようとしたんだよ?」
「馬鹿っ」
背伸びをして、アドリアンの頬をたたく。
小さな手だから破壊力はない。でもアドリアンが魔術の発動を止めた。眼をまたたかせてこちらを見てくれる。
「そんなことをしたら、今夜、あなたは泣くでしょう……?」
あの夜、自分の手を握りしめて心だけで泣いていたように。きっと殺された父母と生まれなかった妹のことを思いだして。仇はとったけど戻らない命を想って。
「私は、本物のリルじゃないけど、でもあなたがみすみす悪夢につかまるのを見過ごすために召還されたわけでも、ここにいるわけでもないんだからっ」
必死に叫ぶ。彼の凍った心の奥まで届くように。
「私がここに来たのはあなたの復讐の手伝いをするためじゃない、あなたを止めるために来たのよ!」
一気に言って、肩で荒い息をつく。
涙の浮かんだ眼をした私をアドリアンが見おろす。
アドリアンが腕を降ろした。
ふっとアドリアンの体からこわばりが溶けて、塔の内側を満たしていた魔術の光が消える。
クロードが逃げていくのが視界の隅に見えた。でもどうでもいい。自分が気にかけないといけないのは眼の前にいるこの人だけだから。
「帰ろう、アドリアン」
手をのばす。彼も手をのばしてくれた。
二人の手が触れあおうとした時、突然、床が崩れた。いや、違う。床が崩れたのではなく、なくなったのだ。
足下にはぽっかりと円形の闇が口を開いていた。
振り向くと、光さす扉の外から、クロードがこちらを見ているのが見えた。その両手は真っ赤だ。
ああ、これはクロードの残した最後の罠だ。失敗した時のためにしかけていた術。それを血と引き換えに発動させた。その術に、アドリアンが途中で詠唱をやめて行き場を失っていた力が上乗せされている。
だからアドリアンにも解けない。
クロードとアドリアン、二人の力を飲み込んだ魔術が膨張し、崩壊する。そして中央へと収縮していく。
「リルっ」
アドリアンの声が聞こえて、腕をつかまれた。闇の中、落下しながら、彼が深く抱え込んでくれるのを感じる。
もう一度、アドリアンが私の名を呼んだ。意識があることを確かめるように。
「理留っ、僕につかまっててっ。絶対、守るからっ」
リル、ではなく、理留。
微妙にイントネーションの違う名前。それで思いだした。
自分が誰か、彼が誰かをーーーー。




