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ある朝眼が覚めると溺愛されていました  作者: 朱居とんぼ
第二章 家族ってこんなものですか?
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2

 ふわりと香ばしいパンの香りが鼻孔をくすぐる。


(さあ、どんな反応を示すかな?)


 私はようやく焼きあげた不格好なパンをささげもって、アドリアンの部屋を目指していた。 この三日さんざん贈り物をしたけれど、さすがに食べ物は初めてだ。ちょっと胸がどきどきしている。


 階段をのぼると、ティルマンが部屋から出てくるところだった。


「ティルマン、アドリアンはいる?」

「……はい、中におられますよ、リル様」


 答えて、何か言いたげにティルマンがこちらを見る。でも何も言わない。ためらっている。いつものふてぶてしいまでに図々しいティルマンらしくない。


 と、思ったら、ようやくティルマンが口を開いた。


「リル様、実はあなた様の元の体はもう……」

「え、私の体? どうしたの、何かわかったの?!」


 勢い込んでたずねたら、またティルマンが黙ってしまった。そのままずっとリルを見ている。


 あまりに気まずくて、私は手にした籠をさしだした。


「その、パンを焼いたの。ティルマンも食べる? お腹が空いてたらいい考えも浮かばないし」

「お心づかいはうれしゅうございますが、今は勤務中でして。手作りのパンとは、きっとアドリアン様はお喜びになりますよ」


 さ、どうぞお入りくださいと場所をゆずられて、私はアドリアンの部屋へ入った。ティルマンは扉を閉めてそのまま去っていく。なんだったのだろう。何かあったのなら、また言ってくれると思うけど。


 改めて部屋の中を見回して、部屋の主を探す。


 アドリアンは長椅子に座っていた。だらりと手をたらして、ぼんやりと宙を見ている。


「アドリアン? その、どうかした……?」


 いつもと雰囲気が違いすぎる。おそるおそる近づくと、アドリアンがこちらを見た。そして体を起こして、ふわりといつもの笑顔を浮かべる。


「どうしたの、リル。君から僕のところへ来てくれるなんて」


 ほっとした。だって元気がないアドリアンなんて調子がおかしくなる。そう、いつもこれくらい暑苦しくないと。

 私はにっこり笑い返すと、アドリアンの前のテーブルにパンを入れた籠をおいた。


「あのね、アドリアンにパンを焼いたの、食べて」


 わくわくしながら言って、かけていた布をとる。

 アドリアンが眼を見開いた。


 そこにあるのは私渾身の手ごねパン、魚介シリーズだ。


 ヒトデやウミウシ、タコ。フグにカジキ。

 うろこの一枚一枚、触手の吸盤のひとつひとつ。ほのかに甘いパンの味とマッチしないグロテスクな姿を、可能な限りリアルにかたどってある。

 ちなみに魚の死んだような丸い眼には、干し葡萄をつかうとかえって可愛らしく見えるので、ガラス玉を使用した。自分でいうのもなんだが、かなり完璧に不味そうにできた。


(さあ、今度はどうっ。これを受けとる勇気はある?!)


 なんといっても食物の贈り物の場合、受けとれば食べなくてはならないのだ。マフラーなどとはハードルの高さが違う。


 内心、身構えて彼の第一声を待つ。


 でもアドリアンは何も言わなかった。


 籠からあふれんばかりの魚介パンを前に、眼を見開いたまま動かない。

いつもならすぐに満面の笑みを浮かべて、嬉しいよ、リル! と抱きついてくるのに、こんな反応は初めてだ。


(や、やっぱりあきれた? さすがの妹礼賛なアドリアンでも??)


 もともと嫌われるためにもってきたパンだけど、はじめての拒絶は思った以上にこたえる。

 私は肩をしゅんとおとすと、小さい声で言ってみた。


「か、形は悪いけど、味は普通だと思うの、……たぶん」


 突然、アドリアンの眼からぽろりと涙が落ちた。

 私はあわてた。


「え、あの、ちょっと、そんな泣くほど魚介類、嫌だった? す、すぐ片づけるから……」


 いそいでパンを隠そうとした私の手を、アドリアンがとる。


「……違うんだ、無理に召還して傍においているのに、こんなことまでしてくれるなんて」

「え?」

「ずっと、これ以上好きになっちゃいけない、ふれちゃいけないって自制してるのに、リルは僕をどうしたいの……?」


 えっとわかりにくいけど、それはこのパンが気にいったということ?

  

「こんなの想像もしなかった。手作りの食べ物なんて母様にももらったことないから……」


 ああ、この人は侯爵様だったっけ。私は納得した。


 それで今までの品も受けとっていたのかと思う。

 貴族階級なら稚拙な手作り品を贈り物にしないから、目新しかったというか、嫌がらせ品だとわからなかったのだろう。


 そうなると、ますます自分のつたないというか、不味そうなパンが恥ずかしくなる。今までにしてきた嫌がらせの贈り物のことも。

 自分がやっていたのは彼の好意につけいる卑怯な行為。好きと言ってくれる相手に嫌がらせの品を贈るなんて、どれだけ相手を馬鹿にしているのか。

 自分が恥ずかしい。


「ご、ごめんなさい、私が悪かったの。その、お詫びというか、今度はもっと練習してちゃんとしたおいしいものを持ってくるから、これは始末して……」


 懸命に言った私をアドリアンがひきよせる。ぎゅっと抱きしめられて、私は眼を見開いた。だって背に回された腕は、いつもの猫の子を可愛がるようなさりげなさではなく、何かせっぱつまったもどかしさがあったから。


「ありがとう」


 彼が言った。

 それはいつものおちゃらけた馬鹿兄の時とは全然違う、本音の声だった。


 ふわりと彼の香がかおる。赤の他人の、一人の男性の香りだ。

肩に埋められた彼の唇からもれた吐息が頬をかすめて、私の全身にふるえがはしった。


「ア、アドリアン? あの、確認するけど、アドリアンって私のこと妹として見てるのよね?」

「……違うっていったら、リルはどうする?」

「えっ?」

「ごめん、冗談。でも最初の日に君に言ったことは嘘」

「う、嘘?」

「枕元で君が目覚めるのを待ってたの、家族の特権だからじゃない。君が目覚めないんじゃないか、それが怖くて、つい確かめたくなったんだ……」

「あ……」


 そういえばこの人は〈ふさわしい魂〉がみつかるまで、物言わず横たわるこの体をずっと見ていたのだった。

 それは何年? 一年、二年、それとももっと長い間……?


(それは……確かに生きてることを確かめたくなるかも)


 動くことのない体、空っぽの器。

 それをずっと眺め続ける孤独な時間。どれだけの苦痛だっただろう。


 急に実感した。

 アドリアンがどんなに〈妹〉という存在を愛しているかということを。


 ただの趣味なんかじゃない。何か理由があってなんて上辺のことじゃない。彼は心の奥底から妹を、家族を求めて愛している。そんな心で何年もかかる研究を続けたりはしない。

 体を完成させるまでにはひどい挫折や苦労もあっただろう。なのにこの人は研究を続けたのだ。一人で。


「ご、ごめんなさい、アドリアン……!」


 私は泣きそうになりながら言った。嫌がらせの贈り物や、大嫌いと彼に何度も投げつけた言葉の数々。いったいどれだけ彼を傷つけただろう。ずっと〈リル〉が眼を開けるのを待っていてくれた彼に。


「本当にごめんなさい、もうこんなことしないからっ」

「いいんだ、それより今、ここにいてくれてありがとう。本当に嬉しいんだ、僕にこんな幸せになる権利なんてないのに……」


 幸せになる権利なんてない? どういうことか問いかけようとした私を、アドリアンがさらに深く抱きしめた。


 いや、抱くというより、私の肩に顔を埋めてしがみついている。

 まるで神聖なものにふれるような、そこにあることを確認しているような。彼がとても寂しい人なのだとわかる、優しく、それでいて激しく、切ない抱き方。


 そして……私の内でそれに呼応するものがある。


 一瞬、誰か小さな男の子の面影が脳裏に浮かんだ。誰だろう。はっきり思いだせない。記憶はないけど、自分はきっと寂しいという感情をよく知っていた。だから私はそっと腕をあげた。よしよしと、小さな子どもにするようにアドリアンの頭をなでる。


「……リル、もう少しだけでいいから僕といて」


 アドリアンが顔を伏せたまま、小さく言った。


「君だけは絶対に守るから。約束する。だからここにいて……」


 それはどういう意味? わからないけど、私はこくりとうなずいた。なんとなくそうしないといけないような気がしたから。


 アドリアンが私の手を握りしめる。

 そして私も彼の手を握りかえす。


 小さな非力な体だ。パンもうまくこねられないような。でもこんな体でもアドリアンが大切につくってくれた。そしてこうして傍にいて彼の手を握ってあげることができる。


 私はそのままずっと傍にいた。彼が満足して離してくれるまで。


 皆が見とれる美貌の主で侯爵様。そんな恵まれた境遇にいるアドリアンが、どうして幸せになる権利なんかないというのだろう。それにどうして偽物の妹にすがらなくてはならないのか。


 知りたい、そう思った。


 もちろん、私はいつかは帰る。だから知ってもしょうがない。

 だけど……。彼がこんなふうにつらそうに抱きついてくるのはもう見たくない、そう思ってしまったのだ。

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