閑話休題 男たちの独り言(アドリアン&ティルマン)
(執事ティルマン視点の三人称です)
半地下に位置する厨房のパン焼き窯から、香ばしい煙がうっすらもれはじめた頃。同じコスタス侯爵邸の上階では、部屋を片づけられませんとメイドに泣きつかれた執事のティルマンが、元凶である主の部屋へと向かっていた。
重厚なオーク材の扉の前で立ち止まる。
「アドリアン様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、ティルマンか。いいよ、入って」
扉を開けたティルマンは、広い部屋の中央で、おどろおどろしい品に囲まれて、届けられた書簡を読んでいるアドリアンを発見した。
「叔父上様とバロワ家の調査書でございますか」
「ああ、かるくゆすってやったから、少し動いた」
さりげなく言ったアドリアンが、傍らの銀盆の上で、書簡に火をつける。めらめらと燃えて灰になっていく薄い紙を見ながら、ティルマンはここに来た本題を切りだした。
「アドリアン様、つかぬことをおうかがいしますが、この部屋を占める品々はいったいなんでございましょう」
「リルからの贈り物なんだ、いいだろう」
「私には呪いの品々にしか見えませんが」
ティルマンは広い部屋にうずたかく積まれた各種贈り物を見た。
不格好な手作りらしき服飾品や石ころ、蛇のぬけがらや蜘蛛の死骸まで。ゴミか嫌がらせとしか思えない品々が丁寧に並べられている。
この三日ばかり、学院から戻ったリルがせっせと邸内を探して、〈贈り物〉という口実で持ち込んだ品だ。確かにメイドが捨てたいと願うのもわかる。
しかし幸せそうなアドリアンを見て、ティルマンはため息をついた。
「アドリアン様、私室のほうは我慢いたしましょう。しかしこれらの品を書斎や客間にまで並べるのはおよしください」
「どうして。これはリルがくれたものなんだよ?」
うっとりとアドリアンは小さな蜘蛛の死骸をつっつく。
「蜘蛛が大嫌いなリルが、涙をこらえてこれをハンカチにくるんで持ってきた時のことを思いだすとたまらないよ、可愛くって」
「はっきり言いましょう、アドリアン様。これはどう見てもリル様のささやかな抵抗、嫌がらせです。数日前、リル様が自らのご容姿をそこねようと、やけ食いをはかられたことはお話しましたね?」
アドリアンの口調に、深い本物の愛を感じとって、ティルマンは額を押えた。頭痛がする。普段は聡い主なのに、何故こうも妹のこととなるとお馬鹿になるのか。
「リル様はあなた様に嫌われたがっておられるとしか思えません。なのに溺愛をやめられないのは、新手のプレイですか」
「違うよ、純粋に彼女と過ごす時間が愛おしいんだ。これらの品だって撤去はさせないよ、ティルマン。仕事中も僕は眺めていたい。それに客間も。嫌な客の相手をするんだ、せめて心の潤いになるものをおいておかないと、僕の心がもたない」
「ですが書斎や客間ですと、これらの品を叔父上様がたがご覧になってしまうのですよ?」
ティルマンの言葉に、アドリアンの手がぴくりとゆれる。
「今日もまた叔父上様が、リル様は本物かと探りを入れてまいられました。もちろん使用人一同、一丸となってリル様の秘密は守っておりますが」
〈マリー・ブランシュ〉の出生届を出したその日から、使用人たちはいかにも彼女がいるように部屋を清掃し、食事をつくった。年齢に合わせてドレスや調度品も購入している。
それはすべてたった七歳で家族を失ったアドリアンを守るため。
「確かに今の状況は当初の計画どおり。皆、リル様に注目しております。ですが本当に実行なさるのですか? このままリル様とお暮しになる、そういう選択肢もあるのですよ?」
言って、ティルマンは自分の主であり、幼馴染でもある青年を痛ましげな眼で見る。
幼いあの日、崩れ落ちそうなアドリアンから受けた告白。
あの日から自分は同じ目的を果たすため、この人とともに歩いている。
この世界広しといえど、アドリアンからすべてを打ち明けられ、リルとアドリアンの〈本当の関係〉を知っているのは自分だけだ。
「……もしリルが本当の妹ではないと知ったら、どうするつもりかな、あの叔父たちは」
アドリアンの声に、蓋を釘で打ちつけた棺桶の記憶がよみがえる。見てはならないと言われた棺の中身を、アドリアンとともに深夜こっそり開けてしまった衝撃。
「後悔、なさっておられるのではないですか、リル様をまきこんでしまったことを?」
帰ってくるのは沈黙だ。
彼は葛藤している。何故なら、〈リル〉は真実、彼の最愛の人だから。
ティルマンは念を押すようにアドリアンに問いかける。
「では予定通りことをなされるのですね? そしてことがなった暁にはリル様を元の場所にお還しになるのですね、あの方がそちらを選ばれたら」
「それは……」
「アドリアン様」
「……わかってる。リルに甘えてるんだってこと。だから還すよ、ちゃんと。……僕は幸せになるわけにはいかないんだから」
苦く吐きだされた言葉は、強い誓約じみて、主従の間に静かに広がっていった。




