王宮夜会(回想) sideデボラ
そう言えば、私の社交界デビューもこの王宮で行われた夜会でした。
昼間の社交は既に参加しておりました。
妹と一緒だったので嫌味も少なく、私はどうにかコーネリアス様に相応しい女性として精一杯振る舞っていました。
しかし、夜の社交は今回が初めてです。
私が大人の一員として認められた、そんな大切な第一歩は侯爵の娘というだけで王家主催の夜会でなければいけませんでした。王太子の婚約者であるという理由でも、他の夜会を初めての夜の社交は許されておりません。
今夜、妹は出席できません。
私は失敗しないか、コーネリアス様に失望されたりはしないかと神経が張り詰め、自室を歩きまわっていました。
今夜の為に誂えた白いシフォンドレスの裾がヒラヒラと軽やかに翻ります。
未婚女性一年目の色は決まっていませんが、白系の色や淡く明るい色が良いとされています。
とても綺麗で、私にはもったいないくらいでした。
襟ぐりもデイドレス(昼間用のドレス)と違い、胸元も背中も大きく開いています。このイブニングドレスの着用を許されることこそが大人になったと認知された証です。
あれほど早く大人になってコーネリアス様の隣に立ちたいと思っていたのに、私には恐れ多くてまだまだ着たくなかったイブニングドレス。
ああ、今日という日なんか来なければい良かったのに。
そんな私を気遣ってサリーは声をかけてきました。
「お嬢様。お飲み物でも如何ですか?」
飲み物も喉を通りそうにない私は首を振りました。
「いいえ」
「では、歌でも歌いましょうか? それともピアノの演奏でも?」
サリーは気晴らしになるものを提案してきてくれました。
しかし、神経の昂っている私にはいつも好きだった音楽が煩わしく感じました。
「いいえ」
「それでは、ダンスでもしますか?」
その一言に私は足を止めました。
「ダンス?」
今日は初めての夜の社交です。
ファーストダンスは非常に重要なものです。ましてや私はコーネリアス様の婚約者。王太子の婚約者としての、初めての夜の社交でのファーストダンスは失敗など許されないものです。
誰よりも完璧に踊らなければいけないファーストダンス。
コーネリアス様の婚約者である私に課せられた試練の一つです。
「ええ。ダンスのおさらいです。緊張も解れますよ」
微笑むサリーの美しい顔に私の張り詰めた神経が緩みます。
サリーの笑顔には癒しの効果があって、本当に助かります。
そして、サリーの笑顔を見ていると私もつられるように笑みを浮かべてしまいます。
「そうね。コーネリアス様に披露する前にもう一度練習しておきたいわね」
「では、お嬢様」
優雅に差し出される手に私は手を預け、サリーのリードで踊り出しました。
長身のサリーは男役も堂に入っています。長身のコーネリアス様よりは低いですが、殿方と同じくらいの身長のサリーの視線は同じく長身の私よりやや高いくらい。
自分たちとあまり変わらない背丈の私と小柄な妹であれば、妹が好まれるのも道理です。あの子は明るく、楽しく、それでいて小さくて可愛らしい妖精なのですから。
身長があまり変わらないおかげだけでなく、サリーのダンスの技量も確かです。
伴奏もないのに私は無理なく、楽しくステップが踏めました。
何も考えず、身体を預けてステップを踏む。次の動作はサリーの巧みなリードがあるので気にせず、サリーの美貌を眺めながらただダンスを楽しんでいるうちに、色々なことが思い出されてきました。
思わず吹き出してしまうと、サリーが柳眉を顰めます。
「お嬢様?」
「昔、ダンスのレッスンがうまくいかなかった時もサリーはこうして付き合ってくれたでしょう?」
同じように昔を思い出して懐かしむサリーはあの頃と変わらないような気がします。
たった数年前ですが、サリーは昔と変わらず若々しいです。
「ええ。そうでございますね。あの頃のお嬢様はお小さくのにあんなに厳しいダンスのレッスンを受けているのを見ているほうが辛いくらいでした」
「何を言っているの? オーガスタは未だにサリーの肩ぐらいしかないじゃない」
「オーガスタ様にはオーガスタ様の、お嬢様にはお嬢様の魅力があるのですよ」
「・・・。サリー。よくわからないわ」
「お嬢様にはわからなくても、お嬢様の魅力はわかる人がわかっていれば良いのです」
「まったく、サリーはいつもそうね」
「当たり前です。サリーはお嬢様の為にいるのですから」
ただでさえ美しい顔で蕩けるような表情をされると堪ったものではありません。
それも私はダンスを踊っているのですから、30センチも離れていないくらいの至近距離です。
「サリー・・・。殿方の前でそんな表情をしては駄目よ? ただでさえサリーは美人なんだから、以前みたいに大変なことになるわ」
私がそう言うと、サリーは表情を曇らせました。
「それが仰りたかったのですか? あのダンス教師のしつこさには本当に参りました。お嬢様にダンスのレッスンをしているよりもメイドたちを追っかけているほうが多かったのですから」
「メイドたちと言っても、ほとんどサリーだけだったじゃない」
サリーの表情はますます曇り、苦虫を噛み潰したようになりました。
「・・・お嬢様、思い出させないで下さい。――ダンスの時はもっと楽しいことを話すのがマナーですよ」
サリーの困った顔は珍しいです。
私が何を頼んでもこんな表情をすることはありません。
私はそんなサリーの困った顔を見ているのが好きです。
サリーはダンスや教養をはじめ、侍女をしているには惜しいくらい何でもできます。
私には勿体無い人材です。
何でも笑って許してくれるサリーだから、私はサリーの困った顔が見たくなるのです。
見たくなるからといって、これは良いことではありませんよね。
「ごめんなさい、サリー」
私が素直に謝るとサリーはいつも許してくれます。
「お嬢様・・・。今夜はどうしても外出しなければならないのが残念でございます。こんなに美しい装いで社交界デビューされるのはお嬢様にとって良いことなのか、悪いことなのか・・・」
心配し始めるサリーが可笑しくて私は笑いを堪えられません。
「良いことに決まっているわ。だって、コーネリアス様に恥をかかせずに済むもの。――でもね、サリー。このドレスで最初にダンスを踊ったのがサリーだということは、コーネリアス様には内緒よ?」
クスクスと笑いながら私がそう言うと、サリーは目を細めて同じように笑いながら言いました。
「ええ、内緒にします。サリーとお嬢様の秘密ですよ」