選択
マイノリティに対する配慮に足りない表記があるかもしれませんが、実際のマイノリティの方を貶める意図はございませんのでお許し下さい。
王都に向かう馬車の中では厳しい顔で無言だったサリーですが、あの男に案内された家の一室で私たちだけになると窓に近付いて鍵を開け、こちらに戻って来て口を開きました。
「では、逃げましょう。デボラ様、一つだけ約束して下さい。どのようなものを見ても大声を出さないと」
居心地良さそうに整えられた女性用の部屋ですが、あの男が用意したかと思うと吐き気がしてきます。
これ以上、この部屋どころか、この家にいたくない私はサリーの逃亡宣言に喜んで頷きました。
「わかったわ、サリー」
前に手を着こうとしたサリーの姿は見る見るうちに変わっていきました。結わえていた髪は解かれ、服は肌と同化し、顔が伸び、手足や身体も伸びました。肌の色も大理石のような白さへと変化していきます。
「サリー、これは・・・っ?!」
私の目の前でサリーは金の鬣を持つ白馬になってしまいました。
『馬が私の真実の姿なのです』
私の頭に届いてきたそれが声ではないことに始めは気付きませんでした。
「サリーは馬、だったの・・・? いえ、馬は人間なんかにはなれない。サリーのお父様はローランド卿ですし、お母様のサニーも人間だったわ・・・」
「デボラ様、お気を確かに。お迎えはそろそろ到着する筈です」
常識を覆すサリーの正体に混乱する私とは逆に馬?であるサリーは冷静でした。
「迎え・・・?」
その瞬間、部屋の窓が音を立てて開きました。
あまりのタイミングに恐怖しました。
「デボラ? 大丈夫か? ――何故、ここに馬が?」
窓から入って来たのはリオネル様でした。
「リオネル様。どうして、このようなところに?」
「コーネリアスが不審な動きをしていると辺境伯から報せがあった」
「辺境伯様が?」
「辺境伯の情報は気持ち悪いくらい正確だな」
『デボラ様。どうぞ、マチェドニア様とお行き下さい』
「サリー?」
『マチェドニア様と行けば、デボラ様はマールボロ侯爵家に帰れます』
「サリー? サリーはどうするの? その言い方だと貴方が一緒じゃないみたいじゃない」
『私は――』
サリーは私の腕の中にいるユーリの産着を口で咥えて、自分の首の付根あたりの背中に乗せました。
ユーリは私の心の支えです。私は馬車の間もユーリを抱きかかえていました。そうしていなければ、怒りと屈辱に耐えられませんでした。
「何をするの、サリー?」
『この子は私が連れて行きます』
「サリー?! どうして?!」
『私は男でも女でもないだけでなく、化け物なのですよ。こんな気持ち悪いの身体を持つ私でもデボラ様は恋人として受け入れて下さった。でも、子どもまで受け入れなくていいのです。今は受け入れられても、いずれは化け物との間にできた子として厭わしく思うようになるでしょう。それくらいなら、私が連れて行きます。それが誰にとっても一番良いことなのです。この子にとっては、実の母親に疎まれたり、父親が化け物だと蔑まれません。デボラ様は化け物に騙されて過ちを犯しただけだと考えたほうが楽に生きられるでしょう。その過ちの証を見ているよりはそのほうが心穏やかに生きられる筈です』
「そんな風には思わないわ」
サリーは仕方がないとばかりに首を振りました。
『いずれ、そう思うようになります。そうなった時、今の私の判断が正しかったと感謝なさるでしょう』
「そんなこと言わないで。何故、そう言うことを言うの」
『それが現実なのです。理なのですよ、デボラ様』
「それは現実じゃないわ、サリー。現実は私が決めることよ。サリーの考えていることはただの妄想だわ」
私がサリーのほうに足を踏み出すと、まるで近付かれたくないようにサリーも一歩、後ろに下がります。
『妄想ではなく、これが一番実現されやすい未来なのです』
「サリーは未来がわかるの?」
『違いますが、こういった場合、――』
「それなら勝手に決めつけないで。私は貴方を選んだの。選ばされたんじゃないの。サリーしか頼れなから選んだわけじゃないわ」
『しかし、――』
「サリーは言ったわ。私の傍にいたいから王宮を辞めたって。私を守ると誓ってくれているじゃない。それなのに、貴方はいなくなるというの?! どうやって、私をこれから守るの?! 私に嘘を吐いて欺いていたの?!」
『違います! 嘘は吐いていません!』
「嘘はいらないの。優しい嘘でもいらない。私には誠実でいて、サリー。私に必要なのは誠実さなのよ。だから答えて。サリー、貴方は私を守ってくれると誓っているのよね?」
『はい』
「傍にずっといてくれるのよね?」
『・・・』
「私を愛してくれているのよね?」
『はい』
「なら、私を見くびらないで。貴方が愛することを選んだ私は、貴方自身が卑下するその身体も、貴方が化け物だと称する正体も、それが貴方の一部でしかないことを知っているわ。私が愛した貴方の心は化け物じゃない。今もこうして人間ではない自分を化け物だと怯えている優しい人よ。自分が化け物だから、人間として生まれてきた子どもが虐げられると考える貴方のどこが化け物なの。ただの子を思う良い親じゃない」
私はサリーに近付きました。今度はサリーも逃げませんでした。
「もっと、自分に自信を持って。そして私を信じて、サリー。自分が愛されることを信じられなくても、私を信じてくれればいいから。だから私の傍にいて、サリー」
私はサリーの首に腕を回して抱き締めました。
『こんな化け物が傍にいてもいいのですか?』
「傍にいるだけじゃないわ。私たちは家族なのよ。今までと同じように暮らしましょう」
『傍にいるだけでなく、今までと同様の関係を受け入れてくれるのですか?』
「当たり前でしょう」
『わかりました。ですが、それはマールボロ侯爵家の皆様と二度と会えなくなることでも構わないでしょうか?』
「それは・・・。――家族に会えなくなることは辛いわ。でも、成長すれば自分が家族を作るものよ。それまでの家族と離れ離れになるのも、距離的なものだけじゃないわ。子どもの時に家族を失ってしまう人だっているもの」
『デボラ様・・・』
馬になってもサリーの美しいあの青い目は変わりません。
「二人の世界を作り上げているのはいいが、今の状況を思い出してくれ。呆れて辺境伯がいなくなってしまったじゃないか」
私たちが感動に浸っているのをリオネル様が邪魔してきました。
そうです。
今はあの男がいつ戻ってくるのかわからない状況でした。
「辺境伯様がいたのですか?」
「ここに連れて来た張本人だ。――手助けはいらないな?」
『ええ』
「では、私は先に行かせてもらう」
そう言って、リオネル様は窓の外に消えてしまいました。
『デボラ様。私たちも行きましょう』
「わかったわ」
リオネル様と同じように窓から出ようと、窓に向かいました。
『そちらではありません。こちらに来て下さい』
窓からではないの?
馬であるサリー。その背でサリーの鬣を握り締めてご機嫌なユーリ。
逃げるにしても方法がわかりません。
「私はどうすればいいの? 」
『背中に乗って下さい』
乗れと言われても、乗れません。
私も貴族の嗜みとして馬には乗れますが、補助もなく一人では乗れません。跳ねっ返りやじゃじゃ馬でない限り、嗜みのある淑女は一人で馬に乗らないからです。
「サリー・・・。私、補助なしでは馬に乗れないわ」
乗りやすいようにサリーは前脚を折り畳んで、低くしてくれました。
落ちそうになったユーリはそれを遊びの一つだと思ったのか、喜んでいます。
私はどうにかサリーの背中によじ登りました。
『首につかまっていて下さい、デボラ様』
私が首につかまるとサリーは立ち上がり、窓に向かって歩き出しました。
私たちが住んでいた家の部屋よりは大きい部屋ですが、壁際から馬が何歩か進めばそこは壁です。
窓にぶつかる、と私が目を閉じた次の瞬間、空気が変わりました。
驚いて目を開けた時には私たちはあの男の家ではなく、サリーの実家であるローランド卿の家の見慣れた居間にいました。
”王宮夜会”のリオネルの不穏な発言と”選択”の辺境伯の発言からこうなるとお気付きになったでしょうか?
リオネルはデボラが追放されてから辺境伯領に出かける用事があって、協力関係になっています。ですから、サリーが馬でも驚いていません。可哀想にリオネルの精神は奇想天外の辺境伯領に慣らされてしまいました。




