選択
サリーの突拍子もない発言に私の肩をつかむコーネリアス様の手の力が抜けました。
その隙に私はサリーの後ろに隠れました。
「あいつは男だけだと思っていたが、女はお前のような顔しか駄目だとはつくづく物好きだな」
コーネリアス様も辺境伯様の噂はご存知のようです。リオネル様もご存知のようでしたし、これは殿方の間では有名なことなのでしょうか?
サリーの美貌がどうしてコーネリアス様にはわからないんでしょうか?
何故・・・?
「物好きで結構です!!」
それにしても、サリー・・・。
このことは後で辺境伯様に謝っておいたほうがいいです。
一緒に謝りますから、謝りに行きましょう。
「それが本当だと何故思う? 辺境伯はデボラに興味を示していたのだぞ」
ああ、ダンスに誘って下さったことですね。
「キリルはデボラ様が私のお仕えする主人だとご存知だから、気にかけて下さっただけです」
サリー、そこまで否定しなくてもいいと思うんだけど。
貴方は恋人の周りからの評価がそんなに低くても良いの?
オマケ扱いで良いのかしら?
「そんな筈はないだろう。デボラだぞ? お前とは違うんだ。誰もがデボラに注目する。どんなにそっとしていても、耳目を集めずにはいられない。それがデボラだ。辺境伯も惹かれない筈がないだろう?」
それは誰のことでしょう、コーネリアス様。
それなら私と婚約破棄したりしませんよね?
私はそんな大層な人物だと言う自覚は一度もありませんし、コーネリアス様はどうかなさったのでは・・・?
「キリルはそんな人物ではありません!」
確かに。
そんな美醜で考えを変えるような方ではありませんでした。
辺境伯様はどちらかと言うと仕事以外には興味がない方で、実用重視の契約結婚、便宜結婚大歓迎と言う変わった考えの持ち主です。
「いいように使われて、それでも辺境伯を庇うのか。あいつも良い紐付けをしたものだ」
コーネリアス様はサリーと顔がくっつきそうなほど近付き、言いました。
「侍女、良い事を一つ教えてやろう。男というのはいい女がいれば誰でも手を出したいものだ。その為なら手段は選ばない。用済みになってあいつに捨てられて泣かされる前にそれがわかってよかったな。私に感謝したくなったろう?」
「皆が皆、殿下と同じ基準を持っているとは思わないで下さい。不快です。キリルにも失礼です」
ほとんど距離がないと言ってもいいほどの距離で、二人とも目を逸らすことなく話しています。
不穏な空気しか漂ってきません。
「辺境伯は一年ほど前に妻を娶ったそうだぞ」
それはおめでたいことです。
今度、辺境伯様にお目にかかった時にお祝いの言葉を贈らなければ。
その奥様とはやはり契約結婚や便宜結婚だったのでしょうか?
思いがけず耳にした辺境伯様の近況に私が思いを巡らせている間も、コーネリアス様とサリーの会話は続いていきます。
「それがどうかしましたか? 別れた後に誰と付き合おうが、結婚しようが、私には関係ありません」
「子どももいるのに別れるような男を庇うのか?」
「子どものことは知らせていません。この子は私の子どもです」
噛み合っていないように見えて、辺境伯様のことを利用した以外、サリーは嘘は言っておりません。
「信じられない話だな」
「それが殿下とキリルの違いです」
「私を愚弄するのか?」
「間違えました。辺境伯であるキリルと殿下の違いです」
「それは何が違う?」
「辺境伯は辺境伯でしかないということです。仕事中毒。仕事の虫。働き蜂」
「辺境伯が働き蜂と言うなら、差し詰め、私は獅子だな。代わりのある者とかけがえのない者。比べることも馬鹿らしい。興が失せた。デボラ、行くぞ。付いて来い」
「殿下?」
何故、コーネリアス様とご一緒しなければいけないんでしょうか?
私はもう、平民です。
貴族ではありません。
臣下ではありませんから、王太子に従う理由はございません。
「愛人として囲われるのだから当然だろう」
コーネリアス様が何を仰っておられるのか、私は理解したくありませんでした。頭が拒否します。コーネリアス様の言葉はまず、音として頭の中を巡りました。次に滅茶苦茶な文節で区切られ、その不自然な区切りが自然な区切りに直されていきます。
身体がブルブルと震えました。
頭が真っ白になって、何も考えられません。
高位貴族の令嬢として生まれた私にとって、未婚のうちに誰かの愛人になることなど考えられることではありませんでした。そんな申し出は恥ずべきことです。マールボロ侯爵家の令嬢であった私は家名とその権力で拒絶することができました。
しかし、貴族籍を失った今の私はただの平民。王族や貴族どころか、裕福な商人の申し出に拒絶出来るだけの身分や権力はありません。
だからと言って、サリーとのことは恥じてはおりません。恥知らずな申し出とこれは違います。
サリーは人には知られたくない秘密を打ち明けてまで私を信じる選択をしました。
自分の命と引き換えに想いを告げたサリーと同等の犠牲を払って愛人を作る人物がいるでしょうか?
そんな人物は愛人なんか作りません。
愛人にはそんな犠牲は払わないのですから。
「デボラ様」
怒りは力を与えると言いますが、私の場合は身体から力が抜けました。腕に抱えていたものを落としそうになったところをサリーが代わりに持ってくれました。そして、私の身体を左腕の中に抱き込むようにして、支えてくれます。そうしてもらわなければ私は立っていることもできない有様でした。
体中から熱がどんどん逃げていきます。
「サリー」
サリーの顔を見上げれば、その秀麗な顔は怒りに歪んでいました。
「お気を確かに。私が付いております。隙を見て逃げますので、ご辛抱を。それまでは私が必ずお守り致します」
サリーは口元を私の頭に寄せてコーネリアス様に聞こえないように小声で言いました。それは傍目からも慰めているように見えますが、サリーには何か考えがあるのでしょう。
私は少し落ち着きました。
そして、サリーが右腕で持つ私が取り落としかけたものがユーリだったことに気付きました。
私は、我が子を抱いていることを忘れていたのです。
愕然としました。
次に今度は自分に対する怒りがこみ上げてきました。
私は私が命に代えても大切に守らなければいけないこの子の存在を忘れたのです。
私が茫然自失としている間に優秀な使用人らしい感情の窺えない表情をしたサリーはコーネリアス様と交渉しておりました。
「殿下。どうしても、デボラ様をお連れするなら、私も一緒に参ります。デボラ様に不自由がないように過ごして頂くには、私がお世話をして差し上げねばなりません」
「サリー!! 貴方まで来ることはないわ! 貴方はユーリを――」
今度こそ、この子だけは守らなければいけない。
いくら感情で我を忘れていたとは言え、我が子のことを忘れるなど私は母親失格です。
私は母親として残された最後の使命感からサリーに言いました。
「お守りすると誓った言葉を裏切らせないで下さい」
サリーは怒りを押し殺した静かな声で言いました。
「わかった。数時間とは言え、男に手を借りてデボラに恥ずかしい思いはさせたくないからな」
私の意志を無視した呑気な男の言葉に殺意を抱きました。
その穏やかでない私の脳裏に泣き出したユーリをあやすのに必死で、聞き流していた言葉が蘇ってきました。
正妃では無理だからと側妃にしようとしたこと。
側妃にできなくなると、愛妾にはできないから愛人にしようとしたこと。
この男の自分勝手な考えに私は何度も人生を振り回されていたのかと悔しさを感じました。
それでも、この子を連れて逃げ出せそうもありません。
この男だけでなく、この家の中にはこの男の連れが何人かおりますし、家の外には家の中以上に敵がいることでしょう。
私はサリーを信じて時を待つことにしました。




