選択
「どかせろ」
「おやめ下さい!! 何を考えていらっしゃるんですか!!」
来客の応対に出たサリーの叫ぶ声がします。先程の玄関のドアを叩く音はいつもとは異なっておりました。
何か異常事態でも起きているに違いありません。
聞いたことのある声が聞こえたような気もします。
誰の声だったのか私が思い出す前に私の腕の中にいたユーリがぐずりだします。
居間の私用の椅子で寛いでいた私は、ユーリをあやしながら立ち上がり、玄関のドアへと近付いて行きました。
両手を広げてサリーが家の中に入れないようにしているのは、数人の男たち。その中に見覚えのある顔が何人かおります。
「コーネリアス様?」
一番見覚えがあるのは元婚約者であるコーネリアス様でした。彼の側近でもあるクレイグ様の姿もあります。
「おお、デボラ。久しぶりだな。お前は益々、美しくなって。こんな小さな家には到底、似つかわしくないな」
笑顔でコーネリアス様はそう仰られますが、サリーに声を荒げさせるようなことをしていたのです。
警戒しなければいけないと思った時に、腕に抱える重さが気になりました。
私が守ってあげなければいけない一番弱いユーリを危険に晒してしまうなんて。
内心、臍を噛みました。
冷静に。
冷静に対処しなくては。
私は彼らを家に入れないようにしているサリーの腕に手をかけました。
「デボラ様・・・」
「大丈夫よ」
気遣わしげな様子のサリーに腕を下ろさせ、私はサリーの前に出ました。
「・・・ご無沙汰しております。このようなところでは何ですので、どうぞこちらに」
私は居間に彼らを案内し、上座の席をコーネリアス様に座って頂きました。他の方々はコーネリアス様の後ろに立たれ、既に平民である私はコーネリアス様の正面に立つサリーの横に立ちました。
「ところで、コーネリアス様。今回のご訪問はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ、これか? デボラを迎えに来たのだ。華やかな王都を離れて、こんな小さな家で辛かっただろう。そろそろ王都に戻っても誰も気付かないから安心しろ」
王都から追放したというのに、秘密裏に王都に戻すと言うことですか。
「王都からの追放はそのままなのですか?」
「ああ。それはすぐには何とかできない。王子でも生まれればいいのだが、その機会がなくてな」
コーネリアス様に王子がおられないことは私も知っています。
王女なら側妃や愛妾の方が産んだそうですが、肝心の王子は未だに恵まれておりません。
この頃は正妃であるオーガスタとの仲も思わしくないとか。
王子も正妃以外から生まれると噂されております。
それに噂で聞くには婚約前と変わらぬ様子の妹は平民たちの間では酷いものになっておりました。
女好きの王太子に、男好きの王太子妃
二人が侍らす人間で今日も王宮に列ができる
自分も加えてくれと列ができる
女好きの王太子に、男好きの王太子妃
二人のどちらかに気に入られる為に
顔に自信のある奴は王宮に行く
女好きの王太子に、男好きの王太子妃
二人が侍らす人間は競い合う
どちらに気に入られれば上か競い合う
こんな歌ができるくらいです。
初めて聞いた時には驚きました。
平民たちがこんなにも噂していようとは思ってもみませんでした。
「それは・・・。ですが、今の生活にも慣れましたから、私のことではお気を遣う必要はございません」
「そうはいかない。デボラがこんなところで苦労しているのは見ていたくない」
苦労はしていないんですが。
私は傍らに立つサリーの顔を見上げます。サリーは優秀な使用人らしく無表情を装っていますが、コーネリアス様を見る目付きは険しいものになっていました。それでも、私の視線に気付いて、元気付けるように頷いてくれます。
サリーは溺愛してくれていますし、子どももいますし、親子三人幸せに暮らしています。
家族総出で買い物に出かけたり、料理を作ったり、ユーリが立てるようになったら自然の多い田舎に移ろうという話も出ているくらいです。
父と母、兄や妹とは会えませんが、それでも今は幸せです。新しい家族が私にはおりますから。
しかし、そんなことを馬鹿正直に申し上げるには今の状況は危険すぎます。
女性にしか見えないサリーに対して暴力も辞さない言動をしておられるコーネリアス様が危険でない筈がありません。
普通なら、胸に抱えられている赤ん坊に目が行く筈ですが、今はコーネリアス様の注意が私に向いていて、ユーリに向いておりませんので、できるだけそうしておきましょう。
ユーリに注意が向くような余計なことはしないようにしなくては。
「そう仰って頂けて光栄ですわ、コーネリアス様。――今は貴族籍から離れたというのに、先程から無礼にも御名を呼んでしまい、大変、申し訳ございません」
「そんなことを私たちの間で気にする必要はない。私とデボラの仲ではないか」
そんなことを仰られても、私は貴方に捨てられた元婚約者です。
令嬢に付き纏われない為の盾としての婚約者です。
そうでなければ、結婚式を数カ月後に控えたあの時期に婚約破棄などする筈もありません。
それに今は貴族籍すら離れたただの平民です。
その平民が王太子の御名を呼ぶことなど――
「恐れ多いことに存じ上げます」
コーネリアス様の視線が私の顔から動きました。
私はユーリを隠そうと、ユーリの顔を私の胸に押し付けるようにして身構えました。
「そう畏まるな、デボラ。――っ!!」
笑顔が見たこともないような形相に一転します。
コーネリアス様が席を立ったのだと私が認識したのは、椅子の倒れる音がしてからです。
コーネリアス様は机を回ってくると私につかみかかってきました。コーネリアス様につかまれた肩が音を立てていないのが不思議なくらい痛いです。
相手は王太子です。侯爵令嬢だった時なら兎も角、今は平民である私には何もできません。
サリーも横で剣呑な空気を出しているかもしれませんが、サリーが何かすればコーネリアス様の連れに殺されるかもしれません。
この国では貴族が平民に何をしてもよいという国ではありません。それでも、貴族と平民の間には身分による大きな差があるのです。
王宮で侍女をしていたサリーはコーネリアス様に手を触れただけで、どんな口実を設けられるのかわかっているので黙っているのでしょう。
「他の男の子どもなど産むとは私を馬鹿にしているのか?!」
前後に激しく揺さぶられる私はユーリのことだけが気がかりでした。
近くで聞こえる男性の大きな声――怒鳴り声にユーリは泣き始めました。
「五月蝿い! ソレを黙らせろ! 側妃にして社交を行わずに済むようにしてやろうとすると、妹虐めをし始めて貴族たちの顰蹙を買って貴族籍から逃れる。愛妾では他の側妃たちにやっかみや妬まれるだろうからと囲って愛人にしようとすれば、行方をくらます。デボラ。お前を大切にしたいという私の気持ちが何故、わからない?」
ユーリを宥めようとする私を引きずるようにコーネリアス様は家の奥に行こうとします。
「おやめ下さい! デボラ様に何をなさるおつもりですか!」
サリーも後から追いかけて来て、先回りすると、コーネリアス様の進路を阻むように止めに入りました。
流石に王太子に対して、平民が手を出すことはできません。
「この状況でわからないと言うのか? それともお前が代わりになると言うのか」
「私が身代わりになります」
「サリー!!」
私は血の気が引く思いでした。
サリーには人には言えない秘密があるというのに。
それなのに、私の身代わりになると申し出ているのです。
そしてサリーの意識は女性ではありません。
「私は美女しか相手にしない! お前は自分の顔を鏡で見たことがあるのか?! その程度の顔では相手にもならん!」
――?!
コーネリアス様は何を言っているのでしょう?!
サリーの容姿はどう見ても金髪の美女です。涼しげな目元が中性的に見せているところもありますが、美しさに変わりはありません。
この端正な顔立ちがコーネリアス様にはどのように見えているのでしょう?
私が混乱している間もコーネリアス様とサリーの言い合いは続きます。
「デボラ様に無体を働きたいのなら私がお相手すると申し上げております!」
「お前では相手にならんと言っているのがわからないのか! 侍女の分際で生意気な!!」
「私はデボラ様をお守りすると誓っているのです! それに、その子どもは私の子どもです!」
「お前の子だと?! お前のような顔の女を相手にするような物好きな男がいるとでも言うのか?!」
「ええ、おりますとも! 辺境伯のキリル様です!」
サリーーーー!!!
はしたないことに私は叫び出したい気持ちでした。
確かに辺境伯様は困ったことがあれば力になると仰っていましたが、こんな時にその名前を勝手に使っていいものじゃないわ!!!
辺境伯様、申し訳ございませんーーー!!!
サリー:(辺境伯の「困ったことがあったら~」を思い出した)
サリー:(心の声「今です!」)ええ、おりますとも! 辺境伯のキリル様です!
後でそれを聞いた辺境伯の心情:orz




