ダンス
寄り添う白金と黒の姿が次々と夜会に出席した人々の間を動いていきます。
社交好きな妹は自分と同じか、それより少し上の層に。コーネリアス様は老若男女の別け隔てなく、挨拶に訪れる者や用事のある相手と会話していました。
そんな姿が一段落し、妹は仲の良い友人たちと話しているか、コーネリアス様と踊る頃。
それは私の出番――妹を虐める時間を意味すます。
私は両親のもとを離れ、歓談中の妹たちのところへ向かいました。
思い思いのドレスに身を包んだ淑女たちと凝ったデザインにクラヴァットを結った紳士たちの踊っているダンスフロアを横目に、私はいつものように妹のところに行き、”妹イビリ”をするのです。
今日は通りがかりに飲み物を配っている給仕のメイドに声をかけました。
「一つ、頂戴」
「レディ。それは・・・」
グラスに入っているのは淑女が飲むと眉を顰められる殿方用の酒精の強い飲み物。
レモネードや酒精の弱いワインやフルーツベースのワインなどであれば、給仕のメイドも困惑した声を上げなかったと思います。
「大丈夫よ。私は飲まないから」
「レディ、差し出がましい口をお許しを」
招待客とメイドでは身分が違い過ぎます。
招待客が何をやっても、使用人はそれに否とは言うことは許されていないのです。それが今回のような親切心からでも、招待客の心一つでクビになることもありますから。
「安心なさい。私が間違えないようにしてくれたのでしょう?」
「はい・・・」
謝罪する給仕のメイドからグラスを受け取り、歩を進めます。
私が妹まであと5メートルというところで、話をしていた同年代の殿方の言葉が途切れ、盛り上がっていた空気が一気に冷めました。私の妹虐めを警戒した雰囲気に飲まれてしまわないよう、勇気を振り絞ります。
王家に蔑ろにされた我が家の面子と妹の評判を守る為。それがどちらか一方なら私はしません。侯爵家の令嬢であり、妹を愛する姉だからこそ妹の前途に差す陰りを払わなければいけないのです。
毎日のようにそう、自分に言い聞かせていました。
そうして苦い思いで行っていたことも、慣れてきたのかこのところ言い聞かせなくてもできるようになりました。
「オーガスタ。貴女、何をやっているの?! いい加減に殿方を侍らすのはやめなさいとあれだけ言っていたのに、どうしてできないの!」
「お姉様」
妹はハッと目を見開き、エメラルドグリーンの瞳を揺らしています。
私の心も揺れます。
しかし、ここは心を鬼にして言わなければいけません。
それがこの子の為になることなのですから。
「そんなことで王太子妃。行く行くはこの国の王妃になれるとでも思っているの?!」
妹の取り巻きの一人で上級文官のエルリン卿が私を睨みつけながら仰りました。
「レディ・デボラ。毎度毎度、よく変わらないことを言えますね? それなら貴女にも言いましょうか。『言いがかりをつけて来るのはいい加減にして下さい』と」
「そうですよ、レディ・デボラ。ウィンターの言う通りです」
エルリン卿に続いて口を開いたのはドアーズ卿。彼は自分では何も調べようともせずに好き勝手言う、口だけの人物です。
まあ、妹の取り巻きに収まっている時点でエルリン卿も大差ない人物なのですが。
「言いがかり? 本当のことではなくて? オーガスタの味方をするのは勝手ですが、それでご自身の底の浅さを露呈していると思われませんこと? オーガスタのどこが王太子妃に相応しいとお思いになるの、エルリン卿? 人の言葉尻に乗ることしかできないのですか、ドアーズ卿?」
あたりは騒然となりました。妹の取り巻きは騒ぎ立て、それを見ている人々は物見高に囁き合っています。
サリーに見捨てられた日からの私はひと味違います。
サリーに冷たくされて気付きました。
私は侯爵令嬢としては有るまじきことをしていることに。
サリーも人間です。
仕える女主人が私というだけなのです。
サリーにはサリーの思惑があって私に仕えているということを忘れていました。
サリーのような優秀な侍女が、王族付きの侍女だった経歴を捨てて、まだ子どもだった私に仕えてくれていたのです。
なにがしかの理由がないとおかしいことです。
それを気にも留めていませんでした。
王家から王太子妃に相応しい教育を受けられる下地を作るように派遣されてきていてもおかしくないのに、そうではないと言っていたのに、私は気付こうとしなかった。
不審に思いたくなかったという理由で。
それは高位貴族である侯爵令嬢には許されない失態です。
妹にしてもそう。
私よりも優れているからと、私はいつも妹の影に隠れることを選んでいました。
姉なのに、私は一人でコーネリアス様とお会いすることができず、妹の同席を願ってしまいました。
妹は私を愛していたから、同席してくれていました。
妹より劣っていると思っていたから、マナー破りの妹の言動を咎めることはしなかったのです。
私が社交を苦手とするように、妹はマナーを苦手にしていると、甘やかしていました。
すべては私が悪かったのです。
自分も妹も甘やかして、それでも侯爵令嬢なのだと驕り高ぶっていたのですから。
私は侯爵令嬢として王太子妃に相応しくない妹の躾をしなければいけません。
父や母が妹の躾に失敗したのは私のせいです。
妹の社交性に卑屈になった私の責任なのです。
だから私はサリーに見捨てられたあの日から、社交界に出入りできる残された少ない時間を使って王太子妃に相応しいマナーを妹に身に付けさせようとしています。
「デボラ」
コーネリアス様の声であたりは静寂に包まれました。
妹の隣りにいたコーネリアス様が子どもの悪戯が成功した時のような笑顔を浮かべます。
「なんでございますか、コーネリアス様?」
「オーガスタを王太子妃に迎えたくても、お前のような身内が居てはままならん。貴族籍を取り上げることに異論はないな」
息を飲む音が大きく聞こえました。これは一人だけのものでなく、複数から上がっていました。
緊張のあまり、私には自分が息を飲んだかどうかもわかりません。
コーネリアス様の発言の形式は質問をとっていますが、これは事実上の貴族籍の剥奪です。
民衆と同じ生活をしたことのない貴族にとって、貴族籍の剥奪は生命が奪われるに等しい行為です。
コーネリアス様は私に死ねと?
私の顔からは表情が失くなったと思います。
「その上で王都から追放とする。未来の王妃の姉を母国から追放するのは忍びないから、国内に留まることだけは許そう」
追い打ちをかけるようなコーネリアス様の言葉と、妹のほうからの複数の拍手が聞こえてきます。
そして、音が大きなざわめきとして戻ってきました。
目は開けているのに、物がよく見えません。
どこに焦点を当てたらいいのかわかりません。
「レディ・デボラ」
両肩を誰かがつかんで私を立ち上がらせます。
どうやら、体から力が抜けて座り込んでしまったようです。
私はもう、”レディ”ではなくなったのに、とぼんやりと思いました。
「レディ・デボラ。さあ、ご両親のところにお送りしましょう」
声の主を見ると、それは辺境伯様の端正な顔がそこにありました。
辺境伯様に支えられながらよろける足で両親のもとへ戻り、私は両親と共に夜会を退出しました。
招待主へ辞去する挨拶もしませんでしたが、招待主もそれは求めていなかったと思います。
私の手からいつの間にか落ちた飲み物とグラスが使用人によって素早く後片付けされるまで、私が社交界に居たという証になりました。




