外出 sideデボラ
外出の支度をして玄関ホールに着きましたが、お母様の姿はありませんでした。
婚約が破棄されてからはどこに行くのでもいつも母が付き添ってくれていたので、その母の姿がないことが私の気持ちを掻き乱します。
「サリー。お母様はご一緒ではないの?」
私は後ろから付いてきているサリーに振り返って尋ねます。
「はい。本日はお嬢様お一人でございます」
「・・・っ!」
ショックのあまり、まるで頭を叩かれたような気がしました。
何故、お母様はご一緒して下さらないの?!
口から母を責めるその言葉が出ないようにするのが精一杯でした。
母に見捨てられたような、そんな気すらしてきます。
しかし、それは私の甘え。
母には母の、侯爵夫人としての仕事があります。
その仕事を今まで調整して、哀れな私に付き合ってくれていたのでしょう。
「お嬢様お一人では心細いと思いますが、本日の供は私が務めますのでご安心下さい」
「でも、サリー。外出するというのに供はあなた一人で良かったかしら? 護衛か従僕でも必要だったんじゃない?」
男手は必要だと思います。
朝のお茶の時間に聞いた結婚市場や結婚の罠が本当なら、この屋敷を出ることは非常に危険な気がします。
仮に本当に私に結婚市場で人気があるなら、両親の目の届かない外出中に何かある筈です。
「ご心配いりません。命に替えても私がお守り致します。これでも私の父は騎士。剣の心得はございます」
そう言えば、サリーの素性を聞いたことはありません。王都にある侯爵邸で雇われたのですから、それなりの家の出ではあることはわかります。
これが領地で現地採用されたのなら、身分は下がってもその周辺の出であることはわかります。
サリー自身が語らないせいか、侍女としてはかなり特殊な知識まで有していたのにも気付かず、王宮で働いていたことすらレディ・ウィルミナに指摘されるまで思い付きもしませんでした。
それにしても、サリーが剣を使えるとは思いませんでした。
「サリーが剣を?」
サリーは自信に溢れた顔で頷きます。
「我が家は女系で、父に息子らしいことをしてあげられる者がおりません。ですから、私と兄弟たちは父に剣を習ったのです」
「女だてらにサリーたちが剣を習ったのね」
「はい。父はとても喜んでくれました」
「そうでしょうね。ご子息がいないのは騎士であるお父様にとって寂しいことでしょうし。でも、サリーのような親思いの娘たちに恵まれて、お父様もお幸せね」
「そうでございますか?」
私のような不出来な娘とは大違い。
身分だけで王太子の婚約者に選ばれた娘。
侯爵である父の身分がなければ選ばれる筈もない娘。
折角、王太子の婚約者に選ばれても、当の王太子の心を繋ぎ留めておくことすらできない娘。
サリーなら、美しくて機転の効くサリーなら王太子の心を繋ぎ留めておくことはできたでしょう。
「ええ。――サリーのように優しくて、美しくて、優秀な娘がいるのですもの」
それを聞いたサリーは何とも言えない複雑な表情をしました。
「・・・そうですね」
サリーたち姉妹が父親にとって自慢の娘で私と正反対だということに私は苦い思いに沈み、サリーのその表情と声音の意味までは考えませんでした。
「私とは大違いの自慢の娘たちでしょうから・・・」
口調まで自嘲気味になってしまいました。
「お嬢様。そのような弱気にならないで下さい。お嬢様はどこに出しても恥ずかしくない素晴らしいご婦人です。旦那様も奥様も、若様やオーガスタ様もそう仰る筈です」
私に注がれるサリーの温かな眼差しが手に触れることができるものなら、私は触りたいと思いました。
それはとても気持ち良いものでしょう。
手放すのが惜しくなるほど心地良い手触りがする筈です。
できれば、それを宝石箱の中にでも仕舞っておいて、気鬱になった時に取り出したいくらいです。
「サリー・・・」
「ささ。出かけましょう。出かければ気分も変わります」
柔らかく笑いかけてくれるサリーに私は頷きました。
「そうね、サリー」
今は気分転換の外出をするところなのですから。
決して、見たくないものから逃げる為に外出するのではありません。
ですが、屋敷の外に停まっていたのは我が家の馬車ではありませんでした。
貴族の持ち馬車ですらありません。
街中によく走っている辻馬車です。
我が家には幾つもの馬車があるのに何故、これが我が家に?
貴族によっては馬車を帰してしまって帰れなくなった場合や馬車が足りないなどの理由で使うこともありますが、辻馬車は厩舎を持たない上流~中流階級が使うことが多い乗り物です。
「これは・・・?」
「お嬢様の安全面を考えまして、本日は辻馬車で向かいます。馬車だけお借りして、御者はマールボロ家の御者が致しますのでご安心下さいませ」
サリーの言葉に御者台の傍に立っている我が家の御者が帽子をとって軽くお辞儀しました。




