一夜明けて sideデボラ
紅茶の淹れ方はフィクションです。
私がサリーの思惑を推し量っている間、サリーは慣れた手付きでお茶の用意をしていました。
ティーカップから零れないのが不思議なくらい注いだお湯を一度は別の容器に捨て、ティーカップの縁をリネンで二周拭うと今度はティーポットから紅茶を注ぎます。次は3分の1だけ。
これは他家で行われたお茶会で気付いたことですが、サリーがお茶を用意するのは時間がかかります。お茶を用意する侍女というのは非常に手際の良い者が選ばれます。とは言っても、サリーや当家の侍女の手際が悪いわけではありません。
他家の侍女とサリーとではお茶を用意する方法が異なっているのです。
たかがお茶の用意とは言え、サリー以外にこのような方法をする貴族の家の侍女は見たことがありません。それはコーネリアス様とお茶を楽しむ時に王宮の侍女がしてくれる方法です。
そう言えば、レディ・ウィルミナの仰っていた王家から派遣された侍女とはサリーのことかもしれません。
あの時は誰なのかわかりませんでしたが、こうしてお茶を用意しているところを見ているとそれがあながち間違っていないような気がします。
サリーは高位貴族の女主人付侍女だと聞いたことがありました。それ故に様々なことを知っている、と。
王妃教育を受けている時も、私は実の姉のように慕っていたサリーから注意を受けた点やサリーのすることに慣れていたおかげで何度も助かりました。
よく考えてみると、サリーは王宮で王族付きの侍女をしていたのかもしれません。
「サリーは王家から遣わされてきたの?」
一瞬、紅茶の入ったポットを手にしていたサリーが身を震わせ、手元が狂いましたが紅茶は零れることもなく、ティーカップに注がれます。
「いいえ」
何事もなかったかのようにサリーはティーカップの紅茶を口に含み、ティーカップの残った紅茶を先程のお湯のように捨てます。
サリーがしているのは毒味です。ティーカップの縁に付けられた毒すら口に含んで確認しているのです。
「でも、そのお茶の用意の仕方は王宮のものだわ」
「お嬢様は王族に嫁ぐ身。王族と同じ待遇が相応しいものです。サリーは昔、高貴なご婦人に仕えていた経験がありますので、それに従ったまででございます」
「コーネリアス様に嫁ぐのは私ではないわ。オーガスタよ」
「そうでございますね」
別のリネンでティーカップの縁を拭い、サリーはもう一度、ティーポットから紅茶を注ぎます。
「それなら、私にこのような手間のかかる方法を使わなくてもいいのよ?」
「お嬢様の身を案じるサリーのしたいようにさせて下さいませ。いくら王太子様の婚約者ではなくなったとはいえ、お嬢様はマールボロ侯爵令嬢でございます。念には念を入れておかなければ」
「私の身を害しても何もならないと思うけど・・・」
言い淀む私にサリーは再び注いだ紅茶の入ったティーカップとソーサーを差し出しました。
「お言葉ですが、お嬢様。お嬢様は麗しいお姿をしていらっしゃいます。王太子様という婚約者がいなくなった今では、マールボロ侯爵家の後ろ盾も得られると注目を集めている存在なのです。若い独身の紳士たちはそんなお嬢様を放っておく筈がございません」
サリーは私付きの侍女なせいか、私のことをいつも持ち上げて励ましてくれます。身内贔屓なその発言の半分くらいは真に受けてはいけません。
現に私はコーネリアス様に捨てられていますから。あの方を繋ぎ留めておくほどの魅力はなかったのです。
紅茶の良い香りに寝起きの頭がしっかりしてきます。
「そうは言っても、サリー。私に声をかけてくるのは愛人のお誘いばかりよ?」
一口で口の中に広がる馥郁たる香り。
冬の寒い朝など、温かなベッドの中で楽しむこの一時は最高の贅沢です。
「旦那様の目論見が功を奏しているからです。放蕩者共は遊びだからと気軽に声をかけてきますが、結婚を考える殿方は虐めをするような淑女を好みません。いくら絶世の美貌を誇ろうが、世界一の持参金があろうが、猛獣の檻の中で暮らしたいと考えるような者はおりませんから」
父は我が家の面子を保つ為だと申しておりましたが、このようなことを想定していらしたとは思いもよりませんでした。
妹虐めは嫌ですが、放蕩者やら社交界と縁を切れるなら続けたい気がしてきます。
早く、社交界から姿を消して、穏やかな日々を過ごしたいものです。
「その言い方だと虐めをする淑女は猛獣だということになるわ」
「その通りです。優しいお嬢様はご存知ないでしょうが、少しでも良い結婚相手を探している猛獣は何をしてくるかわかりません」
「私に何かって、そんなことある筈もないわ。サリーは私のことを過大評価し過ぎよ」
王太子に捨てられた婚約者が落ち目でないとすれば、何を落ち目というのでしょうか?
そんな落ち目の人物に危害を加えようと考える者などいないというのに。
「お嬢様はご自分のことがわかってらっしゃらないから、そう思われるのですよ。お嬢様やオーガスタ様のようなご令嬢は奇特な性格だと言われるほど稀少なのですから」
「そうかしら?」
「はい。高位貴族のご令嬢であればその身分を振りかざす者もおりますし、下位貴族のご令嬢は実家への援助が必要となりますから、高位貴族は勿論、爵位持ちや裕福な人物に嫁ごうと母親共々、高位貴族のご令嬢以上よりもあの手この手を使って必死です。泊まりがけのパーティーなどでは狙っていた殿方と令嬢を一室に閉じ込めて一夜を明けさせ、無理矢理結婚を迫ることなどよくあることですから。その他にも多数の目撃者の前で口付けや抱擁をしたりして、紳士として責任をとらせる方法はいくらでもあります」
貴族の結婚というのは家同士の繋がりですから、家同士が対等に取引できるのなら本人の意志など構うことはありません。
サリーが言うような場合、双方の家に利益のあるものではなく、ご令嬢の魅力で家同士の繋がりができるというものなのでしょう。
無理矢理結婚を迫るやら、責任をとらせるやら、確かに淑女のやることとは思えない例がサリーの口から出てきたのは気のせいでしょうか?
「・・・。そんな、はしたない真似を本当にするご令嬢がいるの?」
「お嬢様にはご理解できないかもしれませんが、そのような方法をとられるご令嬢はよくおられます」
「・・・」
信じられません。
信じられないあまり、頭を左右に振ってしまいます。
王太子の婚約者という立場であった為に私には無縁の世界だったのでしょうが、それでも信じられないことです。
お茶会や夜会で顔を合わせたことのあるご令嬢やご婦人たちがそんなことをしているとは、私にはとても信じられません。
呆れて物も言えない状態の私にサリーは説明を続けます。
「ご令嬢はふしだらな評判を覚悟した一か八かの賭けをし、殿方はご令嬢の名誉を守って紳士たる高潔な態度をとらされるのです。ここで殿方が拒否すれば、殿方も放蕩者や未婚令嬢を近付けてはならない人物という評判を得ます。そうなると、いざ結婚したいご令嬢が出てきても、ご令嬢の父君に求婚の許しを得られない可能性が出てきます」
「それではそのご令嬢と結婚しない限り、殿方もご令嬢も悪評の為に結婚もままならなくなるのね」
「そうです。殿方の場合は断ると紳士らしくないと言われ、結婚には不利になりますから、放蕩者やらそれなりの年齢になっている者以外はそのまま結婚する羽目に陥ります。ですから、これは結婚の罠と呼ばれております。お嬢様の場合、マールボロ侯爵家の権力や持参金、お嬢様の美貌を目当てに結婚に追い込もうとする者が出てくることが憂慮されます」
「先程の話とは逆ですわね」
「はい。お嬢様にはそれだけの価値が有るのです。そして、そのようなことを狙っているのは没落した家だけでなく、ご令嬢たちが狙っている殿方も含まれます」
「まさか。どの令嬢でも選べる人物がどうして私のような不良物件を欲しがるのかしら? 悪くすればコーネリアス様のご勘気に触れるようなことを」
コーネリアス様に捨てられた私のような者を。
人見知りをし、社交には不向きな引っ込み思案な私などを。
それどころか、あの子とコーネリアス様の間にあった邪魔者として忌み嫌われているかもしれない私を。
「ですから、お嬢様は価値が有るのです。生きている人とは思えぬ妖麗なお姿に奥ゆかしい性格、王太子様との婚約は破棄されても次期王太子妃の姉で、ご実家は王太子妃のご実家でもあり、飛ぶ鳥落とす勢いのある家なのですから。お嬢様は今の結婚市場で一番有望な令嬢なのです」
なんということでしょう。このように恐ろしい結婚市場で私が狙われているとは。
そして、結婚の罠。
これがサリーの勘違いであれば良いのですが・・・。




