王宮夜会 sideデボラ
「あの、リオネル様? お戻りにならないんですか?」
どうして、コーネリアス様と一緒に戻って下さらなかったのでしょう?
一人になりたかったのにコーネリアス様は現れるは、リオネル様は現れるは、散々です。コーネリアス様は私の気持ちすら乱していきました。
リオネル様は私の目をまっすぐに見ました。その真剣な眼差しに気圧されそうです。
「しばし、話し相手になってもらえるか、レディ・デボラ?」
否とは言わせない雰囲気のリオネル様の言葉に私は頷きました。
「ええ」
先程、リオネル様自身が仰っていたように、婚約間近の妹以外の女性とコーネリアス様が一緒にいるところを迎えに来たように見えてはいけないのですね。
コーネリアス様は妹との婚約話が流れるのを嫌って大人しくお言葉に従ったくらいです。
妹の手を取る為に私と婚約破棄までしたのですから、今更、私との仲を邪推されて破談を避けたいのでしょう。
私はコーネリアス様にとって本当に都合の悪い存在なのだと実感しました。
コーネリアス様が本当に好きになった相手との仲を邪魔する悪者。
足元に視線を落とすと、スカートの前を両手で掴んでいるのが見えました。
無意識のうちに掴んでしまったのでしょう。
力が入るあまり、掴んでいるスカートの部分は皺になりそうです。
ごめんなさい、サリー。
サリーに皺伸ばしの手間を掛けさせることに気付いて心の中で謝っておきます。
「ウィルミナとコーネリアスの二人のことは本当に済まない。あの二人が血縁の近さを理由に婚約できなかった為に、レディ・デボラには何年も嫌な思いをさせた挙句、今度のことだ。血縁の近さから婚約候補としては順位が下から数えたほうが早い現実を受け入れられないウィルミナにしろ、婚儀も半年後に迫った時点で婚約者を取り替えるコーネリアスにしろ、我儘過ぎる」
リオネル様の強い語気に私は慌てて否定します。
「そんな・・・! そんなことはありません。私がもっと社交的に振る舞えれば、コーネリアス様にもレディ・ウィルミナにもご迷惑をおかけせずに済んだのに」
リオネル様にとってコーネリアス様とレディ・ウィルミナは同じ王族。それも弟妹として可愛がっておられたのです。
ただの侯爵家の娘にすぎない私はその言葉を真に受けて肯定などできよう筈もありません。
「今度の婚儀の日程にしても本来ならレディ・デボラが17歳になったら行われる筈だったものを、コーネリアスが何度も延期した末に決定したものだろう? それなのに何故、コーネリアスを庇う?」
コーネリアス様と私の婚約破棄にリオネル様も思うところがあったようです。
お気遣いはありがたいのですが、身に余るものです。
しかし――
「すべて、私が至らないからです。8年経っても、王妃教育を身に付けられない私が悪いんです」
物覚えの悪い私は何年も前から既に見切りを付けられたのでしょう。
それでもお優しいコーネリアス様は私との婚約を解消されようとはなさらなかったのです。妹に心を奪われていたとしても、私が自分の能力の限界に気付いて自ら婚約解消を申し出ることを待っていたのかもしれません。
それも偏にコーネリアス様の温情、故に。
私にはそれがわかっていなかったのです。
コーネリアス様が妹に心を移したと、そればかり見ていて。
惨めな自分が周りから可哀想だとは見られたくないと、そればかり気にしていたのです。王太子の婚約者の名に相応しい振る舞いを気にかけ、コーネリアス様の思い遣りに気付かなかったのです。
「それは違う。貴女は充分な成果を出していた。婚儀が遅れたのは本当にコーネリアスの我儘のせいだ。あいつは貴女にもレディ・オーガスタにも良い所を見せたいと、婚約の解消を切り出せなかったのだから。それがこの結果なのだから救いようがない」
「・・・」
「自由の身になった貴女には新たな結婚相手を探す権利がある。コーネリアスのことを早く忘れて、自分の幸せを考えて欲しい。貴女が新たな幸せを手に入れることで吹っ切ってやらねば、コーネリアスはまたも馬鹿な真似を繰り返し、貴女の人生を引っ掻き回すに違いない」
「それはどういう意味ですか?」
「レディ・オーガスタは親しみやすい反面、男を侍らしたままにしてしまう。それが何を意味するか、王妃教育を受けた貴女にもわかるだろう?」
「・・・!」
友達感覚で殿方を侍らしても許されるのは婚約者も定まっていない未婚の娘か、未亡人だけ。それも求婚者という立場で。
夫以外の殿方の影のある妻というのは、夫に軽んじられている存在か、自ら不貞を公表しているものなのです。
王妃の役割は自国の女性の頂点に立つ者として、彼女らの尊敬や制御、協力が必要です。殿方の制御や協力は王が取り付け、国を纏め上げていきます。
つまり、王妃の周りには王以外の殿方の影があってはいけないのです。
例外として護衛はありますが、それ以外の殿方を妹はどうするつもりなのでしょうか?
あの子は性別を問わず、囲まれている子です。皆があの子を取り囲まずにはいられない子です。
その姿を諸外国やこの国の要職にある者が見れば、軽んじられます。
誰もがあの子の魅力の虜になっていれば些細な事と言ってのけられますが、外交や水面下での遣り取りでコーネリアス様があの子の傍を離れた隙に、あの子に取り入って、あの子の意見を誘導することも可能です。
事実、そのように王の寵姫に取り入って、政治を私物にした人物が歴史上にも、諸外国にもいます。
音を立てて血の気が引くのがわかりました。
「コーネリアスの気が変わらないうちに身の振り方を考えてくれ」
「それは・・・」
姉妹の取り換えがまた起きるということですか?
声にならない私の問いにリオネル様は頷きました。
「貴女は地獄を見てきた。またそれを見せるのは忍びない」
「しかし、妹との婚儀は・・・」
「姉妹の取り換えという醜聞に婚約はすぐには発表できなかったがそろそろだろう。婚儀を挙げるまでには別の令嬢に気が移るだろうしな」
リオネル様は手近にある枝に手を伸ばして言った。
「それは一体・・・?」
リオネル様が鼻で笑った気配がしました。
「何、気にすることはない」
これ以上は尋ねてはいけないようです。高位貴族とはいえ、一貴族の娘が詮索してはいけない領域のようです。
「・・・」
お話を聞いた分には、妹とコーネリアス様の婚儀は行われないような感じでした。そこまでコーネリアス様の気持ちが保たないと暗に示されているようです。
あのコーネリアス様の気持ちが冷めるなんて・・・私の時はそうでしたが、妹の時もあるのでしょうか?
それもあと1年もしないうちに。
私との婚約期間が長かっただけに妹との婚約期間は短いと思います。妹の人柄は既に知っていますし、国王夫妻も何度もコーネリアス様の婚儀が流れるのも好まないでしょう。
王妃教育は結婚後も継続して行われることに違いありません。
リオネル様は何を考えられておられるのでしょう?
いえ、リオネル様は何を企まれておられるのでしょう?
コーネリアス様の廃嫡でしょうか?
それとも、妹との婚儀の阻止でしょうか?
知らず知らずのうちに乾いた喉を潤そうと飲み込んだ唾の音が耳に響きます。
「デボラ?」
テラスの入り口からする抑え気味の父の声に私の身体から力が抜けました。
「お父様」
「おお、デボラ。そこにいたのか」
私に歩み寄る父。
「マールボロ侯爵。リオネル・ユーグ・マチェドニアです」
「?! マチェドニア卿ではありませんか。上の娘に付いていて下さり、ありがとうございます。この大変な時期にこれ以上の醜聞は困りものですからな」
リオネル様の存在に気付いていなかったのでしょう。
父の声には最初、驚きが満ちていました。
「そうですね。ただでさえ、周りが煩いだけに今はただ時が過ぎ去ってくれるのを待つのみです」
気遣うようなリオネル様の声音に、父もその真意を汲みました。
「そうですな。静かになってくれれば良いのですが、こればかりは如何ともし難いもの――デボラ?」
「はい、お父様」
父がつかまりやすいように腕を作ってくれたので、私はそれに手を置きます。
「マチェドニア卿。娘のことでは重ね重ね感謝致します。この御礼はまた別の折りに。では」
リオネル様に借りを作ってしまったとは!
父の言葉を聞くまで忘れていました。
申し訳なくて父の顔を見上げる私に、父は小さく首を横に振って、何でもないと伝えてくれます。
コーネリアス様に婚約を破棄され、マールボロ侯爵家の名に泥を塗っただけでなく、リオネル様に借りまで作ってしまうとは・・・私は何たる役立たずなんでしょう。
「では、またお会いしましょう。マールボロ侯爵、レディ・デボラ」
意気消沈する私を連れ、父は母のもとに戻りました。
そして私たちは妹を残して、王宮夜会を後にしました。




