婚約破棄について sideデボラ
短編が説明力不足だったことをはじめにお詫びします。
短編では捨てられても別に愛する人ができた”ざまあ”話でしたが、こちらではデボラの父やサリー、王太子などの周辺の人々を深く掘り下げて書いていきます。
「王家からお前とコーネリアス王太子との婚約破棄の連絡があった」
侯爵を務める父の、暗く陰鬱とした書斎に呼び出され、告げられた内容に私は「ああ、やっぱり」と思ってしまいました。
私は王太子妃になるには、それ以前に侯爵令嬢であるにはあまりにも地味すぎたのです。
周りを動かし、コントロールする術などとてもできない性格でした。
あわよくば私の代わりに婚約者に成り代わろうと王太子に群がる令嬢たちを諌めたり、追い払うことのできなかった私。
代わりに追い払ってくれていた、明るく人気者の妹。
王太子が妹に惹かれていくのもわかりました。
でも、私と王太子の婚約は家同士の契約だから、私は見ているしかありませんでした。
「代わりに、オーガスタとの婚約を申し込まれた。我が侯爵家としてはどちらの娘でも構わないが、虚仮にされた礼はせねばならん。それはわかっているだろう、デボラ?」
猫の子を気に入ったか入らなかったで取り替えるように、婚約の相手を姉から妹に取り替える。それだけでも失礼な話ですが、父が言っているのは侯爵家に対してそのようなことを行ったという、侯爵家の面子の問題です。
「はい」
私を守ってくれた妹を私は苛めなければいけない。
私の陰口を潰してくれた妹を罵らなければいけない。
私に向けられた嘲笑を止めさせた妹を嘲笑わなければいけない。
私は妹の恩に仇で返さなければいけない。
「これはオーガスタにも必要なことだ。姉の婚約者を盗るなど、言語道断だ。侯爵家の恥だ」
私に虐められることで罰を受けたのだと、免罪符になるのだと知ったのは、ずっと後になってからでした。
それを初めから知っていたとしても、私は父の言葉に従って、妹を虐めたでしょう。
父はどこまでいっても侯爵でしかなく、私は侯爵令嬢でしかありません。
父と私はこの点ではとても良く似ています。社交性については妹が受け継いだのでしょう。
母は私同様、大人しいタイプです。他の既婚婦人は跡取りと次男が生まれると公然の秘密として愛人を作りますが、侯爵夫人としての振る舞いを完璧にすることに全てを打ち込んでしまっているのでそういった醜聞とは無縁です。
父は父で、侯爵としての責務を積極的に担っていますので、愛人に構う時間は無いようにも見えます。
そうでなければ、眉間に消えない縦皺など無いでしょう。
「はい。お父様」
私が返事をすると父は既に手元の書類に目を通しています。
自分がいないもののように扱われるのは辛いですが、父には侯爵としての仕事があります。
侯爵の仕事は忙しいです。
領地経営や投資、王宮での政に関わる仕事などすることは多岐にわたります。
政以外では代理人を置けばいいのですが、代理人が不正を行わないという保証はありません。それに分野ごとに専門家を配置したほうが効率的にも良いので、各種の専門家に専門的事項を任せて報告させると共に複数の監査役からも報告を上げさせています。
そして、代理のきかない政においては責任の重い役目を負います。
私は父の仕事を邪魔するわけにはいかないので、早々に退室しなければいけません。
「失礼致しました」
私はお辞儀をした後、静かに扉を開け、退室し、音を立てないように閉めます。
「お嬢様」
父の書斎の外で私を待っていた侍女のサリーが気遣わしげに声をかけてきました。
零れ落ちんばかりの豊かな胸に蜂のような見事な腰のくびれを持つサリーは、男装すれば麗人と言われる美貌の持ち主。
暗闇の中でも彼女の蜂蜜のような濃い金髪が輝いているように見えます。美人は何か特殊な魔法でもかかっているのでしょうか?
サリーを見ていると自分が恵まれ過ぎていることに気づきます。
明るく元気な妹に、仕事のできる美貌の侍女。私には勿体無いものばかりです。
「婚約破棄されたわ。オーガスタと結婚したいそうよ」
「そんなっ。あれほど王家に嫁ぐために頑張ってきたというのに・・・」
サリーは俯いて声を曇らせます。
「私はどちらでも構わないわ。王家の人間になって、華やかな場所に出ないで済むのよ? どちらかというと、幸運だったわ。コーネリアス様のことは嫌いではなかったけど、あのままだったら妹と浮気する夫を持つことになったのだから」
「お嬢様・・・。お嬢様はお綺麗です。オーガスタ様とは比べ物にならないくらいお美しいのですから、別の縁談もありますよ」
サリーは熱を込めて私に言います。
サリーの宝石のような青い瞳を見ていると、こんなに美しいサリーが言うことです。
根拠はありませんが、サリーが言うことが本当のような気がしてきます。
でも、私はもう、縁談は懲りごり。
「王太子に捨てられた元婚約者に? そんな話はないと思うわ」
「そんなことありませんよ」
そう言うサリーの笑顔が眩しくて堪りません。
やはりサリーの美貌には何か魔法がかかっているのかもしれません。
私には直視できません。
目が潰れそうです。
これが凡人と美人の違いかもしれません。
私は思わず目を逸らしてしまいます。
私の前に屈んだサリーは私の両手を自分の両手で包み込みました。
サリーは殿方の平均身長よりやや高いくらいの身長をしていますので、女性としては大柄な部類に入ります。
そのせいか、大人に諭される子供のような気がしてきます。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
下から覗き込むように言われてしまっては、私はサリーを見るしかありません。
私はサリーの美貌という名の視覚の暴力から逃げられないのでしょうか?
「お嬢様の良いところは必ず誰かの目に止まっています。ですから、お気を落とさないで下さい」
「サリー・・・」
サリーの微笑みには温度でもあるのでしょうか?
心にじんわりと染み込んできて、温かくなるような気がします。
これは何か物理的な作用があるとしか思えません。
鼻の奥がツンとしてきます。
「サリーはお嬢様の味方ですから、お嬢様はいつも笑っていて下さい」
私はサリーの言う通り、笑おうとしました。
顔が強張ったかのように痛いです。
どうやら私の顔は笑いたくないと抵抗するようです。
私は無理矢理、頬に力を入れて口角を上げます。
サリーは私の左手を解放して、強張った私の頬を撫でます。
「お辛い思いをしたばかりだったのを失念しておりました。差し出がましい口をきいて、申し訳ありません。お嬢様はお嬢様が思うようになさっていて下さい」
「サリー?」
「泣きたい時は泣いて下さい。笑いたい時に笑って下さい。サリーはお嬢様がいつも笑っていられるように、頑張りますから」
「ありがとう」
私はサリーに抱き付きました。
屈んでいるのに抱き付くと言っても、頭を抱え込むと言ったほうが正しいですが。
コーネリアス様のことが嫌いでなかったのは本当です。
自分に能力がなくて婚約を破棄されたのも仕方がないと思います。
サリーは気を落とさなくていいと言ってくれますが、コーネリアス様から暗に「いらない」と言われてしまったようで悲しいことには変わりません。
私にもっと魅力があれば、こうならなかったのでしょうか?
私が私だから駄目だったのでしょうか?
妹とコーネリアス様に惹かれ合うものがあったのがいけないのでしょうか?
私に魅力があれば、コーネリアス様はオーガスタに惹かれなかったのでしょうか?