第一話-8
「くっ……」
青年を睨みつけながら少女は、柄を握る両の手に力を籠める。
無表情で、無口で、当初から得体の知れなさを感じていた目の前の青年は、これだけのやり取りをした後でも息ひとつ乱していない。気怠そうな雰囲気も相変わらずに傷ひとつなく立っている。
簡単な相手ではないと、最初から勘が告げていたが、まさかここまでとは思ってもみなかった。
このままでは、明らかに自分の身が危うい。
だから。
「……仕方が有りませんね」
袖で額に滲む汗を拭う。柄を握り直す。呼吸を整える。脳内で参照していた書物を別のものに変える。
そうして少女は諦めたのだ――必要最低限の傷で、青年を捕える事を。
行きますよ、という少女の独り言のような呟きが耳に届いた次の瞬間から違和感が、青年の胸中に生じ始めた。
頭に、腕に、腹に。薙ぎ、突き、振り下ろし。
「……っ」
その全てを躱しながら青年は、絶え間なく襲い来る一撃一撃が、しかし先程までとは別の法則に支配されているような感覚を得た。
理由は分からない。言葉を用いて説明も出来ない。何となくだ。ただ何となく、変わってきているように感じているのだ。強いて言うなら、速くなってきているような、それでいて躱し易くなりつつあるような。
落ち着いて考える事が出来れば答えも出せるのだろうが、それは無理というものだろう。
「はっ‼」
裂帛の気合いが込められた声と共に放たれた横薙ぎの一撃を、バックステップで躱す。するとそれを見越していたかのように突きが襲ってきた。バックステップからの着地と同時に横に転がっていなければ食らう他なかった。
この通り、攻撃は絶え間ない、むしろ徐々にペースを上げている感すらある。躱すので精いっぱいだ。考える暇など――ああ。
「そういう事かよ……この、クソが」
そこでようやく、青年は少女の狙いを理解した。だが、思わず漏らした言葉は勝利宣言などではない。むしろ逆、敗者の呻きだ。
徐々に速められた拍子に乗って放たれていた一撃一撃はしかしその実、一定の目的の下にあったのだと気付いたのだ。
その目的とは単純にして明快。単調な攻撃で反射的な行動を促すと同時に、表紙を速めて攻撃することで考える隙を与えない。
では、その目的が叶った暁にはどうなるのか。それは、今の青年が体現していた。即ち、攻撃を躱そうとするものの、身体に染みついた反射のせいで一瞬の隙が生まれる。
それを、今や遅しと待ち構えていた少女が見逃す筈はないだろう。
無意識の内に僅かに体重をかけられていた右足。そのバランスの狂いが巡り巡って生み出したがら空きの肩口に迫りくる一撃。
青年の耳は、自分の鼓動がどくんと、一際声高に吠えるのを聞いた。