第一話-7
目を凝らすと、その中に小さな影が見えた。まるでインクの滲みのようなそれは、どんどん近づいてくる。やがてはっきりとその姿を確認できるようになった。
撒いたはずの、例の少女だった。
青年に驚きはなかった。そんな気がしていた。
だから、大儀そうに立ち上がって、言った。
「消えろ」
「お断りします」
光を背に、少女は答えた。
「いいから、どこかに消えろ」
「お断りしますと、言っているのです‼」
頑なな拒否の感情がこもったその声は、青年にこれ以上の交渉を諦めさせるのに十分だった。
「……後悔するなよ」
呟き、青年は指をごきごきと鳴らしながら少女の方へゆっくりと歩を進める。
「御心配なく」
少女は立ち止ると、鞘に収めたままの例の大剣を背中の方から取り出し、右腰の辺りへ引きずるようにして構える。
青年の足が止まった。睨み合う二人の間には、剣の間合いでも、ましてや拳の間合いでもない距離があった。が、しかしそれは瞬時に無意味となった。
最初に仕掛けたのは少女の方だった。
床すれすれまで体を沈め、前に伸びる自分の影を追い越すような勢いで空間を踏破、青年の懐にもぐりこむと、身体のばねを生かして下から上へと剣を振り上げた。
目にも留まらぬ速さでの一撃。それが空を切った理由は、運以外の何物でもなかった。
反射的に体を半身にしていた青年の顎先すれすれ、つい数瞬前まで頭があった場所を剣が凄まじい勢いでかすめて行った。鞘付きとはいえ、当たっていれば、脳震盪では済まなかっただろう。
一撃を外した少女は、しかし隙を与えない。胸中には驚きもあった。必倒の確信があったのに、まさか躱されるとは思わなかった。が、いつまでもこだわっていられないとすぐに気を取り直し、手首を返して今度は斬り下げた。
だが青年はしゃがむことでこれも上手く躱し、そのまま距離をとった。再び、睨み合いの時間が訪れる。
全てが一瞬のやり取りだった。もしこの場に他の人がいたとしてもその目には留まらない、いや、そもそも映らなかっただろう程の早業。
剣の鞘が反射する光と、空気を切り裂く音だけが、そのやり取りが存在した証だ。