第一話-3
見られてしまった失態を取り返そうとでも思ったのか。男は改めて青年の方へ向き直ると、ことさら高圧的な口調で話しかけた。
「誰だてめぇは‼」
けれども、青年は答えない。無機質な目で、男を見つめるだけだ。
顔に表情らしい表情は浮かんでいない。だが、男はそれを無表情とは受け取らなかった。
自らに対する蔑み、憐れみの表情だと受け取った。特に青年にそんなつもりがあった訳ではなく、男の羞恥心がそう見せただけのことなのだが。
「な、舐めやがって……」
感情がふつふつと煮えたぎり始める。それが器から飛び出すのに、大した時間はかからなかった。
「畜生、畜生がぁ‼」
叫んで、男は青年へと躍りかかった。殴るつもりだった。
まず、鼻頭を潰すようにして拳で一撃。続いて力づくで押し倒し、馬乗り。その後は、手近な場所の手ごろな医師やなんかを拾って、思う存分、自分の気が晴れるまで殴り続ける。殺したくはないが、そうなったらなったでしょうがない。たかが死体のひとつやふたつ、消す手段なんか、幾らでもあるのだから。
怒りに昂ぶる一方で、男はそこまで考えていた。考えて、その後処理の手間の面倒さに嫌気を覚えていた。
しかし結局のところ、その心配は杞憂に終わった。
何故なら、男の目論見通りにはいかなかったからだ。どこが、ではない。どれもが、だ。
まず、全ての要とも言える最初の鼻への一撃。これがそもそも当たらなかった。距離感も狙いも、この一撃に関しては何もかも正確だった。当たっていれば十分なダメージが青年の鼻を襲っただろう。
失敗を挙げるとすれば、それはただ一つ。
『相手が悪かった。』
男の拳は、冷たく硬い壁に当たって止まった。
いや、壁ではない。掌だ。青年が掌で拳を止めたのだ。
「なっ……」
絶句する。まさか、まさかそんな。当たった筈。止められるわけが。馬鹿な。
目の前の現実が、一瞬男の思考を止める。
それが、命取りだった。