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流血描写が後半に入ります。
あれから五年。
あの時から私の世界は変わってしまった。
神殿に戻ってきた彼女に向けられたのは、巫女が魔物に魂を売ったという嫌悪の瞳だった。そして、力のある魔物に魅入られ贄に指定された少女への恐怖。戻ってきた事を喜んでくれる人もそれなりにいたし、その魔物によって海の魔物が退治され、生け贄はひとまず少女一人きりであるという事もあり、少女に感謝する者もいた。
しかし。
「五年後この贄を受け取りに来る。せいぜい大切にするがいい。ただし、この約定を違えれば、町もろとも消し去る物と思え」
魔物が残した言葉に、町の人間は彼女を無下に扱う事も好意を持っても深く関わる事も出来ずに、腫れ物を扱うような物となった。
その後、彼女はその後急激に巫女の力が強まり、三年前には神殿に姫巫女として迎え入れられた。あの魔物はそんな少女の能力を見抜いていたのだろう。
今日は、その定められた五年目。
姫巫女は溢れる涙をぬぐいもせずに、天を仰ぎ、祈っていた。
その魔物は、上空からそれを見ていた。
断崖絶壁にひざまずく巫女。そして、彼女の傍に控える数人の神官。
黒翼の魔物もまた、それを見ながら五年前を思いだしていた。
生け贄の少女は希有な力を持つ巫女であった。
その時はまだ眠っていたが五年もすればその力は現れ、命の輝きも増し、さぞかしうまいだろうと思った。
人間を食らって力をつけるような下等な魔物ではなかったが、それでも、極上の命は滅多に見つけられる物でもなく、興味を覚えた。
だがそれ以上に、魔物と知りながらもおびえることなく、彼を見つめてきた少女自身もまた興味深くあったのだ。
『きれい』
少女がそう言って手を伸ばしてきたあの瞬間は、今もなお鮮やかに思い出せる。
人間は魔物を本能的に恐れる。あのおびえのなさの正体は巫女の力故なのか。
五年の歳月は魔物にとってはわずかでも、人間の少女が成長するには十分な時間となる。 希有な力を持つ巫女となった彼女はどのように成長しているだろうか。それを見るのが、そして彼女がどのような反応をするのか、楽しみでもあった。
『私のリベルタス』
そう呼びかけてきたその声は、今も鮮明に魔物の耳に響く。そして幼い手をいっぱいに広げて魔物の体を包み込んだ少女の感触もまた、今も肌に残っている。
彼女をどうしたいのか、それは魔物自身もよく分かっていなかった。けれど、まずは贄としてとらえ、それからのことである。
そう、思っていた。しかし。
魔物は約束の場所にひざまずく巫女の前に降り立った。
魔物は巫女の側に降り立ち、控える神官達をぎらりと睨み付けた。
目の前に、震えながら魔物から目をそらす少女がいる。その巫女は、恐怖に震え、歯もかみ合わぬ様子であった。
なんだ「これ」は。
こみ上げる不快感に、頭が沸騰するようだった。
魔物は巫女の顎に触れ、顔を自分に向ける。硬直し、涙を流しながらがたがたと震える巫女の姿はこの上なく滑稽で、この上なく醜かった。
なんだこれは!!
こみ上げる怒りで、はらわたが煮えくりかえった。
「これは、俺の贄ではない」
低く吐き捨てると、魔物は震える巫女の首を怒りにまかせてねじり切った。
波が打ち寄せる音の合間に、首の骨が外れる鈍い音がした。ぐるりと頭が捻られた後、直後ぶちりという異様な音が続く。一瞬の惨劇であった。
悲鳴を上げる間もなく巫女の首は胴体を離れ、ゴトンと地面に落とされた。頭を引きちぎられたというのに体からは血が噴き出す様子もない。わずかな時を置いて、首から上のなくなった体が倒れた。その衝撃か、捻られてすぼまっていた首の切り口からようやくどくりどくりと血を吹き出しはじめる。
その汚らわしさに、魔物の不快感が増した。
ここにいた巫女はあの時の少女ではなかった。たいした力も持たない、ただの巫女だった。
不快感で頭に血が上る。
あの巫女はおびえたりなどしなかった。
「約定を違えれば、どうなるのか、早忘れたか」
血で赤く汚れた手を煩わしそうに振り払い、神官に向かう。
「そ、その巫女も、力のあふれた巫女にございまして……! どうぞ、姫巫女様の代わりに……ひぃ!」
魔物は神官の口を覆うように手を伸ばした。そのまま神官の顔を握りつぶし他の神官を見た。
「約定の娘はどこにいる」
顔を潰されてのたうち回る神官を横目に、震えながらもう一人の神官が頭を地面に擦り付けて乞う。
「姫巫女様は、国の宝でございます……!どうか「それ」で……」
魔物は最後まで聞かずに頭を踏みつぶして黙らせた。
不快であった。魔物の胸には怒りが渦巻いていた。
残りの神官が、這々の体で逃げ出すのを確認してから、腰を抜かして逃げられなくなった神官を締め上げる。
「贄の巫女はどこだ」
涙と嗚咽でまともに喋ることの出来ない神官から、それでも魔物は姫巫女の居場所を聞き出す。垂れ流される尿がぴちゃりぴちゃりと神官の足下に水たまりを作った。
何もかもが不愉快だった。
神官をうち捨てると、魔物は空へと羽ばたいた。
約定は違えられた。
贄の巫女は代わりの贄を立て、神殿にこもっているのだという。
許せぬ。
まずは、あの巫女を血祭りに上げてやろう。
魔物は彼女が隠れている神殿へと向かう。
怒りが後から後からこみ上げてきて、体中を渦巻くようにあふれ出る。
あれは、俺から逃れようとした。
小賢しい。
俺の贄だという事も忘れて、逃げたのか。
ひねり殺すだけでは飽きたらぬ。至上の苦しみを与えて殺して捨ててやろう。自分に取り込むことさえ許し難い。
怒りでもって五年前の少女の顔を思い浮かべる。
『私のリベルタス』
呼びかけたあの時の声は、これほどまでに鮮明だというのに。微笑むその表情は瞼の奥に浮かぶというのに。
わずか五年で、あの少女は変わってしまった。姫巫女となり、魔物を厭い、約定を違えたのだ。