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 あなたが、愛してくれたから  作者: 淡夏(Repro)
2/7

2.彼女の秘密

2.


 平日は夜遅くまで仕事があり、なかなか時間を作るのが難しい。その分、毎週水曜と日曜が休みとなっているので、エレンと会うのは必然的にそのどちらか、あるいは両方ということになる。

 現在、エレンは働いておらず、基本的にいつでも会うことができるそうだが。

 エレンがどういった生活をしているのか、私はほとんど知らない。彼女は思ったこと、感じていることは素直に口にしてくれるものの、自分の生活については話したがらない。何もやましいことがあるわけではないのだろうが、何となく触れて欲しくないそうだ。

 自分のことを話したくない奴は信用できねぇぞ、とは田所の言だが、人間誰しも触れて欲しくないことくらいあるはずだ。だから、私もわざわざ聞きだすことはしない。そんなことをして、エレンとの時間を無為なものにはしたくない。

 その日は午前十時に、二人出会った川沿いの道で。待ち合わせは、いつもこの場所だ。

 彼女は必ず私より早くやってきて、ぼんやりと川を眺めている。私が声をかけるまで、決して視線を逸らそうとはしない。

 その様子を見ていると、どういうわけか不安になる。川を眺めるエレンの瞳はどこか儚げで、このまま川に身を委ねてしまいそうな、そんな危うさがあった。嫌な想像は私を食い殺そうとするかのように膨らんでいく。

「エレン!」

 堪らず、彼女の名前を呼んだ。

 エレンはゆっくりとこちらを向き、いつもの、子供のような笑顔を見せてくれた。先程までの光景が、まるで幻だったとでも言うかのように。

「遅いよ、いつもいつも、待たされるばかり。ああ、なんて可哀想な私」

 わざとらしく言うエレンに、はいはいと近づく私。もうちょっとノってくれても良いのに、とエレンは拗ねるが、周りの目と自分の年を考えるとそんなことはできないなと思う。

代わりに私は、エレンの頭にポンと手を置いた。手の平から伝わる、確かな感覚。身体中に疑似神経が張り巡らされている以上、生身の身体と同じように触覚を得ることはできる。

しかし、上手く説明はできないのだが、エレンに触れる感覚はどこまでもリアルで、生身の身体であった時ですら感じたことのないモノが私の中を巡る。大げさに言ってしまえば、安らぎだとか、生きる喜びだとか、そういったモノが。

――ああ、私は彼女に、恋をしている。

年甲斐もなく、そう、実感せざるを得なかった。

「さ、行くぞ」

エレンの手を引くと、彼女もまたしっかりと握り返してくれる。

その手の力強さに、私の決意は固まった。


 桜の舞い散る公園。どれだけ人工のもので世界を埋め尽くそうが、人間はどこかに自然と呼べるものを残しておきたがるものらしい。デザインされた自然を、自然と呼べるのなら、だが。

 地面に落ちた花びらの上を、転がるように子供達が駆け回る。それを談笑しながら見守る母親達。どうやら、この公園では自然物の割合が高いようだ。

「子供って良いよね」

 私達はベンチに並んで座り、何とはなしに、はしゃぐ子供達を眺めていた。

「可愛くて、元気で。あんな風に走り回れたら、すごく楽しいだろうなぁ」

 微笑むエレンの顔は、しかしどこか物憂げで、どこか、儚さを含んだものだった。

「子供、欲しいのか……?」

 言って、我ながら何て聞き方だと反省した。変な意味にとられなければ良いのだが。

 私の心配などよそに、エレンはにこりと笑って答えた。

「欲しい、とは思うけど。私には無理だから」

 その言葉に、私は迂闊なことを口にした後悔した。詳しくは聞いていないのだが、エレンもまた、私と同じような境遇にあるそうだ。だから、お互いに子供など望むことなど、できやしない。

 それでも、エレンは笑って見せた。その表情に対して、私はこれから言うべきではないことを、言おうとしているのかもしれない。

「なあ、エレン」

 それでも、ここで言わなければ、この先言う機会は無いような気がしたのだ。

「その、さ。子供はできなくてもさ、その……」

 ――結婚、しないか。

 そう、口にした。


 翌日。私は鳴り響くメール受信の音でおきた。音とは言っても、それは脳に直接流れてくるだけで、実際に鳴っているわけではない。

私の頭は、機械の身体を媒介にネットと繋がっている。そのため、端末を操作することなく、情報のやり取りができる。身体の機械化が進み、今でこそそういう人が増えたが、私が機械化した時はそこまでサイボーグ技術が普及していなかった。そのためか、私はサイボーグの利点――情報を簡単に扱えることを重宝され、それを活かすことのできる職に就くことができたのだ。

とは言っても、その職自体はあまり好ましいものではない。基本は情報の振り分けなのだが、直接、頭の中に仕事の話が送られる感覚は不快だった。働いている時は仕方ないとしても、休みの日にまで、頭の中に仕事の情報を流されたのでは、気の休まる時が無い。

それでも無視するわけにはいかないので、寝ぼけた頭を働かせ、メールを読んだ。

それは簡単な事務内容だった。最近、社内のサーバでバグを発見したそうだ。近々、対策ソフトを送るから、私の身体にもインストールして欲しい、とのことだった。こういう仕事をしていると、そう言ったことは文字通り命取りになる。会社側としても、それで死なれては世間に見せる顔がなくなるし、何よりも機密漏えいの危険が出てくる。

だが、取り立てて急ぐように見えないということは、そこまで深刻な問題でもなかったのだろう。

そう考え、再び眠りに就こうとしが、なかなか寝付くことはできなかった。自然と、昨日のエレンとの会話が思い返してしまう。

エレンは、見るからに戸惑いを浮かべていた。笑顔を作ろうと努力をしているのが丸分かりで、余計に申し訳なさが増してしまう。

――いきなり結婚とか言われても、困る、よな。だからさ、その、一緒に暮らさないか。

取ってつけたような言い方だったかもしれない。けれど、それが私の、全くの本心だった。

ただ、彼女との時間を増やしたい。

そんな単純で、切実な動機だった。

 ――ちょっと、待ってもらえる、かな。

 彼女の言葉はもっともだ。好い返事がもらえるとは思ってなかったのだが、やはりどこかで期待していたのだろう。それなりにショックは大きいようだ。

 そのまま何をするでもなく時間が過ぎ、いつの間にか通勤時間になっていた。

 もやもやとした気持ちを抱えたまま、私は身支度を始めた。

 それから二日間、エレンからは何の連絡もなかった。

 やはり告げるべきではなかったのではないか。そんな後悔が、私の思考回路を駆けずり回り、何をするにしてもいつも通りにはいかなかった。

 そして三日目の昼、エレンからメールが届いた。

 ――今日、そっちがお仕事終わったら、いつものところで待ち合わせ、良いかな?

 返信がきた喜びと、エレンの答えに対する緊張。その二つが同時に沸き起こり、私を支配してしまった。

 慌てて、溜まっていた仕事をできる限り消化し、定時を少し回った頃に会社を後にした。

 エレンにメールを送り、返事を待たずに走りだした。時間を気にしてではなく、ただ自分の気持ちを、誤魔化すためだけに。

 約束の場所に着くと、果たしてエレンはそこに居た。

 私より早く来て、川を眺めている。そんないつも通りの光景は、しかしエレンの、少しだけ強張った笑顔によって打ち消された。

 好い返事をもらえない、で済めば良い。

 ――ごめんなさい。

 その一言で元の関係に戻れるのなら、それはそれで良い。

 しかし、それで済むことなのだろうか。

 私は、二人が暗黙のうちに作り上げた関係を、壊してしまったのかもしれない。先に進む、と言えば聞こえは良いが、今の時間はもう二度と戻ってこない。

 不安、後悔、そして――恐怖。

 私はただ何も言えず、判決を下される咎人のように、エレンの言葉を待っていた。

「あ~もう、何か調子狂っちゃうなぁ」

 溜め息と共に漏らした声は、あくまでいつも通りのもので。

「緊張し過ぎ、だよ。顔が怖いよ」

 そうして微笑む彼女の顔を見た途端、全身の力が抜けそうになった。

「何で、そんな一生懸命になるかなぁ。君らしくもないよ」

「仕方ない、だろ。だって……」

 ――好き、なんだから。

 心の中で、そう呟いた。言葉にはできない。それはきっと、もう伝える必要すらないものだから。

「じゃあ、この間の答え、だけれども……」

 彼女は目を瞑り、一度ゆっくりと頷いて、言った。

「よろしく、お願い、します」

 その、はにかんだエレンの表情を、私はきっと忘れることはないだろう。

 喜びや、幸せ。

 その一瞬の中に、私の人生の意味が詰まっているのではないかと錯覚するほど、彼女は、美しかった。

 だからこの先、何があろうと。

 私は、彼女を失いたくは無いと、心の底から、思った。


「何もない部屋ですが」

 そう言ってエレンを家に上げた。知り合ってから一年程経つが、彼女を家に呼んだのは初めてだった。

 エレンは部屋を見回した後、

「……本当に、何も無いね」

 と、忌憚のない感想を漏らした。

 部屋に入り、机に向かい合って座った。いつもなら何でもない会話が始まるが、どうしてか言葉が出てこない。それはエレンも同じようで、どこか気まずそうな表情をしている。

 いや、気まずい、というわけではないようだ。

 まるで、叱られるのが怖くて、悪戯事を白状できないでいる子供のような、そんなバツの悪い表情をしていた。

「……エレン?」

 呼び掛けると、彼女はふうと息をついた後、何かしら覚悟を決めた瞳で私を見た。

「あのさ、一つだけ、前から言わなきゃならないことがあって……」

 エレンが何か言いかけたその時、チャイムの音が、彼女の言葉を遮った。

「お~い、来てやったどぉ」

 聞くだけで酔っていると分かるあの声は、間違いなく田所のものだった。何て空気を読まない男だろうか。

「お客さん……だよね?」

「……ああ、すぐ帰ってもらうよ」

 重い腰を上げ、私は玄関へと向かい、扉を開けた。案の定、目の前には鼻頭を赤くした中年男の顔があった。

「よぉ、呑もうぜ!」

 いつもの調子で、ニッと黄ばんだ歯を覗かせる田所。左手にはいつもの一升瓶。これでも奥さんに逃げられないのだから、余程できた奥さんなのだろうと感心するばかりだ。

「すまんが、今日はちょっとな……」

「あん? 誰かいるってのか? うん? 誰かって、まさか、おい……」

 田所の目が、愉しそうに光った。

「友人代表として、しっかり挨拶しとかなきゃ、な」

 そう言って、無遠慮にドアを開け、靴を脱いでどかどかと家の中に入り始めた。

「おい!」

 慌てて追いすがるが、田所は部屋に入り、エレンはきょとんとした目で田所を見つめていた。

 頭を抱える私に、田所は振り向いて言った。

「おいおい、何だよ、つまんねぇな」

 本当に言葉通り、田所はつまらなそうに言った。

 私はその言葉の意味が分からず、え、っと呆けた声を漏らした。

 視線でエレンを捉えるが、彼女はどうしてか、申し訳なさそうな顔で、俯いていた。

「期待して入ったのによ、誰もいねぇじゃないか」

 田所が何を言っているのか、全く分からなかった。

「誰もいない、ってお前、そこに……」

 私の言葉を遮るように、エレンがこちらを見つめ、首を振った。

 田所は私の視線を追うが、すぐに私の顔へと戻した。

「なぁ、どうしたんだ?」

 どうしたんだ、とは、それはこちらが聞きたい台詞だ。

 田所は酔っている。だが、いくら酔っているからと言って、人を認識しない程酔っているわけではない。

 ――何が、どうなって。

「……田所、すまんが今日は」

 ――帰ってくれ。

 何とか、その言葉だけを絞り出すことができた。

 何かを察してくれたのだろう、田所は冷静に、分かったと家を出て行ってくれた。

 田所を見送った後、私はすぐに部屋には戻れなかった。

 頭を整理する時間が、欲しかった。

 しかし、何をどう整理して良いのか分からず、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 ふと、背後から声が掛けられた。

「……ごめんんさい」

 振り向くと、エレンの、深刻な表情が映った。

「な、何を謝るんだよ。田所も酔っぱらってたから、あんな失礼な……」

 慌てて口から零れる言葉を、エレンはゆっくりと首を振って否定した。

「あの人は、酔っぱらって私を認識してなかったわけじゃない。あの人には、元から、私を認識することが、できなかったの」

 エレンの言っていることが、理解できなかった。

「認識って、どういう……」

 困惑する私に、エレンは吹っ切れたように言った。

「簡単に言うとね、私――」

 ――幽霊、なんだ。


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