表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
 あなたが、愛してくれたから  作者: 淡夏(Repro)
1/7

1.私を繋ぐもの

初めまして、淡夏と申します。

拙い作品ですが、どうか読者様のお口に合えば幸いです。

1.


「はい、よろしいですよ」

 その一言で、私はゆっくりと瞼を開けた。蛍光灯の光が目に入り、視界をぼやけさせる。

「疑似神経に異常は見られませんな。恐らく、もっと精神的な問題でしょう」

 声の主は、私の頭に繋がったプラグを抜いた。一瞬、激痛が全身を貫く。命に別状はないと分かっていても、この感覚だけは、慣れることができない。

 痛みが引き、上体を起こす。対面には、白衣を着た初老の男が椅子に腰かけていた。口元に皺を寄せながらも、彼はにっこりと笑った。

「なかなか、機械の身体には慣れないようですな」

 その言葉には、苦笑で返す他なかった。

「もう、二十年近く付き合っているんですがね。違和感は、なくなりませんね」

 ふと、医者の背後にある窓ガラスが目に入った。そこに映る、二十代前半と思しき若者と目があった。私が首を回すと、そいつも全く同じ動作をした。

 医者は、そういうものですと頷く。

「貴方は二十年近く自分の身体を持っていたんだ。それと同じだけの時間を機械の身体で過ごしたとしても、そう簡単に、脳は身体のことを忘れてはくれませんよ」

 安心させるような柔らかい声にも、私は気の抜けたような返事しか返せなかった。

 私は、自分の掌を見つめる。どこから見ても、それは人の手をしている。だがその手は作り物で、私自身のものでは、決してあり得ない。それは、手だけではなく、頭のてっぺんからつま先まで。脳以外の部分は、全て作り物の身体なのだ。

 私の様子を見かねてか、医者は唐突に話し始めた。

「加藤さん、『コンパク』というものをご存じですか?」

 私が首を振ると、優しげな口調のまま、彼は続けた。

「人には二つの気があります。一つは精神を支える気で『魂』と言い、もう一つは肉体を支える気で『魄』と言います。二つ合わせて『魂魄』とも呼び、私たちが生きる上で大切な存在らしいです」

 突然の話に、これまた気の抜けた返事しかできなかった。話が、見えてこない。

「どちらかが欠けると、私たちは違うものになってしまう。魂が離れれば、精神はなくなり、身体だけの存在になる。ゾンビみたいなもんですな。いや、この場合はキョンシーの方が適切ですかな」

 キョンシーとは懐かしい、と医者は笑った。私には、いまいち笑い所が分からなかったが。

「キョンシーの話は長くなるのでおいておくとしまして、では、魄が離れた時はどうなるのか。今度は逆に身体がなくなり、精神だけの存在になる。鬼――つまり、亡霊になってしまうわけですな」

「亡霊……」

「そう、亡霊です。死者の魂、というよりも、魂だけが生きている。そういう状態でしょうか。私たちが想像する幽霊は、あくまで未練の塊みたいなもんですが、この場合の亡霊には、ちゃんとした自己があるのです。本来、精神と身体は自分の依るべとなるのですが、身体が個人のものとしての意味を失いつつある今の時代、精神が、私たちの存在証明みたいなもんです。でも、精神だけでは、私たちは自己の証明なんてできません」

 ――だからね、加藤さん。医者は、それまでとは違い、神妙な口調で言った。

「作り物の身体とは言っても、身体がある以上、貴方は、貴方は貴方としてそこにいることを証明できるのです。周りにも、自分の存在を知らしめることが、できるのですよ」

 そうして、医者は微笑んでみせた。

もう一度、私は窓ガラスを見た。そこに映る若者は相変わらず私を見つめ、私も彼を見つめていた。


 病院を出ると、背の高いビルが並んでいた。天上には青空が広がっているが、ビルの向こうにあるためか、私にはますます遠い場所に思えた。

「遅かったね」

 不意に、横から声を掛けられた。振り向くと、そこには一人の女性がいた。二十代前半といったところか。背中まで流れる黒髪に似合った端正な顔立ちは、しかし、どこか幼さを残している。それでいて、醸し出す空気は大人びたものがあった。彼女の存在は、アンバランスなようでいて、それで完成していた。

「……エレンか」

 私がそう言うと、彼女――白貫エレンはもたれ掛かっていた壁から背を離し、私の真横まで来た。

「遅かったけど、大丈夫なの?」

 心配そうに眉根を寄せる彼女。口調は落ち着いているものの、その目を見ているだけで、心から心配されていると実感できた。

私は、自分の弱さを恥じた。自分が自分である実感がない、なんてことで、彼女を不安がらせているのかと思うと、情けなくなったからだ。

 それでも私は、力ない口調で大丈夫と口にすることしかできなかった。言い切る自信は、なかった。

「なら、良いんだけどね」

 声に陰りはあるものの、エレンはすぐさま笑顔を見せた。

「大丈夫なら、行こうよ。今日は二人でお花見をする約束でしょ?」

 そうして彼女は私の手を引いた。私より少しだけ小さなその手の存在を、私はしっかりと感じとっていた。


 夜。エレンと別れ、私は一人で部屋に帰った。

 誰もいない部屋の明かりを点ける。目に入るのは、生活感に欠けた、ただの部屋だった。

二十年前、事故に遭い、脳以外の身体が機械に変わってから、この部屋の時間は止まってしまったようだった。

そんな化石めいた部屋を眺めていると、また、自分が自分である実感が薄れていく。

変化がない。それは、死んでいるのと同じなのではないだろうか。

 かき消えそうな私を、不意に聞こえたチャイムが繋いだ。誰だろうと扉を開けると、そこには一人の中年男性がいた。

「よぉ、飲もうぜ」

 へへ、と生え際の後退した頭を掻きながら、田所が部屋に入ってきた。

田所とは、私が事故に遭う前――大学時代からの友人である。だから、今の身体よりも、ほんの少しだけ付き合いが長い。

「相変わらず、しけた面してんなぁ。見てくれは若いんだから、ちったぁ、精力的なとこ見せやがれってんだ」

 まあ、中身はおっさんだけどなと言って彼は笑った。昔から無遠慮と評されることの多い田所だが、実際は人懐っこいだけで、相手の気持ちを考えていないわけではない。

 田所は私より先に腰を下ろすと、持ってきた一升瓶を取り出した。私は食器棚からグラスを二つ取り出し、テーブルの上に並べた。

「ご無沙汰だったな」

「ちょっとな。東京の方へ出張だったんだ。全く、人使いの荒い会社だぜ。俺は生身だってのに、機械化した奴らとおんなじ様に扱われる。若い頃はそれでも良かったが、こう年をとると、どうも身体がなぁ……」

 田所は酒を注ぎ、一気に呑み乾した。

「あんまりアルコール摂ると身体に良くないぞ」

「分かってるよ、そんなこたぁ。でもな、身体壊すくらいが丁度良いんだよ、俺にはな」

 そう言って二杯目を飲む彼を見て、私は少し羨ましく思った。酒を飲むことはできても、生身のような楽しみ方は、すっかり忘れてしまった。

「で、どうなんだよ。その、新しい彼女さんとやらは」

 酔い始めたせいか、田所は唐突に切りだした。少し考えて、彼がエレンのことを言っていることに気付いた。田所が出張する前に、ちらっと彼女の話をしたのだ。

「別に、付き合ってるわけじゃないんだが……」

「かぁ、何言ってやがんだ。右も左も分からねぇ若造でもあるまいに。女と会って一緒にいるってのはそういうことだろうが。本当なら彼女とか、付き合いとか言うんだって気が引ける年だってぇのに、良く言うぜ」

 確かに、それはそうだろう。本来なら子供がいて、学費など家庭の心配をしていてもおかしくはないのだ。田所にも今年で中学に上がる娘がいる。見た目は二十代でも、私という人間は、もう四十を越える人生を積み重ねてきたはずなのだ。

「まあ、お前と俺じゃあ違うもんがあるのはぁ、仕方ねぇわさ。で、馴れ初めってぇのは、どんなだったんだ」

 完全に酔いが回ってきたのだろう。私の返事を待たずに、彼は次々に質問を投げかけてくる。こうなると手がつけられないので、私は手短に彼女との出会いを話した。

 話し終えると、田所はふっと吹きだした。

「一緒に川眺めてたってぇ、一体いつのドラマだってんだ」

 げらげらと笑う田所を、うるさいなと一睨みした。自分でも青臭いのは承知している。

 ただ、呆然と川の流れを見ていた。何を考えるでもなく、無になるように。

そんな時、隣で同じように川を眺めている女性がいたのだ。その時に何を思ったのか、私は覚えていない。だが気がつくと、私はエレンに声をかけていたのだ。

 それから毎日、私たちは同じ川で会うようになり、今のように二人でどこかに出かけるようになったのだ。

「ははは、青くせぇにも程があるってんだ」

「仕方ないだろ。事実なんだから……」

 田所は笑い過ぎて、目尻から零れるものを拭った。

「はは、まあなぁ。人生色々、出会いも色々。そんなよく出来た話の一つや二つ、あってもおかしくはねぇってことよなぁ」

 そう言った後、不意に彼は真剣な顔をした。

「で、どうすんだ?」

 どうするとは、と聞き返すと、彼は馬鹿野郎と言い返した。

「籍入れるかどうかってぇことだ。いくら見かけが若ぇからって、もう年だからなぁ。先のこと考えろ」

「だが、もう子供は……」

 作ることが、できない。

今でこそ技術が進み、サイボーグも生身の人間と同じ機能を備えるようになってはいるが、私の身体は時代遅れも良いところ。延命することが優先で、生殖機能などはつけられていなかった。

そのため、私は自分が結婚する意味を見いだせないでいる。子が残せないなら、何も誰かと夫婦になる意味などないのではないだろうか、と。

そんな私の状況を知っているはずの田所は、しかし私の感想を冷静に否定した。

「関係ねぇよ。お前がこの先、一人で生きていくんならそれでも良い。だがな、見てるとそれは無理だ。俺だっていつまでもお前とこうやって呑めるわけじゃねぇんだ。生涯の連れ添いぐらい、つくりやがれってんだ」

 そう言って、田所はコップを空にした。結局、持ってきた一升瓶は彼一人で空けたことになる。

 何とはなしに私は、空っぽのままだったコップを見た。

田所の言う通りかもしれない。私一人では、生きている実感さえ湧かないのだ。だがエレンといる時は違う。それなら――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ