第二章 第一話
第二章 『現実、もしくは虚構』
1.白い部屋で
「しかし、よく降るな」
男が発したその言葉通り、窓の外は雨だった。
窓に打ちつけられた水滴が粒になり、窓の表面を滑り落ちて流れを作る。
空はどんよりとした厚い雲に覆われていて、まるで空というキャンバスに灰色の絵の具を一面にぶちまけたように暗澹としている。
「仕方ないわよ、梅雨時だもん」
男の言葉に続けるように、白いカーペットの上に直に座っているミニスカートの女が言葉を続ける。
ミニスカートから伸びた足は、よく引き締まって適度に日焼けしていて、実に健康的な色香を漂わせている。
男が振り返って、部屋に集まっている面々を見渡す。
その部屋は真っ白だった。
壁、天井はもちろんのこと、机やベッド、オーディオ機器に至るまですべてが白色で統一されていて、ややもすると自分を見失ってしまいそうな錯覚すら覚えてしまう、そんな部屋だった。
部屋の中には4人の男女。
1人は窓の外を眺めていた男で、名を石神佳月という。かの江戸川乱歩の『赤い部屋』になぞらえているのか、通称『白い部屋』と呼称されているこの部屋の主である。自他共に認めるミステリマニアで、部屋に置かれた本棚の中にも、古今東西和洋を問わずそういった本ばかりが並んでいる。
また、この部屋にたった1人の女性、先ほどのミニスカートの女は天野彩香という。クルクルとよく表情の変わる、なかなかに肉感的で魅力的な女性だ。
残り2人は両方とも男で、1人は切れ長の瞳に茶髪の美青年で、名を西都蒼といい、もう1人は黒縁眼鏡の背の低い小太りの男で、神南智博といった。
4人はすべて、通称“メンバー”と自分たちで呼んでいる『8人のミステリ好きの集まり』の構成員で、全員が大の推理小説マニアである。残りの4人については追々説明する機会もあるだろう。
「まぁ、もうしばらく耐えれば夏が来るしな。そう言えば西都、夏の“合宿”の幹事はお前だったよな。どこに行くことにしたんだ?」
“合宿”
春夏冬の長期休み恒例の“メンバー”全員による小旅行のことだ。夜通しミステリについて語り合い、その合間にちょっとだけ観光という有意義なのか不毛なのか分からない旅行だが、彼らにとっては有意義以外の何者でもない。
「ん?ああ“合宿”な。今回は山形だ。つまり俺の故郷って事だな」
「山形ねぇ。夏場にどこかいいとこあったかしら?」
彩香がよくわからないと言った表情で西都を見る。
「別に。どこに行くって訳じゃない、山ん中にある温泉付きの別荘だからな」
「別荘!しかも温泉付きだなんて。いーじゃない西都さん」
「夏場に温泉なんぞに入って何が楽しいのかねぇ」
パッと表情を輝かせる彩香を、佳月が『やれやれ』と呆れたような表情で見て肩をすくめる。
「べーだ。季節なんて関係ないの」
「まぁまぁ。それはさておき、冬馬さんが推理小説を書いているそうじゃないですか、夏合宿に向けて。ご存じですかな」
その場を取りなすつもりなのか、智博がやや強引に話題を変える。
話に出てきた冬馬というのは、“メンバー”のリーダー格をつとめる緒方冬馬という男のことである。F大で心理学を学ぶ切れ者で、『黒魔術師』などと呼ばれている。すでに大学院からお呼びがかかっているほどの人材だ。
「ああ。どうもそうらしいな」
西都があまり興味なさそうに、ふぅっとタバコの煙を吐き出す。ゆらゆらと立ち上る煙がエアコンの風に散らされる。
「あたし最初だけ読ませてもらった。『アイデアが思い浮かばないんだ』って、この前愚痴をこぼしてたよ」
ふふっといたずらっぽい笑みを浮かべる彩香。
「そうだろうな。論文ならともかく、あいつにそんな文才があるとも思えん。それに、今の台詞通りならプロットを立ててないって事だ。クレイヴ・ライス気取りか」
「ま、そこまで言うこと無いだろ佳月」
そう庇いつつも西都は苦笑の表情だ。西都と冬馬は同じ山形県O市の出身で、幼い頃からの知り合いなのだ。
「ま、期待しないで待ってやるとしようか」
そう言うと、再び佳月が窓へ近づいて窓越しに空を見上げる。
どんよりと曇った空からは、絶え間なく大粒の雨が落ちてきて窓の外の街を濡らしていく。そろそろ夜に向けて動き始めた街の光が滲んで、時折七色の光の変化を見せる。
「嫌な雨だ・・・」
佳月は、自分にだけしか聞こえないような低い呟きを漏らすと、もう一度だけ空を見上げてから窓のそばを離れた。
まるで雨に汚染されたようで。