第一章 第五話
5.旅路その2
そんなこんなから3時間ほど過ぎた頃、一行の車は目的地へと続く、ギリギリ2台の車がすれ違えるかどうかと言うような細い曲がりくねった山道を進んでいた。当然舗装などされていないし、ガードレールも所々設置されていない。
陽はまだ高いが、鬱蒼と茂った木々が強い日差しを遮っていて、耐えきれないほどの暑さではなくなっている。
「なんだか、すごい山奥だねぇ」
後部座席の窓を全開にして、風雅が身を乗り出す。『危ないから止めなさい』と琴音が横から制止しようとするが、そんなことはお構いなし。さわやかな風に細い髪をなびかせながら風雅が目を細める。
「何で親父さんの知り合いとやらはこんな山奥に貸別荘を持っているんだ?」
「俺が知るかよ」
冬馬の問いにプイと横を向いて、新しく取り出したタバコの封を切ると1本取り出して火をつける。
しばらく山道を行くと、細い川にさしかかった。やや谷のようになっている底をのぞくと、陽光が水面に反射して、きらきらと光っている。
「うわぁ~すごいねぇ~。キレイだねぇ~」
「本当。東京の川なんて、これに比べたら下水と一緒ですね」
風雅と琴音が口々に言う。東京生まれの東京育ちの2人には本当に珍しいのだろう、きゃっきゃとはしゃいでいる。
「これが本当の川ってもんさ。東京の川が異常なんだよ」
運転手の冬馬が、急にまじめな顔と口調でぽつりと漏らす。
「そう・・・なんだね、きっと。ところでさぁ、この橋大丈夫? このまま落ちたりしないよねぇ」
窓から身を乗り出して下を覗き込んで言う。
「大丈夫だとは思うが。もし、この橋が落ちたら俺ら、帰れねぇぞ」
西都が、急にまじめくさった顔で怖い声を出す。
「や、やだなぁ。脅かさないでよぅ~」
「はは、冗談だよ、冗談」
「ねぇ、西都さん。後どのくらいで着くんですか?」
「1時間以上はかかるぜ、きっと」
「ホントに~?じゃあ、ボク寝てるから、着いたら起こしてね、琴姉」
そう言うが早いか、風雅は身体を引っ込めるところんと横になり、琴音の太股を枕にして寝てしまう体勢になる。年相応とは言えないぐらいの甘えぶりだ。
「おいおい、でかい赤ん坊だな」
「ふんだ、言っててよ」
西都のからかいもまるで意に介さずに、ものの数分で風雅は寝入ってしまったようで、すぅすぅと規則正しい呼吸が聞こえてくる。
サラサラの細い黒髪にけぶるような長い睫毛。こうしてみると、琴音とは本当に良く似ている。実の兄弟だと言えば10人が10人とも信じるだろう。
それから約1時間後、走りづらい山道をゆっくりと安全運転で走り続け、一行はやっと目的地に到着した。
「幸せそうな顔で寝てるな、風雅は」
「こんな山道を走ってるって言うのになぁ。運転手の苦労も知らないで」
「ふん、膝枕がよっぽど気持ちいいんだろうさ」
西都と冬馬が口々にそういって笑いあう。
「もぅ、やめてください、西都さんも冬馬さんも。ほら、風雅、起きなさい。着いたわよ」
うっすらと頬を染めながらも、琴音が風雅の身体を揺すって起こそうとする。何度かそうするうちに風雅が身じろぎして目を開ける。
「うぅん・・・。もう着いた・・・のぉ?」
まだ眠そうに目をこすると、体を起こす。まるで寝起きの子猫のように、うぅ~んと唸りながら大きく伸びをする風雅。伸びをした後、眠気を払うようにぷるぷると首を振ると、ドアを開けて勢いよく外へと飛び出す。それに続くようにして皆が車から降りていく。
「うわぁ・・・」
建物を見た風雅が、そういったきり絶句する。
小さな湖のほとりに立っているその建物は、総煉瓦造りの立派な物で、貸し別荘と言うにはまるで相応しくない代物だった。しかもご丁寧に、渡り廊下で繋がれた別館らしきものまで付いている。
「すごい立派じゃない。予想してたのとは全然違うわー」
いつの間にか風雅の後ろには彩香が立っていて、しげしげと建物とそこを取り巻く風景を眺めていた。よく晴れた晴天のもと、陽光を反射してきらきらと光る湖のほとりに立つ洋館が、いかにも避暑地という雰囲気を醸し出している。
「実は、ログハウスみたいなのかなーなんて思ってたのよね」
「驚いてもらえて嬉しい限りだな。言わないでおいた甲斐があったってもんだ」
西都が、タバコを吹かしながらご満悦の表情だ。
「早く入ろうよぉ~。ボク、先に行っちゃうよ~」
言うが速いか、風雅がたたたっと小走りに駆けだしていってしまう。
「こらっ、風雅!自分の荷物くらい持ちなさい!」
「まぁまぁ、琴音ちゃん。そのぐらいなら俺が持つからさ」
「もぅ冬馬さん。甘やかさないで下さいね」
一行は、荷物や4日分の食料などを手分けして建物の中に運び込む。
それから1階中央の一番大きなホールに一度全員で集まると部屋割りを済ませ、早速食事の用意に取りかかった。とは言っても女性陣だけだったが。
「結構いいところじゃないか」
その食堂を兼ねたホールの、上等なソファーに腰掛けながら、佳月にしては最大級の賛辞を誰にともなく漏らす。天井を見上げるとなかなか豪華なシャンデリアが据え付けられていた。
「そういってもらえると嬉しいね、幹事としては」
西都もソファーに腰掛け、タバコを吹かしながらそれに答える。『男性陣は邪魔よ!』と、食事の用意を女性陣が一手に引き受けてくれたために、男どもはすっかり手持ちぶさたな様子だ。
「ねぇ、温泉があるんだよねぇ。入りに行こうよ~」
「いいねぇ、夕飯までにはまだ時間がかかりそうだしな」
風雅の提案に冬馬が答えるが、佳月と西都は行かないと言う。
結局、風雅、冬馬、智博の3人で露天風呂に入りに行くことになった。
その露天風呂は建物の裏手にあって、別館から行くようになっている。湖に面していて、周囲を木々に囲まれ、時折何だかわからない鳥の鳴き声が響くのもご愛敬だ。
「すごいねぇ!まさに露天風呂ってカンジだねぇ~」
仕切り板から中をのぞき込んで言うと、すぐさま服を脱いでポイと脱衣篭に放り込み、風呂に飛び込む風雅。
「おいおいおい、もう少し落ち着いて入ったらどうだ」
苦笑しながらそう言うと、ゆっくりと冬馬が入り、続いて智博が入る。
「夏の真っ昼間に温泉と言うのも、なかなか変な感じですな」
智博がタオルで顔を拭って言う。
「そうだねぇ~。のぼせちゃうね」
風雅が顔をほんのりと上気させながら言うと、ちょうど温泉の中央に据え付けられた大岩にタオルで前を隠して腰掛ける。
だいぶ日も傾き始めていて、薄暗くなってきた景色の中に風雅の白い背中が鮮明に浮かび上がる。
なんだか、現実から遊離してしまったようなその光景は、冬馬と智博の2人に奇妙な胸騒ぎを起こさせた。岩の上で片膝をたて、それを抱くようにして座っている風雅は微動だにしない。
そのまま放っておいたら、彫像にでもなってしまいそうな危うげな雰囲気を身にまとって。
「雲が・・・出てきましたね」
不可解な沈黙と雰囲気に耐えきれなくなったように、それだけ言う。
「そうだな。こりゃあ今晩あたり一雨来るかもしれないな」
渡りに船とばかりに話を合わせる冬馬。
そうしなければ、このまま現実の世界から切り離されてしまうような錯覚を覚えて。
「・・・降ってくる前にあがっちゃおぅっと」
ふいに風雅が岩から降りると、1度お湯に浸かってから脱衣所へと歩いていく。冬馬と智博も一瞬呆然としてしまったものの、それに続いてそそくさとあがってしまう。
そうしなければ、非現実に取り残されてしまうかのような錯覚を感じて。