第四章 第一話
1.朝 ~AM9:35~
「まだ降ってやがる。イヤな雨だぜ、全く」
雨で濡れた窓から外を眺めて言う佳月。
昨夜から降り始めた雨は未だやむ気配を見せることなく、ただひたすらに降り続いていた。
空を覆う雨雲のせいで夏の太陽もその姿を見せることはなく、代わりに広間の中には蛍光灯の人工的な明かりが満ちている。
「この小説みたいだね、ホント」
風雅が右手に持ったままのコピーの束をひらひらと振ってみせる。
ノースリーブのTシャツから伸びたほっそりとした白い腕が蛍光灯の光に照らされて奇妙に青白く見える。
「本当に何か起こるかもしれないぞ!」
「うにゃっ!?」
音もなく背後から近づいてきた冬馬の腕が、スッと風雅の細首に掛かると、大げさな悲鳴を上げて文字通り飛び跳ねる。
「びっくりさせないでよぉ」
「あははっ、情けないわね風雅」
2階の廊下から彩香の声がする。どうやら冬馬が背後から近寄り始めたあたりから一部始終を見守っていたらしい。
「よぅ、生きてたか」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて手を振る佳月。
「お生憎様、これこの通り2本とも足もあるわよ」
そう言って、とんとんとんと軽快な足音を響かせながら階段を下りてくる。
「おはよ~、彩香さん」
「おはよう、風雅。それにしても、ほんっとお姫様なんだから」
「ああっ、ヒドイや。冬馬さんのせいだぞ!最近、やっとみんな言わなくなったのに!」
一人『我関せず』とばかりに読書に励んでいた冬馬をビシィッと指さす。
「おっとっと。いきなりだな風雅。まぁ、本当のことだからいいじゃないか」
にやりと笑う冬馬。
というのも昨年度のT大付属中学校の文化祭がいけないのである。
当時花も恥じらう美少年だった風雅(14歳)は重大な危機に直面していた。教室の隅で幾人もの少年少女に囲まれている風雅。じりじりと包囲の輪は狭められている。
『い、イヤだよ、そんなの。ボク、できないよ』
『そろそろ覚悟を決めるんだな、風雅。なぁに、痛くないから。すぐに済むさ』
1人の男子生徒がニヤニヤと笑いを浮かべる。
『そうよ、風雅君。たった一日じゃないの。あなたのその身体が必要なのよ』
またある女子生徒が後ろ手に何かを隠したままじりじりと風雅に近づいていく。
『イヤだったら!ボク、ボク、そんな・・・』
『ええい、まどろっこしい!とっととムイてしまいましょう。それっ!!』
リーダーとおぼしき女子生徒の号令に従って、全員がよってたかって風雅を押さえにかかる。どたばたとひと騒動が繰り広げられたその後には、純白のミニドレスを着たとびきりの美少女がいるだけだった。
『やっぱり!!最高~に似合うわよ、風雅君』
『これでアンケートトップはA組のもんだなぁ(笑)』
唐突に回想モードに突入してしまった風雅。あのときの恥ずかしさと怒りがふつふつと蘇っているのか、ふるふると身を震わせる風雅。
「あれは、クラスのみんなが無理矢理・・・」
「その割には当日はノリノリだったじゃない、風雅君。ちゃんと見に行ったんだからね、あたし。シンデレラ、ホントに可愛かったわー」
うっとりと目を細める彩香。こちらも回想モードのようだ。
「だって、みんなが『F組には負けられんのだっ!!』って凄い剣幕なんだもん~」
情けない声の風雅。
もうお判りだろうが、古典劇『シンデレラ』でシンデレラ役を演じたのが、だれあろう風雅なのだ。なぜ女子生徒がその役をやらなかったのかについては、名誉のために伏せておこう。
文化祭の後、『謎の美少女を捜せ』などと話題になったのも今は懐かしい思い出だ。その後、“お姫様”とメンバー全員に呼ばれるようになったのは当然の帰結と言うべきだろう。
「楽しんでたでしょう、風雅君。わたしもあんな可愛い妹なら1人欲しいわ」
「姫香さんまで・・・。ちぇっ、い~よ~だ。みんなキライだい」
そういって拗ねてみせる仕草も、そんなことを思い出してしまった今となっては可愛らしいだけだ。
「今更そんなこと言ったって仕方ないでしょう、風雅」
「だって、琴姉・・・」
「いいから。ほら、コーヒーでも入れましょう。手伝いなさい風雅」
「はぁい・・・」
すごすごと琴音の後を着いていく。
「ふふっ、かーあいい。子犬みたい」
「それも、毛並みのいいやんちゃな子犬だな」
「そのうえ賢い」
彩香・佳月・西都が口々に言うと、顔を見合わせてけらけらと笑う。そんな3人の様子を見て冬馬がやれやれというように肩をすくめて苦笑する。
しばらくすると、琴音と風雅が湯気の立つ全員分のコーヒーカップを乗せたトレイを運んできた。
「どうぞ、皆さん」
琴音が風雅と姫香の分と併せて3人分を取り分けると、トレイをテーブルの上に置く。残った5つのコーヒーカップをめいめいに手に取る5人。
「どうしたの、風雅君?」
コーヒーカップを手にしたまま固まっている風雅を見て、怪訝そうな表情の姫香。きらきらと大きな瞳が何かを待っているように光っている。
「うっ!!」
「なんだこりゃあ!!」
「しょっぱ・・・」
口々にうめき声を洩らす3人。それを聞きつけた智博と冬馬が口に運びかけていたコーヒーカップを皿に戻す。
「やったやった、引っかかった!」
コーヒーカップをトレイの上に置くと、パチパチと叩いて喜ぶ風雅。どうやらこの事件の首謀者は風雅のようだった。
「このぉっ!風雅ったらなんて事すんのよ!」
「へへーんだ、みんなしてボクをいじめるからだよ~だ」
舌を出してあかんべーをする風雅。
「琴音も琴音よ、ヒドイじゃないの」
「あら、だって私は風雅が可愛いですもの」
「琴姉はボクの味方だもんね~」
風雅が琴音に抱きつく。
「もー怒った!風雅、待ちなさい!」
「や~だよ~っだ」
いきなり始まってしまった風雅と彩香の追いかけっこ。静かだったはずの朝はこうして一転して騒々しくなってしまったのだった。
「やれやれ、毒入りってわけか。こいつは一本取られたな」
そう言って苦笑する西都。
「(飲まなくて良かった・・・)」
ほっと1人胸をなで下ろす冬馬。が、ちょっとだけ気になって、一口だけ飲んでみた。
やはりしょっぱかった。




