第三章 ヒャッハーになろう!
第三章 ヒャッハーになろう!
<ヒャッハー>は、仲間を裏切らない。
<ヒャッハー>は呼吸をするように人を殺す。
だけど、仲間を裏切らない。
というよりも、裏切れない。
村の外の世界――つまり、僕たちの住む世界は死んでいる。
そんな世界で、独りで生きていくことは難しい。
たとえ屈強な<ヒャッハー>であってもだ。
死んだ世界に行き場があるとしたら、それは<ヒャッハー>だけだ。
そこを失いたくなければ、裏切りを働くことはできない。裏切りは死と直結しているんだから。
だから、仲間意識っていうのは結構強い。
❁
ひょんなことから、僕は口の利けない女の子を拾った。
僕はその女の子にヒマワリという名前をつけて、<ヒャッハー>のアジトに来ていた。
この世界で生きていくなら、いろいろやっておかないといけないことがあるんだ。
ヒマワリと名付けた女の子は、圧倒されたみたいに巨大な廃墟を見上げてる。
ちなみに、僕の隠れ家はここからだと結構遠い。今夜はここで厄介になることになるだろう。
本当は、隠れ家に帰りたかったんだけど、ヒマワリを拾っちゃったから仕方がない。
ちゃんと、ここに報告しておかないと、侵入者だと思われて殺されてしまうからね。
アジトは大昔の建物だ。
よっぽど頑丈な造りらしくて、周りの建物なんて軒並み瓦礫になってるのに、ここだけは壁も天井もしっかり残っている。細かい亀裂はいくらでもあるけど、倒壊することはないだろう。
そんな建物だから、奪った食料や物資を保管するには便利が良い。
初期の<ヒャッハー>は、自分たちの居場所がバレることを恐れて、ここをただの倉庫として使った。
でも、<ヒャッハー人口>が増えるに連れて力も増していき、ここはいつしか砦と化し、総本部となった。
ヒャッハー!
中に足を踏み入れると、テーブルでは数人の<ヒャッハー>がコインやカードを広げて笑ったり怒ったりしてる。
奥の方のでは本日略奪した食料や物資を開いては、水だー! とか叫びながらばらまいてる。
どの<ヒャッハー>もモヒカンや禿頭で、眉など惰弱と言わんばかりに剃り落としている。
小さい子供? ああ、しょうゆかけて食べると美味しいんだよな。
――とか言ってムシャムシャしてても、なんの違和感もないだろう顔ぶれだ。
そんな光景に、ヒマワリが気を失いそうな顔でしがみついてきた。
ポンポンと頭を撫でてやると、テーブルの<ヒャッハー>に呼び止められた。
震えるヒマワリの手を引き、側に行くと、一番偉そうな<ヒャッハー>がドスンとナイフをテーブルに突き立てた。
ビクッとヒマワリが飛び上がる。
そんなヒマワリを指差し、<ヒャッハー>はナイフとテーブルを交互に示した。
それを見て、ヒマワリも気付いたらしい。
テーブルには、細かい模様が刻まれていた。木彫りだ。よく見ればそれが地図であることが分かる。
僕はナイフを抜くと、その中の一点に突き立てた。
そこは、僕がヒマワリを見つけた場所だった。
<ヒャッハー>たちは位置を確かめるとまた騒ぎを始める。ぶっ殺せとかヒャッハーとか叫んでいるが、その目は存外に真剣なものだ。
そんな様子に、ヒマワリがツンツンと服の裾を引っ張ってくる。どうやら、この<ヒャッハー>たちが何を騒いでいるのか訊きたいみたいだ。
僕はテーブルに転がるカードの一枚を手に取る。
カードにはいくつかの数字と、小難しいメモが記されている。
このテーブルの<ヒャッハー>は字が読める。本も読めるので頭が良い。
だから実動担当じゃなくて、アジトで作戦やルートの計画を立ててるんだ。
村同士の行き来には、いくつかのルートがある。今日襲ったルートは、しばらくは使えなくなる。
村人が通らなくなるから、というわけではない。
村同士の行き来はなくてはならないものだけど、それを完全に潰してしまったら村人はもう、そこを通ることはなくなる。
多くとも二度、三度の行き来の中で一度襲われるかどうか。
それ以上のリスクを与えてしまうと、その村は他の村から捨てられかねない。物資をやりとりしても、<ヒャッハー>に奪われるだけだと。
しかし物資を略奪できなければ、<ヒャッハー>とて飢える。
そのあたりの計画は非常に繊細で、作戦係の<ヒャッハー>は常に頭を悩ませている。
カードやコインは、<ヒャッハー>たちの活動状況を記録するためのものだ。別にギャンブルに興じてるわけじゃないんだよ。
僕がやってるわけじゃないけど、ちょっと自慢したくてそう教えてあげたら、テーブルの<ヒャッハー>から訂正が入った。
……ごめん。ギャンブルもやってるんだって。
テーブルを離れると、今度は奧で略奪品をばらまいている<ヒャッハー>に呼び止められた。
上機嫌にヒャッハーと叫んでるが、表情は少し困っているように見えた。
駆け寄ると、略奪品の中の一つを示される。
肉だった。
ちょっと色が悪くなってきてる。訊かれたのは、これがまだ食べられるかということだった。
僕は今のうちに火を通しておいたらどうかと答えた。
ちょっとやそっと傷んでても、火を通せば大抵のものは食べられる。
でも、生で悪くなってるのを食べたときは悲惨だ。へたをすると、死ぬこともある。村とは違って、薬とかはめったに手に入らないからだ。
<ヒャッハー>は礼の代わりにヒャッハーと叫ぶと、小さな包みを渡してくれた。
開けて見ると、あめ玉が入っていた。
一つをヒマワリにあげると、彼女はまた不思議そうに……というか困惑した顔をしていた。
ここの<ヒャッハー>は、叫び声こそ上げているが、慎重に物資を分類しているんだ。
特に食料品の分類は重要だ。
水は必要不可欠だが、容器に損傷があればすぐに漏れ出してしまう。水漏れに巻き込まれれば傷む物も少なくはない。
次いで繊細なのは、肉だ。
生肉はすぐさま貯蔵庫に移動しなければすぐに使い物にならなくなる。干肉や燻製などの加工肉も、生肉ほど急を要すことはないが、やはり保存は慎重に行わなければならない。
他にも野菜や調味料もさることながら、食器のような割れ物類も要注意だ。いくら<ヒャッハー>でも、割れたガラスの中に手を入れれば怪我もする。それで指をなくすこともあるんだ。
僕は今は実動に回ってるけど、小さいころはこの略奪品の整理が担当だったんだ。
だから、今でもときどきこっちで相談されることがある。
ヒマワリがポカンと口を開く。
なんだか知らないけど、凄く感心してるみたいだった。
そういった作業を説明してやると、<ヒャッハー>たちが集まってきた。見かけない人間――ヒマワリに興味を持ったのだろう。
ヒマワリは、勇気を振り絞るように僕の後ろから出てきて、ペコリと頭を下げた。
<ヒャッハー>たちは極悪な人相で顔を見合わせると、なぜか微笑ましそうに笑われてしまった。
ヒャッハー!
礼儀正しいと褒められた。
ボスに挨拶に行くよう言われ、すでに半泣きのヒマワリの手を引いてアジトの奧へと進んで行く。
階段は湿ってて、あちこちひび割れてたり欠けてたりした。
アジトの中央には階段らしきものの跡があるけど、そっちは骨組みが残ってるだけで床板は崩れて抜けている。
世界崩壊前は、乗るだけで上の階に運んでくれる動く階段だったという話だ。本当に動いてたかなんて、今さら確かめようもないけど。
階段を上って廊下を抜けると、大きな部屋に出る。
そこには豪華なソファがあって、凶悪な面構えの男が腰掛けていた。
ボスだ。
手の中ではガラス質の球体を三つほど弄んでいて、もう一方の手は肘乗せで肘をついている。
報告したいことがあるんですが、良いですかね?
僕が声を張り上げると、ボスはゴリッと手の中の球体を握り締めた。
見据えられただけで屈服させられそうな凶悪な双眸に、ヒマワリがビクリと震える。
話してみろと促されてから、僕はヒマワリを拾った経緯を説明する。ヒマワリが乗せられていたトラックは、他の<ヒャッハー>たちが処分してくれている。
説明を聞いて、ボスは険しく表情を歪めた。
それから近くにいた<ヒャッハー>にアニキを呼ぶよう命じる。アニキは、すぐにやってきた。
ボスとアニキは耳を寄せ合って何かを囁く。
やがてアニキも苦い表情を浮かべ、ボスの前から下がっていった。
一体、なんだろう?
首を傾げてると、ボスはようやく僕たちの存在を思い出したように目を向ける。
お前はどうしたい?
とうとつに、そう訊かれた。
ヒマワリの処遇について訊かれてるのだと、すぐには分からなかった。
確かにヒマワリはしゃべれないし、突然こんなところに連れてこられて意思表示できるほどの余裕もない。
でも、見習いの僕が意見しても良いんだろうか?
僕は少し迷ってから、仲間にしたいと答えた。
ボスは叱りはしなかった。
代わりに――なら、お前が面倒を見ろ――そう、命じた。
僕はホッとしてヒマワリの手を握った。
下がって良いと言われて部屋を出ると、そこにアニキがいた。
妹分が増えた。
そんなことを言われてしまったけど、アニキは笑ってくれた。
❁
広間に戻ると、また<ヒャッハー>たちに囲まれた。
ボスの顔を見ても気を失わなかったのは凄いとか褒められてた。僕も初めてボスの顔を見たときは泣いて逃げそうになったのを思い出した。
騒いでる間に、<ヒャッハー>の一人が食料を運んできて、テーブルからトランプやチェス盤を振り落とす。
まだ決着がついていないゲーム――もちろん賭博だ――もあったんだろう。怒声を上げて別の<ヒャッハー>が殴りかかり、食料と酒瓶が宙を舞った。
殴られた<ヒャッハー>もすぐに殴り返し、血肉が飛び、歯がへし折れる殴り合いに発展する。
ヒャッハー!
ぶっ殺せ!
それを見て今度がどっちが勝つかを賭ける<ヒャッハー>が現れ、熱狂が伝播していく。
ヒマワリはそれを怯えた顔で見ていたけど、やがておかしそうに笑った。
僕も笑った。
僕が賭けたのは食料を持ってきた<ヒャッハー>で、彼は見事に勝利を収めたのだ。
馬鹿騒ぎが収まってくると、アジトの奧から妙齢の女性が姿を見せる。
艶めかしい体つきで、胸元を大きく開いたドレスを着ている。僕の体型じゃ着こなしようのないドレスだ。みんな姐さんと呼んでるから、僕も姐さんと呼んでる。
姐さんは<ヒャッハー>の輪からヒマワリを拾い上げると、椅子の一つに座らせた。
僕も手招きされて隣に腰を掛ける。
<ヒャッハー>の中には女もいる。とはいっても、数は男の半分もいない。
貴重な女性人員は、まず戦線に出されることはない。アジトで待って、戦いから帰ってきた男たちを慰めるのだ。
姐さんは、そうした女性たちのまとめ役だった。
僕は子供だからという理由でその役は与えられていない。……そろそろ子供ではないと思うんだけど、まだ早いと言われる。
それとなく訊いてみたこともあるんだけど、そういうとき姐さんは困ったように首を横に振る。
でも、何もしないで食料を分けてもらうのは悪いことをしてる気分がするから――略奪という時点で手遅れな話でもあるんだけど――戦線に出ていっしょに戦っていた。
ともかく、今日は姐さんのところで寝床を借りたい。
頼むと、姐さんは快諾してくれた。
それから姐さんはヒマワリの隣に腰を下ろすと、その髪を櫛で梳き始めた。
優しげに<ヒャッハー>の愉快な話を暴露され、少しずつヒマワリも緊張を解いていく。
女の子のヒマワリには二つの道がある。
姐さんみたいに男を慰めるか、僕みたいに戦線に出るかだ。
もっとも、どっちもまだヒマワリには早い。
それは姐さんも知ってるんだろう。
姐さんが自分が預かろうかと訊いてくる。
その言葉を聞くや否や、ヒマワリは姐さんの手を逃れて僕にしがみついてくる。
姐さんは仕方なさそうに苦笑し、両手を挙げた。
僕が謝ると、姐さんは頭を撫でてくれた。
それから、訝るように目を細める。
僕が首を傾げると、姐さんはなんでもないと首を横に振った。
まずここに連れてきたことは正解だったと。
そしてあとはボスやアニキが決めることだと。
このとき、僕はまだ何も知らなかった。
<ヒャッハー>の敵が、村人以外にいるということを。