靴擦れ少女
一昨日、新しい靴を買った。
お値段何と一万七千円。今月自由に使えるお金の半分近くが生贄となった。
そんなお出かけ用の新しい靴だったが、いざ出かけるという時になって問題が発覚。
「お店で履いた時にはピッタリだったはずなのに……」
何と踵がスカスカだった。紐でぎゅうぎゅうに縛っても、足の甲が痛くなるばかりでスカスカは改善されない。
まさか二日やそこらで私の足が縮むわけもあるまい。というか、縮むわけあるまい。あれ、縮まないよね……?
「あっ」
首を傾げると、昔どこかで聞いた雑学がふと頭の中をコロコロと横切った。
――身長は夜の方が低いらしい。重力で縮むんだって。
「あーあー、はいはい」
一人で納得して両手をポンと鳴り合わせる。そういうことか。
確かにこの靴を買ったのは学校の帰り、夕方過ぎだった。きっと足も重力に押しつぶされて、ベターっとちょっとだけ長くなっていたのだろう。
それなら、遊んでいる内に気にならなくなるか。
そう判断して、私は新しい靴で家を出た。
「いってきまーす」
誰もいないのにそう言って、玄関に鍵をかけた。鍵穴から抜いたそれを、パパよりも先に帰ってくるであろうママのためポストにこっそりと隠す。
「それいい加減無用心だと思うぞー」
こっそり隠したはずなのに、隣の家からそれを見ているやつがいた。
「しょうがないじゃん、ママいっつも鍵持ってくの忘れるんだから」
「何、亜里沙出かけんの?」
「うん、今日は何と西高のサッカー部と合コンだぜ~」
「うひーそらすごい」
翔太はそう言って演技っぽく両手を挙げ、降参のポーズをとる。
私はちょっと強めに門を閉めた。支えの弱った鉄製の門が、ガチャガチャと耳障りな音を立てて揺れる。
「翔太は今日も暇そうで何よりね」
「いやいや、俺もこれから女学院のお嬢様達と合コンなんだぜ」
「へえ、そんな家着で?」
「すみません嘘でしたコンビニ行くだけです」
翔太はわざと抑揚なくそう言って、静かに門を閉じた。
二人で並んで狭い歩道を歩く。人通りの少ない夏休みの午前中、蝉の大合唱に混じって足音が二組。
「お前宿題終わった?」
「まだ手ぇ着けてない」
「大丈夫かよ。あと二週間だぞー」
「写させて? キャピ!」
「惜しいなーキャピがなかったらなー」
翔太の右腕に軽くエルボー。「やったな」と翔太もエルボー。
「キャー女の子に暴力ふるなんてサイテー」
「うわちゃー気づかなかったなーお前いつから女になったの?」
ちょっとだけイラッとしてさらにエルボー、ただし少し強め。翔太はやり返してこない。
「んじゃまー遅くならない内に帰れよー」
「うるせーお前は保護者か」
あっかんべーをしてコンビニ前で翔太と別れた。
ボーリングにカラオケにと遊びまわった後、夕ごはんを食べようと連れてこられたのはちょっとオシャレなイタリアンレストラン。
「ここ雰囲気いいね! たっちゃんが選んだの!?」
「そうそう、見つけるの苦労したんだぜ~」
「も~お腹ペコペコ!」
「俺何食べよっかなー」
「ねえ亜里沙ちゃんピザ半分こしない?」
「うん! 私も今ちょうどピザ食べたいと思ってたんだあ!」
高木くんへテキトーに相槌を打って、ペコペコ踵の音を鳴らしながら私はお店に足を踏み入れた。
六人がけのテーブルに男三人女三人向かい合わせで座り、皆でつまめるようにとピザとパスタを数品ずつ注文。ついでに取り皿をもらえるようお願いする。高木くん、少し意気消沈。
本日四度目の作戦会議を女子トイレで済ませて戻ると、既に料理が到着していた。
「それじゃあ今日の出会いを祝して、かんぱ~い!」
かんぱ~い、とグラスを軽くぶつけて私はオレンジジュースを一口舐める。オシャレなお店だけあって、果汁多めの美味しいやつだ。
「亜里沙ちゃん、ピザ取ろうか?」
「あっ、じゃあそっちのキノコのやつ食べたいな」
ピザも小さく一口だけかじる。これもやっぱり美味しい。他のピザもパスタも、食べてみたら全部美味しい。
私は何だかそれだけで満足してしまった。
「好きな音楽は何?」「好きな食べ物は?」「好きな芸能人は?」みたいな高木くんの質問攻めも正直ちょっとお腹いっぱいだ。
「じゃあ、好きな異性のタイプは!?」
「ん~、そうだなあ」
トドメの一発とばかりのその質問に、形をなさないモヤモヤが頭の中に湧いてくる。
これは誰だ? 自分でもわからない。
モヤモヤからは顔も髪型も体型も判断できない。ぼんやりと漂うだけのそのイメージは、それでもこんなやつだろうという確信だけは私に与えてくれて。
「一緒にいて、楽な人、かな?」
私の口がそう言った。
一緒にいて楽しい人も、ドキドキする人も、少しだけ憧れはするけど。
だけど私は、楽な人がいい。
沈黙が気まずくて無理矢理話題を探す必要のない人。女の子らしい女の子を演じなくても済む人。
こんな、足を揺らせば勝手に天気を占ってしまうような靴をかっこつけて履いてくる必要もない人。
そういうことが、いっぺんにわかってしまった。
ああ、私は何しにこんなところに来たのだろうなんて、急に冷静になっちゃったりして、でも、何か大事なことに気づけたような気分でワクワクしたりして、私の心はあっちを向いたりこっちを向いたり。
ただ、高木くんにそういう私の心の変化や何やかんやを読み取る術はなく、彼は何を勘違いしたのか今度は自分の話を聞いて聞いて攻撃を開始した。
「俺地元ではいじられキャラでさ」
「へえ~!」
「クラスのマスコットみたいな」
「ああー、いるいる!」
「癒し系? みたいな」
「確かに~!」
そういうことじゃ、ないんだけどね。
結局上手くいった男女はいなかったようで、遅れてついてくる中敷きに踵をペチペチ叩かれながら私は皆と別れた。
私達がこんなことをしている間も大人達は働いていたようで、帰宅ラッシュでもみくちゃになって私は地元の駅へと吐き出された。よだれみたいにまとわりついた加齢臭を払い落とすようにパタパタ服をはたいて、新鮮な空気を服の中に入れて、ようやく一息つく。
押し合いへし合いしながら2つしかないエスカレーターや階段に群がる、働きアリみたいなおじさん達が少なくなるのを待ってから駅を出た。
そうしてすっかり暗くなった地元の街をゆっくり歩いていたら、コンビニから出てくる翔太にばったり出くわした。
「おう奇遇じゃん」
そう言って片手を挙げる翔太に、私は呆れながらも並んで歩く。
「またコンビニ来てたの?」
「うん、デザート食いたくなって」
「何? プリン?」
「こらっ、勝手に袋をあさるでない」
「おお! これ新発売のやつじゃん! 一口ちょーだーい」
「歩きながら食うわけにいかないだろー」
「じゃあどっかそのへんで座ろうよ」
「あーじゃあ二丁目の公園寄ってくか。お前門限は?」
「んなもんはねえ!」
「だろうと思った」
持ち手を片方ずつ持って袋をブンブン振り回しながら私達は歩く。
ついでに足も、ブンブン振り上げながら歩く。
明日の天気はわからない。