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君をさがして右往左往

コントラバスお披露目話。

のはずが、チェロやらチューバやらも参戦。

私は、コントラバスは安本洋貴さん、ちょっと出のチューバは小山力也氏で脳内再生しています。

ちなみに、前回からちょこちょこ出てくるピアノは、神谷浩史さん以外では脳内再生できません!(あくまでも個人的な話)

 シューベルトの鱒をやる。

 そう、ヴァイオリンが宣言したのは、つい数時間前のことだ。時としてものすごく直感的に行動するヴァイオリンに呼びつけられたと思ったら、開口一番それを言い渡された。


 「鱒?」

 「鱒だ」


 大まじめに言うヴァイオリンの顔を見つめながら、すでにヴィオラの頭の中には鱒のメロディーが流れてくる。


 「鱒かあ……」


 夢見心地に呟けば、顔面をぺしりと譜面で叩かれた。ヴァイオリンが、呆れた顔をして嘆息する。怒っているわけではないのは、ヴィオラが音楽のことを考えていたからだろう。地面に落ちてしまう前に拾った譜面を手に、ヴィオラがヴァイオリンを見上げると、彼は、


 「みんなのパートだ」

 「おれに、配って来いと?」


 その傲岸不遜な命令に、少しだけ、ほんの少しだけ勘に障るものがある。が、ヴァイオリンがきょとんとこちらを見つめ返すのに、すぐにその思いは消え去ってしまう。


 そうだった。相手は、ヴァイオリンなんだった。王子に、庶民の何とやらを説いても意味がないように、ヴァイオリンに人使いが荒いなどと嘆いても、のれんに腕押しだ。下手をすると、そののれんに反撃されかねない。


 「分かったよ」


 諦めと、やる気を半々に含ませて、ヴィオラが立ち上がる。ヴァイオリンは、うっすらと笑みをたたえたまま、ヴィオラに一歩近付いた。その華奢な指をヴィオラの肩に置くと、


 「良い曲になるぞ」

 「だな」


 ヴィオラも笑顔で応え、珍しく上機嫌のヴァイオリンの元を去った。





 もともと、引きこもり体質で、滅多に部屋から出てこないピアノをつかまえるのに、そうそう苦労はいらなかった。ノックしたドアを開けてくれたピアノの顔が、異常にやつれてみえたのが怖くて、思わずヴィオラは顔色の悪い友人に夜食を作ってしまう。腹持ちが良いように、身体に優しいものを、とミルク粥を作ってやれば、ピアノの大きな目がうるうるし始める。


 「お、おい。ピアノ。泣いてるのか?」

 「泣いてない! 湯気が目に沁みるんだ!」

 「そ、そうなのか……?」


 ピアノの部屋にはいつも大量の楽譜が積み上げられている。嫌と言えないこの友人は、次から次へと、アンサンブルや伴奏の依頼を受け付けてしまい、結果として己の首を絞め続けている。年がら年中ストレスを溜めっぱなしなのに、どうやら、弾くのをやめる気にはならないらしい。


 この百科事典ほどの厚みのある楽譜の山に、更に曲を追加するのかと思うと心が痛んだが、このまますごすご帰っても、ヴァイオリンに何と言えば良いのか分からない。板挟みに苦しんだが、結局、ヴィオラは鱒の楽譜をピアノに差し出した。


 「これは?」

 「鱒。ヴァイオリンが、やりたいんだってさ」

 「へえ! 良い曲だよね!」


 ぱっと顔が明るくなると、ピアノはまだ食べかけの粥を片手に、もう片方に楽譜を受け取り、いそいそとそのページを開けた。


 「ああ、良い曲だねえ。名曲だよねえ」

 「やってくれんのか?」

 「何言ってるのさ。こんな名曲目の前にして、断れるわけないでしょう」

 「ありがとな、ピアノ!」


 そんな風に色々引き受けちゃうから、後々大変なことになるのでは?などという思いがちらついたが、あまりにも純粋に笑うピアノを見て、ヴィオラはなるたけ柔和な笑顔を返す。






 そんなやりとりがあったのが、かれこれ3時間ほど前になる。


 「どこ行ったんだよー」


 チェロとコントラバスが見当たらないのだ。一応、ふたりの部屋を訪ねてみて、30分ほど待ってみたのだが、収穫なしだった。携帯にもかけてみたが、どういうわけか、ふたりとも圏外にいるみたいである。


 「うう、暗くなってきたし……。おなかすいてきたし……。でも、楽譜渡さないと、またヴァイオリンに叱られるし……。チェロー。 コントラバスー。どこに行っちゃったんだよう……」


 ついつい半泣きになってしまうヴィオラに、近付く影があった。


 「ヴィオラ? 坊じゃないか。何してるんだ、こんな夜遅くに」


 良いこは、おうちに帰っていなきゃだめじゃないか、とでも言いたげなその野太い声は、しかし、ヴィオラの聞き知る声だ。


 「チューバ……」


 やっと、見知った顔に出会えた安堵感で、つい涙ぐみそうになる。チューバは、そのがっしりとした手をヴィオラの頭の上に置いて、がしがしと撫でてくれた。


 「どうした?」

 「チェロとコントラバス探してるんだけどさ……」

 「ああ。あいつらなら、いつものとこにいるんじゃないか?」

 「いつものとこ?」


 あまりにもあっさりとチューバが言うものだから、涙も引っ込んでしまう。ヴィオラは期待に溢れた瞳をチューバに向けた。


 「って、どこ?」

 「ほら、そこの角を曲がったところに、バーがあるだろう。地下に降りていく階段があるところ。そこにふたりしてたむろってるんじゃないのか? あそこは、コントラバスの行き付けのバーだから」

 「ば、バー……」


 何て大人な響き。ごくり、と生唾を飲み込めば、チューバが人好きのする豪快な笑い声を上げる。


 「大丈夫だよ。コントラバスとチェロがいるところだ。取って喰われたりしねえって。な?」

 「お、おう…!」


 精一杯強がって返事をすると、チューバは満足そうに二、三度ヴィオラの肩を叩いた。それから、にかっと頼りがいのありそうな笑みを向けて、


 「じゃあな、坊。グッド・ラック!」


 迷いのない歩みで、ずんずんと遠ざかるチューバの背中をしばし見つめて、ヴィオラは自分に渇を入れる。


 「っしゃ!」


 いざ、参らん! バー! 大人の階段!


 意味不明なことを心の中で唱えながら、ヴィオラはチューバの教えてくれたバーへと足を踏み入れた。


 薄暗い照明の中、ちらほらと人影が見える。思っていたよりも煙草臭くなくて、もしかしてここは禁煙バーなのだろうか、などと馬鹿なことに思いを馳せる。カウンター席に並んで座った人影に、ヴィオラは安堵のため息を盛大に吐いた。


 「おや? ヴィーちゃん」


 チェロがこちらに気付いてくれて、気さくな笑顔でヴィオラを招いてくれる。ぎこちないながらも、カウンター席に座ると、ヴィオラは早速楽譜を取り出そうとした。が、


 「ヴィーちゃんは? 何飲むの?」

 「え? お、おれは、アルコールは……」

 「何言ってるの、ここ、バーだよ? 来たら飲まないといけない、バーだよ?」

 「ええ! そ、そうなのか? 飲まないといけないのか?」

 「そうそう。飲まないとね、法律違反なんだ」

 「ほ、法律違反! いや、でも、おれ、あんまり飲まないから」

 「じゃあ、俺が選んであげようか。そうだなー。あんまりお酒に慣れてないんだったら、テキーラのショットなんてどう?」

 「て、てきーらのしょっと? そ、それ、初心者向け?」

 「初心者も初心者、大体のひとはテキーラから始めるよってくらい、初心者にお馴染みの飲み物だよ」

 「そ、そうなのか……」


 微塵もチェロを疑おうとしないヴィオラを、チェロは至福の表情で眺めている。初心者にはハードルが高すぎるだろう飲み物を、ヴィオラが頼もうとしたときだった。


 「パナシェをひとつ。こっちの坊やに」


 くぐもった空気を、地震のように震わせる声がして、ヴィオラの飲み物がオーダーされる。チェロは途端に唇を尖らせて、隣に座った寡黙な兄妹を睨み付ける。


 「コントラバス! どうして邪魔するの」

 「邪魔じゃない。ヴィオラを誑かす、お前が悪い」

 「え?」


 ことの成り行きがいまいち掴めなくて、ヴィオラが首を傾げると、チェロは「あーあ」と大きく伸びをして、残念そうにヴィオラに視線を送った。


 「ヴィーちゃん。テキーラは、初心者向けの飲み物じゃないよ」

 「え? え?」

 「パナシェなら、大丈夫だ」


 からん、とコントラバスの手にしたグラスの中で、氷がぶつかり合う音がする。深い琥珀色をした飲み物を口にして、コントラバスはやっとヴィオラに目だけを向けると、微笑した。


 「あ、ありがとう……」


 コントラバスは、いつも優しい。あれやこれやと世話を焼いてくれるわけじゃないけれど、いつもここぞというときには、傍にいてくれる。兄のような、父のようなコントラバスの前では、ヴィオラはいつも自分がとてつもなく子供のように思える。コントラバスの親切はいつも的を得ていて、それが嬉しいのだけれど、同時に何故かとても気恥ずかしい。


 「なに、なに。何でヴィーちゃんたら、頬染めてるの? 何でそんな可愛い声でありがとうとか言っちゃってるの?」


 チェロのやっかみが終わるのを待って、コントラバスが口を開く。


 「どうした? 俺たちに、何か用か?」

 「あ、ああ、そうだった! これ……」


 言ってから、カバンの中をごそごそとしていると、カウンターの反対側から飲み物がヴィオラの前に置かれた。


 「とりあえず、飲んでみろ」


 ゆっくりと瞬きをして、伏せ目がちに言うコントラバスの言葉通り、ヴィオラは素直にグラスを手にする。こくりと飲み込んだその飲み物は、アンバー色をしていて、少しだけ弾ける炭酸と柑橘系の後味が、歩き回った身体に程よく染み渡る。


 「うまいだろ」


 喉の奥で笑いながら、コントラバスが片眉を上げる。


 「うん」

 「だからって、一気に飲むんじゃないぞ。アルコールはアルコールなんだからな」

 「うん」


 諭されるようにして、ヴィオラはゆっくりと一口を飲み込んでから、カウンターにグラスを置いた。カバンの中から、チェロとコントラバスのパートを取りだしてから、ふたりに差し出す。


 「ん? 新しい曲?」


 チェロが手にして楽譜を、目を細めて見る。この薄暗い中では、実はあんまり良くないチェロの視力は役に立たないのかも知れない。


 「鱒、か」

 「ヴァイオリンが。やろうって」

 「良いね。良い曲」


 チェロが微笑めば、コントラバスも、


 「面白い」


 乗り気みたいだ。


 「うん」


 夜遅く、歩き回った甲斐があるかもしれない。ヴィオラは、漸く満足して、グラスに手を伸ばした。


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